GOOD BYE APRIL×林哲司「BRAND NEW MEMORY」制作対談 シティポップで繋がる世代を超えたコラボのバックストーリー
GOOD BYE APRILのメジャーデビュー曲「BRAND NEW MEMORY」がリリースされた。作曲&プロデュースは、「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」(杉山清貴&オメガトライブ)の作曲・編曲をはじめ 「真夜中のドア~Stay With Me」(松原みき)、「September」(竹内まりや)などを手掛けるシティポップ界の巨匠、林哲司。GOOD BYE APRILは、昨今のシティポップの流行が拡がる前からニューミュージック、歌謡曲など、日本の70年代~80年代のサウンドに大きな影響を受け、自らのオリジナリティとして昇華してきたバンド。メジャーデビュー曲となる最新曲「BRAND NEW MEMORY」は、夏を感じるエバーグリーンな切ないポップチューン。イントロから、一気にキラキラした切ない世界へ誘われることだろう。
林哲司とGOOD BYE APRILに、同曲の制作秘話を聞いた。(ふくりゅう(音楽コンシェルジュ))
まるで夢のようだった林哲司とのコラボレーション
ーーこれまで良質なポップミュージックを生み出し続けてきたGOOD BYE APRILにとって、敬愛する音楽家である林哲司さんとのコラボレーションは熱いものがあります。
倉品翔(以下、倉品):僕らのA&Rを務めているスタッフの方が、昨年の夏ぐらいにライブを観にきてくれて「林哲司さんプロデュースでデビューしませんか?」とご提案をいただいて。僕らはもともと林さんの楽曲を普段からたくさん聴いてきたバンドなので、こんなにありがたいことがあるのかと驚いたのが最初でした。
林哲司(以下、林):GOOD BYE APRILの音を聴かせていただいた時に、80年代の僕らが追いかけていた洋楽のエッセンスが散りばめられていて良いバンドだなと思ったんです。
倉品:いや、本当に夢かなと思いました(笑)。
延本文音(以下、延本):もしかしたら林哲司さんは林哲司さんでも、同姓同名の別の方なのかなって、こっそりスマホで検索しちゃいました(笑)。それぐらい驚きで。
吉田卓史(以下、吉田):びっくりでしたよ。順番に積み重ねてきたステップを、裏技で一気に飛び超えたみたいな。
ーーGOOD BYE APRILはずっとニューミュージックのカルチャー、サウンドを10年以上積み重ねてきたからこその今な気がします。
つのけん:夢の中にいるみたいでした。竹内まりやさんの「September」が大好きなので光栄でした。
林:僕は世代をあまり意識していないので、コラボレーションできること自体が嬉しかったです。彼らのような世代が、自分の音楽を聴いてくれていて、一緒にやりたいと言ってくれるのは光栄です。僕のようなキャリアだと、逆に疎まれたりしますから(苦笑)。自分たちの場合、ひとつ前の世代に対して距離を置く、という感覚がありました。そんな意味では一緒に作品を作れたことが嬉しかったですね。
ーー音楽は、ひとつ前の世代をいかに乗り越えていくか、みたいなことがありますよね。でもシティポップや歌謡曲リバイバルなどは若い世代を中心に盛り上がっているのがおもしろいポイントです。さらにいえば、GOOD BYE APRILはニューミュージックな世界観をずっとリスペクトし続けてきたバンドですから。
林:GOOD BYE APRILは、僕たちがやってきた音楽と遜色のない作り方を過去曲でもされていて、そんな意味で耳馴染みが良かったです。違和感もなく、それこそ彼らが普通のバンドでシティポップが流行っているからという理由だけで指名されていたら、僕も考えてしまっていたかもしれないけど(笑)。
一同:(笑)。
林:もちろんそうではなく、しっかり僕らの作品を理解してくれている気持ちが伝わったから。あと、バンドサウンドだったので、自分が単に作品を提供するだけではなく、普段と作り方の意識が変わるんですよ。僕もバンド出身なので、今回はメンバーそれぞれの個性をうまく引き出すという、シンガーへの楽曲提供とは大きな違いがありました。
――それは、刺激的なセッションだったということですね。最新曲「BRAND NEW MEMORY」は、どんな経緯から制作がはじまったんですか?
延本:林さんからデモをいただいて、出来上がるまでずっと楽しかったです。私たちとしては、誰かにプロデュースされることが、2013年のミニアルバム以来なんです。これまでは、自分達の力だけでやり続けてきたので。林さんに参加いただいたことで、勉強できることがたくさんありました。あ、こうやって一気に曲が輝くようになるんだ、みたいな瞬間がいっぱいあって。ひとつも逃したくないという気持ちでした。
吉田:ずっといい空気感だったよね。
つのけん:ひとつひとつパーツが仕上がっていく度に、ニヤニヤが止まりませんでした。みんなで一緒に作っている一体感が強くて。林さんが僕らが持っているものを引き出してくれたプラス、新たな扉を開けてくださった楽しいレコーディングでした。
林:2曲書かせていただきましたが、僕の役割としてはアテンションになるものを提供することだと思っていました。制作に関しては、いい意味で考えこむ部分もありましたが、比較的やりやすかったです。それは僕の方で完全なデモを作らなくても、そこを起点に彼らの中で楽曲を料理してもらえたから。今までとは違うプロデュースを意識しました。
ーーバンドならではですね。
林:そうですね。最初はギターで歌ってiPhoneに録音したものを渡して、ニュアンスを伝えました。そこから2~3回打ち合わせをして、アイデアを出し合った後にバンドに作ってもらったデモが僕の中のイメージにも近かったので、それを素材にやっていこうとなったんです。なので「BRAND NEW MEMORY」をシングルに選んだという経緯を、僕は知らなかった(笑)。
一同:(笑)。
倉品:シングル候補は迷ったんですよ。それこそ僕らが作った曲に、林さんにサビを書いていただいた共作もあって。最終的にはみんなの総意となりました。でも、「BRAND NEW MEMORY」のアレンジにはプレッシャーを感じました。
ーーアレンジを一緒に経験したことは勉強になりそうですね。
倉品:もともと僕らは林さんの作品に影響を受けて曲を作ってきたので、いただいた曲ですけど、ちゃんと自分たちの曲として形を作れる自信はありました。結果、いい方向へ進めたと思います。
林:アレンジを決める時はみんなでどうしているの?
倉品:最初、僕がたたき台を作って。
吉田:「BRAND NEW MEMORY」は、たたき台をもらった翌日にスタジオに入って、すぐ仕上げようってなりましたね。
延本:自分のパートを自分が絶対決めるとかではなくって。ドラムに関してもみんなで話し合いながら決めました。上モノは倉品が作ることが多いですね。
倉品:最初スタジオに入った時に、メンバーでディスカッションをして、最終ゴールのイメージを共有しました。もともとソウルっぽい曲をやりたかったんです。奇遇にもそこがメンバーの中でも繋がり、「BRAND NEW MEMORY」のゴールを共有することができました。そこから一旦持ち帰って全体像の見えるデモを作って、個々でやり取りをしながらブラッシュアップしていきました。