新しい地図はテレビ史で欠かせない存在に 現在の活躍に繋がる各番組のハイライト

 今年4月からレギュラー放送がスタートした、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾による番組『ワルイコあつまれ』(NHK Eテレ)。同番組は社会、経済、歴史などについて笑いをまじえながら学んでいく教育系バラエティで、アカデミックさと脱力感のバランスが心地良い内容となっている。堅すぎず、柔らかすぎずの絶妙な雰囲気を醸し出せるワケは、企画内容もさることながら、番組をまとめている稲垣、草なぎ、香取の役割も非常に大きい。彼らの経験値の高さをあらためて実感することができる。

 3人はこれまで、あらゆるカラーの番組に出演してきた。なかでもSMAP時代の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)は、現役アイドルがパフォーマンスからコントまでやる内容で、1990年代以降の日本のバラエティ番組の新しいモデルケースを作ったと言ってもいいだろう。

 過去には新御三家の郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、そしてたのきんトリオらも番組でコントを披露していたが、あくまでメインは歌とダンス。しかし『SMAP×SMAP』は、『夢がMORI MORI』『SMAPのがんばりましょう』(どちらもフジテレビ系)を経たSMAPが、本腰を入れてコントに挑んで笑いを取りにきたのだ。しかもそのなかから名物キャラクターも多数登場した。歌、トーク、ゲームコーナー、そしてコント。1時間番組とは思えない内容の豊富さと濃さが彼らを育んだと言っても過言ではない。

 そういった場数の多さがバックボーンにあったからこそ、新しい地図の3人は、2019年大晦日『絶対に笑ってはいけない青春ハイスクール24時!』(日本テレビ系)でも体当たりのキャラクター設定で登場し、大爆笑をさらうことができたのではないだろうか(あのセルフパロディの衝撃は忘れられない!)。

 そこで今回は、新しい地図の個々のエポックメイキング的なテレビ出演番組を挙げていきたい。

稲垣吾郎の本音が漏れた『Goro's Bar』

 稲垣は、まずドラマ『東京大学物語』(1994年/テレビ朝日系)をピックアップしたい。江川達也の人気漫画を原作とした同ドラマで稲垣は、成績優秀&スポーツ万能で誰からもリスペクトされ、何があっても動じない一方で、実は下心に惑わされている主人公の高校生・村上直樹に扮した。

 稲垣はクールで知的な人物像で語られることが多いが、そのイメージを老若男女まで広く意識づけたひとつのきっかけが、『東京大学物語』での村上役にあったのではないだろうか。劇中、東大受験の前日に浮気をしてしまい、寝不足で頭を振りながら答案用紙に向かう稲垣の芝居が印象的で、不合格を突きつけられるラストはイチ視聴者としてもショックを受けた。

 また、2004年10月から2009年3月まで放送されたバラエティ『Goro's Bar』(TBS系)もおもしろく鑑賞していた。数々の修羅場をくぐり抜けてきた女性らが流れ着く老舗高級クラブを舞台に、ゲストを“面接する”という設定でトークなどを進行していく内容だ。稲垣はオーナー役をつとめ、青木さやか、友近といった個性の強い女性芸人に囲まれながら、出演者たちの恋愛体験や物事の価値観などに耳を傾けた。

 なかでも高校の同級生だった高橋由美子が出演した回は見応えがあった。2013年12月『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル 2013』(日本テレビ系)でも語られていたが、稲垣は高橋のことを高校時代「ちょっと好きだった」と言うほど、少しばかり特別な感情を持っていたと明かされた。一方で、当時から高橋に頭が上がらない稲垣の様子も新鮮で、ふたりの青春時代の甘酸っぱさが漂ってくる回だった。『Goro's Bar』は、そうやってふとした瞬間に稲垣の本音が漏れるところが興味深かった番組だ。

日韓文化交流の架け橋となった草なぎ剛の『チョナン・カン』

 草なぎは何と言っても長寿バラエティ『「ぷっ」すま』(テレビ朝日系)だろう。1998年10月から19年半、ユースケ・サンタマリアとの“なぎスケ”コンビで番組をまわし続けた。

 ゲストをまじえながらさまざまな対決を繰り広げたが、なかでも名物企画として知られたのが、危機的状況に置かれた際の心拍数の上がり具合を計測する「芸能界ビビリ王決定戦」だ。ある事件の真相を探る回で、犯人に仕立てあげられた草なぎが、アドリブを含めながら“言い訳”をする姿には大笑いさせられた。

 ほかにも記憶力のみを頼りにアニメキャラクターなどの似顔絵を描く「新・記憶力絵心クイズ」などが誕生。バラエティ好きにはたまらない番組だった。

 2001年4月から9年間放送された『チョナン・カン』(フジテレビ系)は、彼にとってタレントとして分岐点にもなったバラエティである。ちなみに番組名となった“チョナン・カン”は、草なぎ剛の韓国語読みだ。日本で韓流ブームが起きる直前であり、韓国ではまだ日本のカルチャーに厳しい目が向けられていたタイミングで番組がスタート。番組が進むなかで、草なぎは通訳なしで会話できるようになるほど韓国語をマスター。また何度も韓国を訪れて、徴兵制や生活のあり方についても探求し、私たちにさまざまな情報を届けてくれた。

 同番組は、草なぎが「韓国でスターになること」がコンセプトだったが、実際に現地でも脚光を浴びている光景が報道された。2002年にはサッカーの日韓ワールドカップが開催されたが、そういった背景を踏まえると、チョナン・カンが日韓の文化交流において果たした役割は大きいとされている。

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