ムーンライダーズ、ファンハウス在籍時代の作品を再評価 90年代の空気をジャーナリスティックに反映した意欲作の数々

ムーンライダーズにとってファンハウス時代とは?

 今、最も多忙に活動している日本人アーティストの一人が、鈴木慶一であることに異論を唱える人はおそらくいないだろう。鈴木慶一はまもなく8月28日で72歳。にも関わらず、鈴木は年々精力的に作品作りに向き合い、ライブを行ない、新しい音楽との出会いに心を震わせている。それも、ムーンライダーズ本体での活動やソロだけではなく、近年だけでもKERAとのNo Lie-Sense、松尾清憲との鈴木マツヲなど多くの別ユニットやバンドでの稼働も盛んだ。10代、20代の若手にも全く負けないこの行動力はどこからくるのだろう、と、鈴木の新たな作品に触れるたびにその創作欲求の原点を思う。

 ご存じのように、長きに渡りTHE BEATNIKSでの相棒だった高橋幸宏が、P.K.Oとして結成30年にして初のスタジオ録音に入ったばかりだったPANTAが……そして、はちみつぱい時代からのつきあいだったムーンライダーズの鍵盤奏者・岡田徹が、今年は相次いで亡くなった。心が折れてしまいそうなそうした悲しい別れの数々を、それでも乗り越えていこうとする鈴木のタフネスには頭が下がるが、同じように果敢にミュージシャン人生を攻め続ける武川雅寛、白井良明、鈴木博文、夏秋文尚というムーンライダーズの仲間たち、さらには澤部渡(スカート)と佐藤優介という世代を超えた年若のサポートメンバーたちがそこにいてこそ、なのだろう。鈴木慶一の活躍だけが突出しているような書き方をしたが、2月に亡くなった岡田徹も含め、ムーンライダーズというバンドは1975年の結成以来……あるいは、はちみつぱいでの活動を含めると50年以上に渡り、絶えず前へ、前へとダイナミックに駒を進め、その都度その都度、新たなことにトライしながら変貌するポップ・ミュータントであった。

 もっとも、50年もの活動を継続させているとさすがに順風満帆とはいかない時期もあるし、いい作品だと思ってもなかなか理解されない、届かない、満足のいく結果が得られない時もある。これだけ長く多様に活動を展開していれば、その後の再評価から漏れてしまう作品があったりもするだろう。ムーンライダーズでいえば、それが90年代後半……具体的にはファンハウス在籍時代かもしれない。逆にいえば、近年、新しく彼らの音楽に夢中になった若い世代に対し、「これからはこの時代のムーンライダーズを聴け」「今こそ再評価するチャンスだ」と胸を張って勧められるのがこの時代だとも言える。

 ITの一般化が加速したのが2000年代。そこを一つの大きな節目とするなら、ムーンライダーズはまさしくそのITの一般化が進んだ主に2000年代以降、新たな評価がグングン高まっているバンドだ。もちろん、その理由は前述したように何よりメンバー全員が歩みを止めずに攻め続けているからに他ならないし、そうやって産み落とされる作品や活動が時代の流れをキャッチし、鋭くフィットしていったからだろう。“9・11”(アメリカ同時多発テロ事件)の衝撃が反映された『Dire Morons TRIBUNE』(2001年/ドリームマシーン/ワーナー)以降、ジワジワとその持ち味が広く伝わっていき、そのまま現在に至るまで新たな全盛期が続いていると言ってしまってもいい。ちなみに、最新作は今年3月にリリースされた『Happenings Nine Months Time Ago in June 2022』。ここにきてバンドとしては初の試み、実に即興セッションで作られたアルバムだ。

 ファンハウス在籍時代はこの新たなる全盛期が始まる直前のシーズンだ。厳密に言うと、『月面讃歌』(1998年/Ki/oon)と『dis-covered』(1999年/ドリームマシーン/ワーナー)などがその間にあるので“直前”とは言えないが、この2作品がバンド自ら素材となった実験的作品とその補完的作品というイレギュラーなアルバムだったことを考えると、さらにその前に作品を出していたファンハウス在籍時こそ、来る新たな全盛期のための萌芽の時代だったと言えるのではないだろうか。

 このたび、サブスクや配信でも聴くことができなかったこのファンハウス時代の作品群がボックスセットとしてリリースされることになった。在籍中にリリースされたアルバム、シングルにメンバー自らの監修による最新のリマスタリングを施し、当時のホームデモ、CMコンペ用デモ、FM局に書き下ろしたオリジナルジングルなどのレア音源なども加え、全5枚のCDに収録された決定版的な内容だ。

 ファンハウス時代にムーンライダーズは4作品をリリースしている(シングルを除く)。『B.Y.G. HIGH SCHOOL B1』(1995年3月1日)、『Le Café de la Plage』(1995年6月25日)、『ムーンライダーズの夜』(1995年12月1日)、『Bizarre Music For You』(1996年12月4日)。リリース日を見ると、実質1年半ほどで4作品とかなりのハイペースで制作していたことがわかる。その前のアルバムはというと、1992年9月の『A.O.R.』(当時の東芝EMI)になるので、少し間を置いて移籍、気持ちも新たにアルバムの制作に挑むことになったのだろう。当時のファンハウスの担当ディレクター(松本篤彦氏)のインタビューによると(ミュージック・マガジン刊『ムーンライダーズの30年』より)、新たなファンの獲得のためにかなり明確な青写真を描いて活動の流れを計画していたそうで、メンバーも積極的にレコード会社の提案に協力していたという。おそらく誰よりメンバーたちが気分一新、空気を変えたかったに違いない。

 しかし、この時代、日本では社会を大きく揺さぶる事件が起こる。ムーンライダーズがファンハウスに移籍したのが1994年。ロック、ポップスにおけるシーンの流れの点で言うと、海外ではグランジやオルタナティブ・ロックといった言わばインディペンデントな精神性を持ったアーティストたちが注目を集め、バブル崩壊後の日本では小室哲哉のプロデュースワークがチャートを席巻する一方で、渋谷系と呼ばれるアーティストたちがそれまでにはなかった洒脱でハイブリッドなポップミュージックで魅了するようになっていた。だがしかし、1995年、オルタナティブと言えばこれほどオルタナティブな存在もないムーンライダーズ、渋谷系の源流を辿ればそこにいるようなムーンライダーズ……そんな追い風も味方に、今こそ華々しく移籍によるニューディケイドを迎えようとしていた矢先、阪神淡路大震災が起こり(1月)、地下鉄サリン事件が起こった(3月)。音楽業界はまだそこまで冷え込んでいなかったものの、世の中は重い空気に包まれてしまったのである。

 何より、鈴木慶一以下、メンバーたちはこうした世相を無視することができなかった。なんたってムーンライダーズとは社会との合わせ鏡のようなバンド。世間をワクワクさせる何かがそこにあれば興味津々に手を伸ばし、震撼させる何かが起こればそれをジャーナリスティックに題材にする。だから、ムーンライダーズは結成以来、次々とアルバムごとに果敢に攻めていったし、そんな自分たちを冷静に批評もしていった。いち早くデジタルシーケンサーを導入して制作、当時まだ誰も再生機を持っていなかったにも関わらずコンパクトディスク(CD)でリリースしたアルバム『マニア・マニエラ』(1982年)がその典型ではないか。

 もちろん、最初から重い空気だったわけではない。そもそも、ファンハウス移籍時にスタッフと共に共有していた青写真はしっかりと実現された。カバー集を最初のアルバムにしようとして制作されたミニアルバム『B.Y.G. HIGH SCHOOL B1』。はちみつぱい時代から行きつけの店だった渋谷は百軒店にある老舗のロック喫茶『BYG』の地下ステージをイメージして制作、あがた森魚(「赤色エレジー」と、鈴木博文が提供した「大寒町」)、西田佐知子(「くれないホテル」)、坂本九(「一人ぼっちの二人」)、長谷川きよし(「卒業」)など、彼らの若かりし頃~黎明期の頃の風景と重なる曲が7曲選ばれた。帯のコピーは“回想モードのムーンライダーズVOL.1 ハイスクールバンドにリセット。今世紀末を占拠。イカれる元高校生たち、音・楽・園紛争に突入!”。原点回帰というより、バンドとしての足元を今一度見つめ直そうとするような、生演奏を増やした録音が今聴くと新鮮だし、むしろライブバンドとしてすっかりタフになった現在のムーンライダーズの礎になっているかのような風合いさえ感じさせる1枚だ。

 そのわずか3カ月後に届けられたのもミニアルバムで『Le Café de la Plage』。“海の家”という意味のタイトルと、初期The Beach Boysさながらにサーフボードを抱えた6人のメンバーをあしらったカラフルでユーモラスなジャケットが“夏”を連想させるように、過去のレパートリーをレゲエアレンジで新解釈したこれまた企画盤。ムーンライダーズとビーチ、レゲエというミスマッチな取り合わせにあえて挑むのは実に彼ららしいし、実際に「9月の海はクラゲの海」「くれない埠頭」、シングルにもなった「海の家」など夏向けの曲が選ばれている。

 この時、シングル『冷えたビールがないなんて』も発売。時代の重い空気を少しでも明るくしようとする試みさえそこに見てとることができるが、実際には、同じ6月にメンバーの武川雅寛がハイジャック事件に巻き込まれ、バンド内部でも“死”がリアルに突きつけられることとなったのだ。ともあれ、長く一緒にやってきたこの6人の中の誰かに何かあったらどうすればいいのか……という切迫した事件がバンドとしてのプレイヤビリティ、一体感を真摯に見直すことになったのもまた間違いのないことだった。結果、この後にリリースされるファンハウス時代を彩るフルアルバム2枚は、暗く未来が見えにくい世相とは別に、バンドとしてポップミュージックにどう向き合っていくのかを重く考える作業……そしてそれは生きることのリアリティをポップミュージックの中でどう解釈していくのかに挑む作業を突き詰めたような作品となるのだった。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる