Kitri、変化の中に宿るポップスの核心 幻想的な演奏&空間で魅了した『キトリの音楽会#6 “三人姉妹”』初日レポート
Kitriのツアー『キトリの音楽会#6 “三人姉妹”』初日となる東京公演が、12月2日に池袋・自由学園明日館にて開催された。
そう、“音楽会”である。6回目の開催となるこのシリーズツアーだが、Kitriが音を奏でる場所はライブやコンサートよりも、音楽会という呼び名が一番しっくり来る。それはピアノ連弾というKitriの演奏スタイルはもちろん、会場そのものも大きく関係している。これまでの東京公演を振り返ってみても、JZ Brat SOUND OF TOKYO、品川教会 グローリア・チャペル、ARK HILLS CAFEなど、いわゆるライブハウスではなく、その場所自体の趣深くておしゃれな雰囲気も含めて楽しめる会場が多かった。今回の自由学園明日館も、アメリカの名建築家 フランク・ロイド・ライトが設計し、重要文化財に指定されている建物である。実際に客席に座ってみると、まるで教会にいるかのような気分になる一方、天井には枝葉を伸ばす木々の影絵が映されているなど、どことなく“和”の雰囲気も感じられる、奥ゆかしい空間が広がっていた。一見シンプルなデザインだが、一筋縄では行かないもの作りがなされているという点では、まさにKitriと同じ。音楽を心ゆくまで堪能するために、今回も抜かりない会場選びだ。
また、今回のツアーには“三人姉妹”という副題がつけられており、レコーディングや過去の『キトリの音楽会』でも共演歴のある、チェロ奏者・吉良都を加えた三人編成で演奏が行われていく。“姉妹”というのはKitriを語る上で重要なキーワードで、MonaとHinaの阿吽の呼吸があるからこそKitriの音楽が成立しているわけだが、そこにツアー中だけとはいえ、もう一人の“姉妹”が加わるということは、サポートメンバーとしてではなく、正真正銘メンバーとして吉良を迎え入れるような感覚が強かったのだろう。ツアーごとに編成を変えてきたKitriだが、今回は副題を見るだけでも、これまで以上に有機的に絡み合うアンサンブルを味わえるのではないかという期待が高まる。
迎えた開演時刻。ゆっくり天井照明が落ちていくのと同時に、ステージ後方のライトが青白く点灯し、Mona、Hinaの2人が登場。オープニングはジャン・シベリウス作曲によるクラシック曲「樅の木」だ。続けて「未知階段」を弾き始めると、楽曲に合わせてステージライトが赤く点灯。端正なピアノと抜群の歌のハーモニーを聴かせ、まずは2人編成で、Kitriの核である息の合った連弾を披露してみせた。
ここで最初のMCとともに、吉良がステージに登場。Monaが「今回は“三人姉妹”ということで、なんとか姉妹になるために(三人合わせて)前髪を切りました(笑)」と語った通り、お揃いの真紅の衣装と髪型でステージ上に立つ三人は、さながら本物の姉妹のよう。そんな三人で最初に演奏された曲は「一新」。音源ではピアノと歌だけで演奏されているが、そこに幽玄なチェロの響きが加わることで一気に視界が開け、歌のハーモニーがどこまでも伸びていくような快感を味わうことができた。まるで冬の季節を飛び越えた、春の息吹のような温かいアンサンブルになっていて、〈解き放つことから 始まるから〉という歌詞も、ますます表現性を拡大していくKitriの音楽そのものを指しているのだと改めて感じられる。
吉良がクラリネットを吹いた「生きるすべ」では、Hinaがマラカスを鳴らして間奏パートに味つけを施していく。さらに「人間プログラム」ではHinaがステージ中央に立ってボンゴやサンプラーを、続く「リズム」ではアコーディオンを演奏し、さまざまな楽器を操るHinaの持ち味を発揮していく。
そして『キトリの音楽会』では定番になっているカバー曲のパートへ。まずはこの季節にピッタリの1曲で、以前も披露したことがある「いつかのメリークリスマス」(B’z)。メランコリックなピアノのイントロに、雪のように切なく絡み合っていくチェロの音色が情景を描き出し、その間を泳ぐMonaのボーカルの美しさにも息を呑む。カバー2曲目の「水色」(UA)も素晴らしく、サビを大胆に彩っていくチェロを聴いても、この“三人姉妹”編成ありきの選曲とアレンジなのだということが伝わってきた。昨年、『キトリの音楽会 #4 “羊飼いの娘たち”』を恵比寿 ザ・ガーデンホールで観た時には、ホールに最適な音像へとスケールアップしていることに驚いたが、今回も自由学園明日館の空間にしっかり馴染むような、距離感の近さと荘厳さを合わせ持った演奏に変化していることには、ただ感嘆するばかりだ。
「いつかのメリークリスマス」がクリスマスの煌びやかな側面だけでなく、別れも想起させる曲であるように、あるいは「水色」が闇の中にある小さな光や、遠い距離を超えて届く想いを信じる曲であるように、どちらも単に明るい/暗いだけでは割り切れない、淡い心情を描いているという点では、Kitriの音楽と通ずる部分があるだろう。また、B’zもUAも音楽性や編成を時代ごとに変えながら、どこまでもポップアーティストとして一流であり続けていることを思うと、実験的でありながらもポップスとしての人懐こさを忘れないKitriのアティテュードは、B’zやUAと根底で共振しているのかもしれない。改めて、MonaとHinaが伝えたいことが鮮明に手元まで届いてくるようなカバーの選曲だ。