DUSTCELL、『明日、私は誰かのカノジョ』ED曲に集まる共感の声 “人間の暗部”を捉えたソングライティングの妙

確固たるソングライティングのセンスが武器

 今回の「足りない」は、ドラマとの繋がりだけでなく、単純に曲としても面白い。

 序盤のビート主体のサウンドの上で急上昇するメロディは耳に残り、クセになるものがある。サビでの流れるような旋律も思わず口ずさみたくなるようでメロディアスだ。全体的にリズムを自在に乗りこなす奔放さからは、この歌の主人公の“行きずりな生き方”を彷彿とさせるし、EMAによる終始上ずったボーカル表現からは、いつになっても満たされない気持ち、あるいは〈あぁ 本当の自分/マトリョーシカのように閉じ込んだ〉とあるように、自分自身を隠して生きる主人公の心の叫びが表れているようにも思える。

 このように「足りない」は、独立した一つの曲としても十分に楽しめる作りをしている。その上でドラマとの相性の良さがあるため今回のような反響が生まれているのだと考えられる。昨年リリースした2ndアルバム『自白』でもMisumiの作曲力とEMAの表現力は冴え渡っていた。DUSTCELLの活動が多岐に渡るのも、こうした確固たるソングライティングのセンスがあるからこそなのだろう。

 揺るぎない楽曲の力を武器に、今後多角化していくDUSTCELLの活動に期待は高まるばかりだ。

DUSTCELL「足りない」

■リリース情報
DUSTCELL「足りない」
MBS/TBSドラマイズム「明日、私は誰かのカノジョ」エンディング主題歌
https://lnkfi.re/dustcell_TRN_220601

DUSTCELL HP
https://kamitsubaki.jp/artist/dustcell/

関連記事