『山人音楽祭 2023』、人と人のつながりに居場所を築くロックの祝祭 G-FREAK FACTORYが“反骨と愛”で守り抜いてきたもの
長かったコロナ禍。ルールでがんじがらめに縛られたライブハウスは一時的に窮屈な場所と化し、遊び場も居場所も奪われてしまったという人が多かったはず。ライブハウスに限らずとも、経済的な事情で慣れた職場を離れざるを得なかった人も多かっただろうし、コロナ禍が明けたからと言って、その傷口は簡単に塞がるものではない。また、制度・風潮・固定概念など、あらゆる“大きな声”が個々人の自由を圧迫する状況に拍車がかかっている昨今、物理的にも心理的にも、安心を確保することは日に日に難しくなってきている。
しかし、『山人音楽祭 2023』(9月23〜24日)に足を運んだことで、胸を撫で下ろすような安心感を覚えた。ロックバンドたちは居場所を作ることを諦めていなかったからだ。もっと言えば、居場所がない時代にこそ、俺たちの音楽とライブを居場所にしてくれと言わんばかりのエネルギーが、どのバンドにも通底していたからである。どんなに世界のポップミュージックの潮流がかつてのロックから離れているとしても、閉塞や分断にまみれた世界に団結をもたらすロックバンドの役割に変わりはないし、それを求める人の声はより熱く、大きなものになってきている。その中心に立つバンドこそ、群馬に『山人音楽祭』という居場所を築き、レベルミュージックの雄として君臨し続けるG-FREAK FACTORYである。
継承されていくローカルマインド
遡ること26年前、1997年にG-FREAK FACTORYは結成された。アメリカで生活した経験を持ち、海外のパンクから影響を受けていた茂木洋晃(Vo)にとって、日本語でパンクをやるというのは大きな挑戦だったかもしれない。だが、そこに意味と勝機を見つけたこと、群馬から全国に向けて音を鳴らすスタンスを貫いてきたこと、そんなアイデンティティを自ら皮肉りながらも、そうすることでしか気づけない/築けない居場所があると示してきたことが、G-FREAKをいまだに他の追随を許さぬバンドたらしめている。楽観性が世の中を腐らせようとした時こそ、茂木は問題の根っこから目を背けないし、ローカルに立つ軸足が揺らがないからこそ、彼らのライブでは“誰にでも生まれた場所があること”を思い出せる。その意志が具現化した場所こそ『山人音楽祭』であり、今年はそのことを今まで以上に強く実感した。
まず大きなトピックは、4年ぶりに山人がグリーンドーム(日本トーター グリーンドーム前橋)に帰還したことだろう。そして、葛藤しながらも“山人を続ける”選択をし、高崎芸術劇場に場所を替えて襷を繋いできた一昨年、昨年の想いがついに実った今年、赤城ステージのオープニングをFOMAREが務めたのは感慨深かった。『GUNMA ROCK FESTIVAL』時代も含めれば10年以上にもなる『山人音楽祭』の歴史の中で、群馬のバンドからフェスが開幕するのは初めて。何より、地元の後輩に背中を見せ続けてきたG-FREAKの意志を、もともと『GUNMA ROCK FESTIVAL』に遊びに行くほどのライブキッズだったFOMAREが受け継いでいく瞬間は素晴らしいものだった(FOMAREもついに昨年、自身初の主催フェス『FOMARE大陸』を群馬で開催している)。そんなFOMAREは、朝イチのライブでガチンコのローカルプライドを叩きつけ、故郷について歌った「夕暮れ」を高らかに響かせながら「ずっとこのフェスが続きますように」と願った。
もともと山人が持つコンセプト性も相まって、今年は特にG-FREAKのローカルマインドに共振するバンドが色濃かったように思う。長崎のSHANK、徳島の四星球、京都の10-FEETやROTTENGRAFFTY、大阪のHEY-SMITH……など、地元でフェスを主催するバンドがラインナップのメインを飾り、OAU(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)として1週間前に『New Acoustic Camp 2023』を終えたばかりのBRAHMANが2日目のトリ前に登場。なお、そうした傾向とは一見異なりながらも、全国をドサ回りしながら生身の歌を響かせてきた竹原ピストル、ロックやポップスと交わり、音楽以外のフィールドでも積極的に発信を重ねることで、ヒップホップユニットとしての新たなスタイルを築いたCreepy Nutsなど、自ら居場所を切り拓いてきたアーティストたちも存在感を放った。