「大阪・関西万博ラッピング列車」テーマソングでも話題 株式会社ロブ 香山達也が語る、大阪からアジアへ向けたエンタメの発信

 2025年に開催される『日本国際博覧会』(略称:『大阪・関西万博』)に向けて、大阪・関西万博ラッピング列車“EXPO TRAIN 2025大阪モノレール号”の運行がスタート。11月7日に出発式が行われ、音楽プロダクション 株式会社ロブの全面プロデュースによる完全オリジナルのイメージソング「We are」も披露された。

 株式会社ロブは大阪を拠点にアーティストマネジメント、イベントや楽曲制作などのエンターテイメント事業を行っており、「We are」は同社代表の香山達也(TATSUYA)全面プロデュースのもと、歌唱は同社所属のG.U.M(ガム)、WITHDOM(ウィズダム)、AGE(エイジ)、Ufor(ユウホ)の全4組のアーティストが参加している。

 リアルサウンドでは、株式会社ロブ代表取締役 香山達也氏にインタビュー。株式会社ロブが日々どのようなエンターテインメント業務を行っているのか、そして大阪を拠点に活動を行い今回「We are」の制作に至った背景、同社がこれから見据える未来などについて語ってもらった(編集部)。 

アーティストから経営者へ、波瀾万丈のキャリア

ーー今回のインタビューは大阪・関西万博ラッピング列車「EXPO TRAIN 2025 大阪モノレール号」のイメージソング「We are」はどのようにして生まれたのか? そして楽曲を制作した株式会社ロブとは、どんな会社なのか、プロデューサーとしてどのような考えで音楽に携わっているのか、を紹介したいと思います。代表を務める香山達也さんはロブを立ち上げる前、アーティスト活動をされていたんですよね?

香山達也(以下、香山):僕が二十歳頃の2003年に音楽活動を始めました。クラブシンガーからキャリアをスタートさせたんですけど、その前から音楽はやっていて。当時流行っていたL’Arc〜en〜CielやGLAYに影響されてバンドをやってみたり、同時期にHi-STANDARDとかメロコアも流行っていたので、そういう系統のバンドもやりました。ただ、自分の声質的には合っていないかもと思っていたんですよ。そこから高校時代にCHEMISTRY、EXILE、平井堅さんなどのR&B系のシンガーが流行りだして。そんなタイミングにDJをしてる先輩に誘われて、大阪のJOULEというクラブに行った時に、初めてライブを観て「カッコいいな。こっちのジャンルをやってみたいな」と思ったんですね。それで先輩に「俺もステージに立ちたいです」と言ったら「じゃあオリジナル曲を作ってこい」と言われて。それまで曲を作ったことがなかったので「どうやったらいいんですかね?」と聞いたら「自分で考えろ」って(笑)。そこから小さい機材を買ってオリジナル曲を作り、クラブで歌い始めました。

ーー当時はクラブシンガーとしての成功を夢見ていたわけですか。

香山:高校卒業後は音大に進学して、作曲学科かピアノ科に入りたかったんですけど、そのスキルがなかったので声楽科に入ったんです。その時から音楽で成功する自信はあったんです。ただ、当時で言うとクラブ時代からお世話になっていた先輩にJAY'EDくんがいて。まだメジャーデビューする前だったんですけど、そういう人たちを近くで見て「この人と同じジャンルで歌ってても勝てないな」と、20、21歳ぐらいの時に感じました。その時ぐらいから自分が出来ることは何か、みたいなことを本質的に考えるようになりましたね。

ーー早くして実力の差を感じていたということですけど、20代の後半はどうだったんですか。

香山:それでも根拠のない自信と言いますか、先ほどもお話したように「音楽で飯を食う」という漠然とした目標があって。それを叶える方法が歌しかなかったので、無我夢中でやっているうちに、23歳くらいからアーティスト仲間の楽曲をプロデュースしたり曲を書いたりすることがだんだん増えて。いろんな縁もあって、当時EXILEのボーカルオーディションが、全国的に広まる前にLDH(※EXILEの所属事務所)の方々とお会いする機会があって。そこで作家として事務所と契約していただいてお世話になっていたんですよ。そこから紆余曲折があって、東京でアーティストとしてやってみよう、と。30歳までに自分の中ではEXILEに曲を書くっていうのが目標だったんです。結局は自分の描いたライフプランからズレて、決めた目標を叶えられなかったのが、初めての挫折でしたね。

ーー大阪を離れて東京で音楽活動をしようと思ったのはどうして?

香山:上京に関しては、自分のルーツにも繋がるんです。ウチは母親が片親で育ててくれて、おばあちゃんと3人で実家暮らしをしていたんですね。で、たまたま3軒隣に住んでいるファミリーと家族ぐるみの付き合いになり、たびたび食事へ行くようになりまして。そこのお父さんが一代で会社を築かれて、今も大きな会社を経営されている方なんです。ある時「最近は何してるの?」と聞かれて自分の現状を話したら「そうか。東京に行こうと思うんやったら、その時は俺に言ってな」なんて話してくれていたんです。で、いろんなきっかけがあって、東京へ出ようかなと思ったタイミングで「僕、出ようと思ってます」と伝えたら、次の日に名刺を渡されて。その東京へ出るタイミングから5年ぐらいスポンサー契約を結んでいただいたんです。家族ぐるみでお付き合いさせていただいていた方でしたので、東京に出ることを報告しに行っただけだったんですが、まさか活動をサポートしてもらえるなんてことは思ってもなかったですね。

ーーえ、いきなりスポンサー契約!?

香山:世の中にこんな人がいるんだ! と驚きましたね。僕の結婚式で来賓のスピーチをしてくださったんですけど、その時に「バイタリティとか、野望を感じる目を持ってるから、あとは金だけやな! 金でつまずくようなことはさせたくない」と言ってくださいました。全部を支援してもらったわけではないですけど、5年間に渡ってアーティスト活動を補助していただいて。「とりあえず大阪を出て、いろんなものを見て自分の人生の糧にせい!」みたいな感じで背中を押してもらいました。

 ただ活動する中で、いろんな葛藤もあったりだとか、アーティストとして歌うことよりも……みたいな気持ちが強くなっていたりとか、僕が30歳の時に親が癌になったりして。そこでいろんなことを考えて、自分がやりたいことを見つめ直した時に、前から興味があった経営に気持ちが向いたんです。それでスポンサーの方に相談したら「たっちゃん自身がそう信じてるのなら間違ってないから。迷わんとしっかりその道を走りなさい」と言われました。クラブで歌い始めるきっかけの時もそうでしたけど、自分が信頼して指示を仰いでる方に言われたことは、一旦やるっていうのが僕のモットーなんですよ。だから自分なりに会社の作り方を調べたり公証役場へ行ったりして。会社を1回作って「そこで経営とは?」みたいなことを学んでいった上で、今のロブの形を考え始めたのが30歳でしたね。

ーー2015年にロブを立ち上げられますけど、起業する直前の2014年には相川七瀬さんの主催イベントに出られたり、フルーツポンチさんと一緒にトークライブをやられたりして。

香山:ハハハ、むっちゃ調べてくれてますね。フルポンさんを入れた芸人さん4組と、僕を含めてアーティスト4組を掛け合わせた合同イベントをやろうと。それも学生時代からの友達に、吉本興業さんの社員をしていた子がいて。その子と再会した時に「こういう形で、こんな座組みでやったら面白いんじゃない?」と言ったらそれが通ったんですね。

ーー個人としても面白い活動をされていましたよね。現役ミュージシャンで音楽のプロダクションを立ち上げられる人の中には、自分を売り込みたいという方もいらっしゃいます。ロブに関してはどうでしょう?

香山:まず、会社を作る時点でアーティスト活動は辞めるつもりでいました。スピリチュアル的な意味ではなくて、未来が見えるんですよ(笑)。会社を始めてから特にそうなんですけど、自分の未来だったり世界の未来だったりとかが、パッと見えるんです。そんな中、アーティストとして自分が大きくなるビジョンは見えなかった。ただ、当時のエンターテインメントシーンを見た時に、大阪に会社を作って事業をしたら成功できるなと思ったんです。それと自分がやりたいことができるなって。

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