【浜田麻里 40周年インタビュー】第5弾:メモリアルな武道館公演で実感した大きな節目 重厚なメタルで表現した確固たる意志や、『LOUD PARK』出演も振り返る

 日本におけるヘヴィメタルシンガーのパイオニアである浜田麻里。2023年にデビュー40周年を迎える彼女は、今も最前線でその圧倒的なハイトーンボーカルを響かせ続けている。リアルサウンドでは「浜田麻里 デビュー40周年特集」と題して、全6回の連載インタビューを展開中。幅広い音楽性の根源や制作拠点の変遷など、40年間を振り返って、ターニングポイントとなった出会いやライブ、各アルバムの制作秘話から、活動に対する赤裸々な苦悩・葛藤まで、貴重なエピソードも交えながら存分に語ってもらった。第5回は、よりヘヴィなサウンドへと傾倒していきながら、数々の音楽フェスや約20年ぶりの地上波テレビ番組にも出演、そして26年ぶりとなる日本武道館公演を成功させた2008年〜2019年ごろまでを振り返る。(編集部)

浜田麻里 デビュー40周年特集

2023年にデビュー40周年を迎える浜田麻里。日本におけるヘヴィメタルシンガーのパイオニアである彼女は、今も最前線で圧倒的なハイ…

松本孝弘との再共演、樋口宗孝の逝去が活動に与えた影響

――デビュー25周年を迎えた2008年7月に『Reflection -axiom of the two wings-』という2枚組のアルバムがリリースされていますよね。これはいわゆるオリジナル作品としては数えられていませんが、その後の流れを考えたとき、すごく重要な作品だったと思うんです。

『Reflection -axiom of the two wings-』

浜田麻里(以下、浜田):はい。『INCLINATION』のシリーズと同じぐらい強い意思を持って作った、コンセプチュアルなアルバムなんです。本当はもっとファンの方にも重要に考えていただいていいところかもしれません(笑)。これは思いっきり違う2枚にしたかったんですよね。その意味での2つの翼=”two wings”なんです。こういう二面性で私は自分のバランスを保っているというか。その翼で『Soar(=飛翔/4月19日発売のアルバムタイトル)』するわけです(笑)。<Disc / wing II>は完全アカペラで、リズムも声で表現していて、打楽器的なものも一切使ってないんです。生声だけで全て仕上げるアルバムをいつか作りたいと思っていて、ようやく実現しました。<Disc / wing I>では「Fantasia」という代表曲も残りましたよね。「Eagle」のサウンド傾向はその後の時代も続いていきましたし、「Revolution In Reverse」はライブでかなり盛り上がりました。

浜田麻里「Fantasia」

――ええ。<Disc / wing I>はハードロック盤とも言えるもので、その冒頭に収録された「Fantasia」では、松本孝弘さんが久々にレコーディングに参加したことが当時も話題になりました。これも何らかの意図があって松本さんにオファーをしたのだと思うんです。

浜田:そろそろ状況を上向きにできるなという直感があったからだと思います。それまでの私を取り巻く環境を考えれば、かなりの低空飛行な感じから、エネルギーが上り調子のイメージになりつつあったというか。その上昇気流の風を強めてくれる人は誰かなって考えた結果だと思うんですよね。

――もちろん、お二人の親しい関係があるゆえに実現したものだと思いますが、一般的な感覚で言えば、B’zの活動でも忙しい松本さんに参加を依頼したところで、なかなか弾いてくれないと思うんです。

浜田:ありがたいですよね。ただ、関係性は昔とあまり変わらないですし、その辺りは正直、皆さんが思うほど実感していないかもしれないです。B’zが売れてからも、たまに一緒に食事に行ったりもしてましたし。私の環境の極端な変化で、周りの誰もが口を閉ざした時期が長かったわけですが、盛り上げの突破口は、やはり私の本質を知る友人たちの協力だったということになると思います。

――<Disc / wing II>も浜田麻里というシンガーの個性を集約させた1枚でありつつ、<Disc / wing I>では、よりハードな音に焦点を絞ったことを歓迎する声も多かったんだろうなと思うんですね。

浜田:そうですね。それは今に繋がる一つの感触を得たところではありましたし、自分の意識の向上に繋がりました。でもまずは、とにかく2つのDiscの差異をなるべく大きくしたかったから、「ハード盤はよりハードにしよう」となったんだと思います。ただ、勘違いしちゃいけないなと思うのは、そこばかりに特化してしまうのもどうかということなんです。ヘヴィでハードな音楽性は自分の大きな個性のひとつですけど、情感系のメロウな感性があってこそ、対比が活きるのだとも思うんですよね。そちらもまた、私の大切な一面なので。その差があればあるほど、自分のオリジナリティが強まるとも感じるんです。リスナーの方々も、表面的にはハード系の楽曲が好きなファンの人たちで占められているように見えるかもしれませんが、実はコアな人たちも含めて、そこはあまり関係ない聴き方をされているようにも思います。私が信じ、発表する作品であれば受け止めてくださる考えの方が、長年の間に増えているんですよ。

――実際に近年の作風にしても、ヘヴィさ一辺倒にはなっていないですからね。

浜田:そうなんですよね。キャリアやアルバム全体の流れを考えたとき、よりグッと作品を引き締めるために、ここぞというところはハード系で押し、エッジを効かせるようにしているんです。ギターのエッジをボーカル以上に立たせるミックスにしてみたりとか。けれどそれに終始しているアルバムではなくて。だから、私のアルバムの宣伝の仕方は難しいだろうなと思いますよ。今回のアルバム(4月19日発売の『Soar』)に関してもそうですよね。「メタルアルバムです!」って紹介されることもありますから。

 もちろん、それも間違いじゃないし、バンドだったら、ある程度は音楽性の範囲が必然的に決まってくると思うんですけど、私の場合はソロシンガーなので、ミュージシャンの人選も自由だし、やろうと思ったら何でもできるわけですよね。(ヘヴィメタルシンガーとして)デビューしたときから、周りの人たちもプロモーショントークに難しいジレンマがあったと思います。

――とはいえ、これ以上は難しいのではないかと思うぐらい十分に音楽性は広いですよね(笑)。

浜田:アカペラをやったら、これ以上はなかなか広げられないでしょうね(笑)。

――もう究極ですよね、声だけですから。

浜田:そうですね。自分の基本形として、ヘヴィ系の女性シンガーの代表として見られることについては、いつの時代も誇りに思ってきました。「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」から始まっていますから。ただ、あまり門戸を狭くしすぎると、自分ではなくなってしまう気がするんです。その“冠”はその後の私をかなり左右したと感じますね。逆に考えると、そういう冠がつかなければ、私はもっとヘヴィに、ヘヴィにと進んでいた可能性すらあります。

――そうかもしれませんね。話は変わりますが、特にデビューの頃には制作に密接に関わっていたLOUDNESSの樋口宗孝さんが、『Reflection -axiom of the two wings-』をリリースした2008年の終わりに亡くなりました。あえて伺いますが、これも麻里さんにとっては重大な出来事でしたよね。

浜田:そうですね。私の世代になると親を看取ったり、私の場合は弟も亡くなっていますから、今となれば……誰もがいずれ経験することですけど、その短い期間だけを取ってみたら、やっぱり相当なショックはありました。それも、一番自分が気を張っているときでしたので。当時、樋口さんがもう長くないかもしれないという話は聞いていましたが、私はちょうどツアー(『25th Anniversary Tour "On The Wing”』)を行っていた時期でした。それを終えたらすぐに会いに行こうと決めていたんです。ところが、札幌公演を終えた翌日、東京への帰路で訃報を受けました。最終日(12月7日の東京・渋谷C.C.Lemonホール公演)までの1週間は葬儀などがあって、苦しい日々でした。最後に顔を見せることすらできなかったことが心残りで、このお仕事の辛さを象徴する出来事となってしまいましたからね。そしてすぐに東京公演となりました。自分は強いと思っていても、身近な人間が亡くなると、人間の精神・メンタルって瞬間的に相当の衝撃を受けるんですね。ただ、その後はやっぱり復活してるんですよ。

――前を向かないと進めないですからね。

浜田:東京でのツアーファイナルの日、周りのみんなは「本当にできるのか?」みたいな感じだったんですよ。みんなが腫れ物に触るような感じだったのは覚えてます。それがコンサートを独特な雰囲気にしていました。

――きっと観客側もそうなんですよね。一体、どんなライブになるのだろうと。

浜田:そうでしたね。天が自分に試練を与えるじゃないですけど、いつもそうなんですよ。弟が亡くなったときも、やっぱり東京のライブの前日だったんですね。でもそのことはスタッフ3人しか知らず、バンドのメンバーにも終演まで隠してました。弟が持っていたドナーカードに沿って病院と夜遅くまでやり取りして。父親のときも、亡くなったのはライブを直後に控えた時期でしたし。人生の在り方や、このお仕事について深く考えるきっかけになる出来事を、人よりも少しだけ早いうちから経験してきたのかなとは思いますね。

――「芸人は親の死に目には会えないと思え」みたいなことを昔からよく言うじゃないですか。

浜田:自分はそういうのは好きじゃないんです。その人の選択次第だと思っているので。「仕事を第一に優先するのが当たり前だ」という考えは日本人特有の古い美学ですよね。自分は結果的にそういう立場を選ばざるを得なかっただけなんです。

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