Sound Horizonが本気で追求する物語音楽の可能性 Revo、ストーリーが選択できるライブ&BD『絵馬に願ひを!』への挑戦

 Sound Horizonがリリースした7.5th or 8.5th Story BD『絵馬に願ひを!』は、「ディスクをプレイヤーに入れて音楽を聴く」という一般的な行為とはかなり異なる体験をもたらす作品だ。なぜなら、まるでRPGのように、受け手が常に物語を選択することになり、それによって映像とともに聴くことができる楽曲が変わってくるからだ。Sound Horizonを主宰するRevoに収録曲数を聞いても、「それは言わないほうが面白いと思います」と語るのみ。ひとつだけわかるのは、通常のアルバムをはるかに超える曲数が物語のために用意されているということだ。同じくRevoが主宰するLinked Horizonが「紅蓮の弓矢」の大ヒットで2013年の『第64回紅白歌合戦』に出演してから約10年。Revoの尽きることを知らないクリエイティビティの根源に迫った。(宗像明将)

明らかに誰が見ても違う公演をやりたかった

(Photos by Reishi Eguma (C-LOVe CREATORS / Your Agent Tokyo), Seina Fujimura)

――5月30日に、東京国際フォーラム ホールAで開催された「Sound Horizon 7.5th or 8.5th Story Concert 『絵馬に願ひを!』~大神再臨祭~」を拝見しました。7.5th or 8.5th Story BD『絵馬に願ひを!』を現実で再現しているような公演でしたね。しかも、歌い手・語り部、和楽器も含む楽器奏者、踊り手、役者を従えて18公演も行うのは、相当なエネルギーを使ったのではないでしょうか?

Revo:使ったんだと思うんですけれど、わりと当たり前になってきてはいます。これが初めてのコンサートだったら、非現実的な労力かもしれませんが、積み重ねがあるので。楽とは言わないですけど、「こんなものだろうな」という感覚はありますね。大変なコンサートであるということは、織り込み済みで始めたプロジェクトでしたから。

――拝見したときは3時間の公演でしたが、燃え尽きるわけでもなく?

Revo :そうですね、燃え尽きるほどではないです。すぐに次の公演の準備もありましたし。

――Revoさんは「団長」と呼ばれることもあるようですが、コンサートの中には芝居の要素もありますし、Sound Horizonの中では座長のような感覚なのでしょうか?

Revo:明確に団長と呼ばれているのは、実は別名義のグループなのですが。どのプロジェクトにおいても座長といえば座長ですよね、演劇をやっているような空気感もあるので。楽器の人たちのリーダーでもあるし、演技する人たちのリーダーでもあるし、スタッフを動かしているリーダーでもある。それぞれ素晴らしいメンバーだし、支えてくれるスタッフがいっぱいいるので、自分だけでやっている感覚はないんです。だけど、「これで行こう」とか「それいいね」という判断は座長がしているんですよね。やっぱり軸がないといけないので、その軸を自分が示しています。だけど、わかってくれている人たちがいっぱいいるので、最近はすべてを言わなくてもいいようにはなってきていますね。一座も人員の入れ替わりはあるんですけど、18年間やってきた積み重ねがあるので。

――公演中に観客に物語の分岐を選択させるのも、かなりの冒険だと感じました。間延びする可能性もありましたよね。

Revo :その点については危惧していました。選択肢が何回も出てくるので、ひとつを長くするとトータルで掛け算的に延びていくことになりますし、シビアに考えた部分です。現場のライブ感もあるし、でも詰めすぎると、次の曲の準備もあるし、着替えも発生するし、スタッフが道具を動かすし。有限のなかで絶対的に必要な時間はどれぐらいかというせめぎ合いはありましたね。

――しかも、選択の結果として、出演しない役者も出てくるのは、なかなか決断できることではないと思いました。

Revo:それはもう致し方ないという感じです。「出番がない可能性がありますよ、それでもこの仕事をやってもらえますか」と最初に聞いて、みなさん「やります」と言ってくださっているので。「通行人Aとして歩くだけとか、忖度すれば出る瞬間はあるんじゃないか」と雑談でスタッフに言われたこともあるんですけど、そんなことは不思議と全然思わなかったんですよね。物語上の必然性があるんだったら出ればいいけど、そこまでして無理やり出てほしいとは思わなくて。イレギュラーをいれるには、それなりの伏線というかドラマが必要だとは思っていました。「ちょい役で出るくらいなら、出ないほうが後からいじられたりフィーチャーされたりする可能性はあるよ」とコンサートに余白を残していたので(出番がない場合、本編終了後にRevoのMCで紹介される)、「いっそ出ないほうがおいしい」みたいな状況になりつつありましたね。MCもひとつの演技であり、彼らの地力が試される場でもありましたし、ライブ感で作るエンタメだと思ってましたから。

――でも、拘束時間や人件費を考えたらとても贅沢な演出ですよね。

Revo:そうですね。その日の演目だけを取り出して考えると、無駄だと思われても仕方がないことは非常に多くやっています。当然、こちらは無駄だとは思っていないのですが。いつどの曲が来てもいいようにしっかり練習しておかないといけないですからね。練習時間や衣装、小道具とか、用意しないといけない事柄がすごく多くて、そういうものがチケットの価格にも跳ね返ってきているんですけど。結果、観にきてくださる人たちにも問いかける形になっているんです。「観れた」という局所的な結果だけではなく、「観れる」という可能性自体が持つ豊かさを受け取れるかどうか。これはそういうエンタメだし、そういうアートなんだと。それに魅力を感じない人もいるだろうから、なかなかの博打と言えば博打だとは思うんですけれど。

――どう展開していくかわからないスリルをRevoさん自身が求めている部分はありますか?

Revo:求めているんだと思います、ライブというものに対して。そんなには変化しない繊細な何かを丁寧に探していくというのもひとつの価値観だと思うんですけど、明らかに誰が見ても違うものをやりたい、というのは確実にあったのかなと。

――お客さんたちも、公演が毎回違うのを楽しみにしていた人が多かったのでしょうか?

Revo:リピーターの人たちが、いつものコンサートよりもさらに多かったみたいですね。

――セットリストが固定されていて、ツアーが終わるまではSNSにセットリストを書いてはいけない、というような姿勢とは対極ですよね。

Revo:アーティストのいろんな考え方があるし、うちも完全に一貫しているわけではないんですけど、箝口令は敷かないし、基本的には「何を書いてくれてもいいよ」という感じです。自分が行っていない公演でも楽しめるものがあるのもコンサートツアーだと思うし、どうなっていくのかを全員で見守って楽しめるところもあっていいと思うので、情報共有を禁止することはないですね。どうしても箝口令を敷きたい状況がうまれた場合は、特例としてその都度協力を呼びかけています。

音楽家・Revoの活動の軸を作ったゲームやネットとの出会い

――『絵馬に願ひを!』は神社が重要なモチーフのため、音楽にも雅楽のテイストがありますね。

Revo:最初から神社を舞台にしたかった、というわけではなかったような気もしますが。現代日本に近い世界観でやろうとなったときに、すでに絵馬をモチーフにするイメージがあって。そこに書かれた願いが生まれるに至った背景にどんな物語があったんだろう、というのをみなさんに見せる構造を考えたときに、自ずと神社が浮かんだんだと思います。雅楽の要素もあれば世界観としてみなさんもイメージしやすいだろうし、今までやったこともなかったので、音楽家としてもこれは面白いぞと思いました。

――そもそもの話で恐縮なのですが、Revoさんの音楽的ルーツはどんなものでしょうか?

Revo:原体験で言うならクラシックか、邦楽の歌謡曲、演歌なんだと思いますが。今に繋がる衝動として音楽にのめり込んだのは、洋楽のロックがきっかけじゃないかな。純粋な音楽のカテゴリーは超えますが、文化論、エンタメ論としてもゲームが好きだったのは大きいと思います。ゲーム音楽も好きだったので、例えば、純粋な音楽ジャンルとしてのクラシックとは別ルートで、すぎやまこういち先生が手掛けた作品からクラシックの素養が入っていたりするんです。あの当時の子供はみんなそうだと思うんですが、バッハを知らなくてもバッハの対位法や和声を知っているし、なんならドビュッシーやストラヴィンスキーの和声、変拍子のエモさも感覚的に知ってる。これは凄まじいことですよ。英才教育で教えようと思っても、難しくて簡単にはできない。それを本人たちはただ遊んでただけ、というイージーな意識で擦り込んでしまってる。民族音楽なんかも、現地のディープな音楽は聴いていなくても、そういう文化の香りはゲーム音楽から嗅ぎ取ってたりするじゃないですか。入り口として。音楽だけではなくて、世界にはいろんな文化があるということを学べる、その影響はすごく大きいと思います。いろんなものが、自分を構成する地層みたいに積み重なって作用して、今こうなっているんでしょうね。

――ゲーム音楽で印象的なものはありますか?

Revo:RPGが好きだったので、植松伸夫さんの『ファイナルファンタジー』シリーズも好きだったし、任天堂のゲームもいっぱいやっていたので、近藤浩治さんの『スーパーマリオブラザーズ』の音楽も好きでした。『スーパーマリオ』の音楽って実はラテンの要素が多く含まれているじゃないですか。3連符が混在したり、シンコペーションを多用したり、あのリズムの感じは日本の全国民が知っていると言っても過言じゃないですが、そういう面でいうと、我々は気づかぬうちにゲームを通して音楽の英才教育を受けてきているんですよ。本当にヤバイ民族ですよ(笑)。

――1999年、ホームページを開設したのがSound Horizonという名称のスタートだそうですが、1990年代末のインターネットはどんな感覚でしたか?

Revo:夜中にテレホーダイでISDN回線で必死に接続してました。とか言って伝わりますかね、今の若い人たちに(笑)。今からするとインターネットにつなぐのも時間がかかったし、そのわりに接続料とかプロバイダの契約料も高かったし。当時テレホーダイっていう定額接続サービスがありましたけど、その時間帯も決まってましたよね。なんて話すとネガティブに感じると思いますが、黎明期の世界が広がっていく感じはすごくあったような気がします。一個人が、いろんな人につながることができるようになって、顔も知らないどこかの誰かに自分の音楽を届けることができるなんて、それまで考えたこともなかったんですよね。普通に生きていたら会えない人、別の国の人にも届くってエモいですよ。今はそれをさらに拡大解釈していて、「届ける相手は、この時代の人に限定しなくてもいいな」というところがあって。誰かに向かって何かを送り出せば、それがいつか届く。そういう原体験をネットの黎明期にできたのはとてもよかったし、自分の中でその後の活動にもつながる大事な軸になったのかもしれないです。誰かには届くんです。暗闇に向かって送り出すことを恐れなければ。伝えることを諦めなければ。

――Revoさんは、現在Sound HorizonでもLinked Horizonでも唯一のメンバーですが、創作活動は孤独なものではないでしょうか?

Revo:完全に一人かと言うと、支えてくれる人が一人でもいる以上、多分違うんでしょうけど。そうですね。ずっと孤独かなとは思います。寂しいと言えば寂しいんだろうなと思うんですけど、寂しくて耐えられない人間は続けていけないんだろうなと。どこか孤独や寂しさが馴染むというか。人間の本質は孤独なのかもしれない……みたいな哲学的な感じなんですけど、そう自分で納得できていないと続けられないかもしれないですね。だからこそ、人に届けることにも意味があるんでしょうし。

【遂に降臨!】7.5th or 8.5th Story BD『絵馬に願ひを!』(Full Edition)

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