ジョージ・クリントンが体現し続ける自由と団結 ヒップホップにも多大な影響を与えた、偉大なる“ファンクの総帥”の功績

 ちょうど来日中で、ビルボードライブ東京公演、『Love Supreme Jazz Festival 2023』出演を果たし、ビルボードライブ大阪公演も控えているジョージ・クリントン。ジェームス・ブラウン、Sly & The Family Stoneと共にファンクのパイオニア、そしてイノベーターとして知られており、ParliamentとFunkadelicなどのバンドを率いた“ファンクの総帥”だが、来日公演を受けてジョージ・クリントンの大きすぎる功績をおさらいしたい。

 ジョージ・クリントンは、ファンク/ヒップホップミュージシャンとして活動している筆者にとって、最も大きな影響源であるため、まずは何から書けばいいのか悩むが、彼の功績と名前はもっと一般的にも讃えられるべきだと感じる。彼はファンクとそのサブジャンルだけではなく、ヒップホップ、ロック、ポップスにも大きな影響を及ぼしている。特に彼がParliamentとFunkadelic(以下、P-Funk)で作り上げた世界観は、現代のポピュラー音楽、カルチャー、ファッションなどにも浸透していると言えるだろう。

ウィズ・カリファ&ジョージ・クリントン(Los Angeles, 29 Mar 2023)

 ニュージャージー州で育ったジョージ・クリントンは10代の頃にドゥーワップグループ The Parliamentsを結成。その後、スティーヴィー・ワンダーやスモーキー・ロビンソンが所属していたMotownの作曲家として採用された彼は、他のグループと同じようにスーツを着て、ステップを踏まなければならないと感じていた。The Parliamentsは1967年に「(I Wanna) Testify」をリリースしたものの、ジミ・ヘンドリックスや台頭するロックに影響されたことで方向転換を模索していたこともあり、別バンドとしてFunkadelicを結成して、リブランディングを図った。Funkadelicはサイケデリックロック、ゴスペル、ソウル、そしてジェームス・ブラウンのファンクなどを取り入れ、1970年に『Funkadelic』、『Free Your Mind… And Your Ass Will Follow』をリリース。1971年の『Maggot Brain』は、Pitchforkの「1970年代ベストアルバム100」にて17位、ローリング・ストーン誌の「最も偉大なアルバムTOP500」の136位に選ばれており(2020年改訂)、特にタイトルトラックにおけるエディ・ヘイゼルのアドリブギターソロは語り継がれている。

Funkadelic「Can You Get To That」

 The Parliamentsは名前から最後のsの文字を除き、Parliamentとしてリブランディングする。1971年には後のシンセサイザー音楽に多大な影響を与えたバーニー・ウォーレル、1972年にはジェームス・ブラウンの元ベーシストでありファンクベースの礎を作ったブーツィー・コリンズが加入。ジョージ・クリントンは2つのグループのリーダーとして、独自のSF的な設定をファンクミュージックに組み込み、「人々をファンクで解放するために宇宙から来た」というコンセプトを作り上げる。従来のソウルシンガーのようなスーツではなく、おむつ、未来的でキラキラなスーツ、魔法使いのマントなど、派手な衣装を着た大勢のメンバーがステージ上に立つというスタイルでも注目された。また、ライブではマザーシップという巨大な宇宙船を吊るし、そこからジョージ・クリントンが登場するという演出を組み込み、1970年代から音楽コンサートと巨大スペクタクルの境界線を壊していった。Slaveのフロントマンであり、ファンクレジェンドのスティーヴ・アーリントンは、「P-Funkのライブはまるでサーカスで、全てのことが起こっていた」とコメントしている(※1)。

Parliament「Flash Light」

 「Tear The Roof Off The Sucker (Give Up The Funk)」「Flash Light」「One Nation Under A Groove」「(Not Just) Knee Deep」「Atomic Dog」などのヒット曲を世に送り出し、現代におけるファンクのパイオニアとなったジョージ・クリントンとP-Funkだが、彼らが後の音楽に与えた影響は計り知れない。その一つがヒップホップへの影響だろう。

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