クボタカイ、歌詞に投影された“恋愛=音楽”という思想 他者との共同作業がもたらした創作活動における発見
クボタカイとはラッパーなのか、シンガーソングライターなのか。そのような分類はもはや意味がない。確かに彼はフリースタイル出身のスキルフルなラッパーであり、同時に美しいメロディを紡ぎ歌うシンガーソングライターでもある。だがそれ以前に彼はどこまでも自分自身に正直に言葉を紡ぐリリシストであり、溢れる情熱を音符に注ぎ込むミュージックラヴァーだ。そして今クボタは、その本質に真正面から向き合っている。
これまではDJセットでライブを行なってきたクボタが、初めてバンド編成でワンマンライブ『シン·クボタ』を開催したのが今年3月22日。それから彼は「ナイトイーター」、そして「ひらめき」と新曲のリリースを重ねてきた。片やハードなトラックに乗せて韻を踏みまくる「ナイトイーター」、片やライブメンバーとのセッションによって生み出された「ひらめき」と、サウンドスタイルは対照的だが、どちらの曲にもクボタカイというアーティストの音楽への強い想いが滲んでいる。彼は今どんな未来を見据え、どこに向かおうとしているのか。『シン·クボタ』から新曲群、さらには話題となっている楽曲提供の裏側まで、じっくりと聞いた。(小川智宏)
音楽って人間なんだなと思いました
ーー3月22日に行ったワンマン『シン·クボタ』。初めてのバンド編成でのワンマンライブでしたが、あれを経てクボタさんの中ではどんな変化がありましたか?
クボタカイ(以下、クボタ):今まで僕の人生で、バンドセットでライブをやることが初めてだったので、ベタだけど、やっぱり楽しいなというか、バンドっていいなっていう純粋な気持ちが生まれました。やろうと思えばいろんな表現ができるなと思いましたね。
ーーリスナーとしてはバンドの音楽にもたくさん触れてきたと思います。実際にやる上で、バンドで音を鳴らすことの一番のメリットはどういうところにあると思いますか?
クボタ:やっぱり生音、人が弾いてるものだから、プレイヤーのテンションもあるわけです。僕の気持ちがぱっと上がったら、ギターのリフで向こうも上がっているのが伝わって、ドラムもちょっと気持ち良くなってきて、僕もさらに1段上がって。それをお客さんがなんとなく感じて空気がギュッと締まる。すごく生というか、音楽って人間なんだなと思いました。ある種、フリースタイルをしていた時期の自分に戻った気もしたんですよね。
ーーというと?
クボタ:フリースタイルってバトル相手とのキャッチボールですから。一緒のベクトルを向いてる中で、相手がいて、それを受けて自分が返すっていう。バンド編成でのスリリングなやりとりは自分にとってもプラスになったし、すごく発見がありました。
ーーバンド編成で「ひらめき」を作ったことによって、楽曲作りの部分で発見したことはありますか?
クボタ:「ひらめき」は、もともと僕の頭の中で鳴っていたものだったんです。それを1人のトラックメーカーではなく、いろんな人がいる中でそれぞれのひらめきで作るっていう工程を僕はしたことがなかったんですよ。たとえばミックスの現場に立ち会うことも、僕はずっと宮崎の家でやっていたから実はなくて。だから人とクリエイトする選択肢が新たにできたんですよね。すごく、勉強になったという言い方が正しいのかな、純粋に楽しかったのもあるし、こういうやり方もあるんだって。もちろんプロの方とやらせてもらっているので、刺激しかなかったですし。「ひらめき」を録りながら別の曲も作りたくなっちゃうぐらいでした。
ーーその空間や体験自体が刺激だったんですね。クボタさんは基本的には宮崎で1人で音楽を作っていて、その中でもいろいろな人とやりとりをしながら曲を作る場面はたくさんあったと思うんですけど、ここ最近はそれがどんどん広がっていると思うんです。そのあたりは自覚的にやっているんですか?
クボタ:自覚的ではあります。やっぱり聴いてくれる人を増やしたい気持ちもありつつ、僕は詞の人間と言われることが多いので……歌詞が心をつかむものだとしたら、メロディは振り向かせるものだと思うんです。まずは振り向かせてからだと思ったので、メロディを強化しようというか、たくさんの人に聴いてもらえるように、よりポップにしようと。そこをもうちょっと広げようと思っている時期なので、それが「ひらめき」とか最近の活動には出ていますね。でも軸自体は変わらずというか、ちゃんと歌詞でぶっ刺したいし。ある種、“好きもの”じゃない人たちにもぶっ刺したいので、言葉選びも少し変わってきているというか、ちゃんとわかる言葉にしたいなとも思っています。でもまずはサウンドのほうを広げているというか。
歌詞ってすごく“裏アカ”的なものだと思う
ーー広げるという意味では、去年から楽曲提供も増えています。そうした提供楽曲を聴いていても、クボタカイらしさを出しながらも寄り添うような、すごく絶妙な仕事をしている感じがします。クボタ:楽曲提供は、すごく好きです。自分で言うのもあれですけど、たぶん向いているのかなとも思ってます。っていうのも、フリースタイルでラップをしていた時代に、即興のお題でフリースタイルをしたり、ずっとしていたので。それって楽曲提供のときの「こういうふうな曲を作ろうと思ってるんだけど」みたいなリクエストにすごく似てるんです。でもやっぱり何がいいかって、自分以外の人が歌うので、ある意味、自分から言葉の責任が離れるというか。自分じゃ言えない言葉を言えるし、曲の表情も、自分が歌ったデモともまた変わるし。勉強になることも多いですけど、すごく楽しんでますね。
ーーたとえばadieuに提供した「穴空きの空」とかを聴くと、歌詞には意外とクボタカイらしさのある一面が出ているような気がするんですけど。
クボタ:そうですね。あの曲はチューニングが“クボタカイ純度”が高いなと自分でも思います(笑)。まずYaffleさんのアレンジが素晴らしくて、プラスadieuさんの歌声。同じ言葉なのにこんなに世界観が変わって聴こえるんだっていうところもありつつ、やっぱり人が歌うので、自分の歌をあげるというよりも、ちゃんとその人が歌うんだって思って1曲ずつ取り組んでます。歌う人によって曲の色合いも変わるし、あれはあれでしか作れないというものだと思っていますね。
ーーそれは逆にいうと、adieuが歌うから、Yaffleがアレンジをするからという部分で引き出されたクボタカイらしさがあるのだと思うんです。クボタカイはたくさんの武器を持っているわけですけど、相手や曲、タイミングに合わせてそこからどれを出していくか。そういうのがすごく整理されているのかなと。
クボタ:楽曲提供でも自分の曲でも、このビート、その人に対してどれが最適かなっていうのをまず考えるという意味では棲み分けはしているようで、していないかもしれません。メロはしていますけど、とくに歌詞については、芯がちゃんとありつつ、言いたいことをはっきり言うとか。それはもともと僕がヒップホップから音楽に入ったので……ヒップホップってすごく一人称の音楽じゃないですか。たとえば有名な〈俺は東京生まれHIP HOP育ち〉(Dragon Ash「Grateful Days」)。あれってZeebraさんが言うから成り立っているわけであって、ポップスでそれはできない。それがヒップホップだなと思うし、だから僕も歌詞を書くときには自分視点の話じゃないと書けないし、曲を作る責任もあるから嘘はつきたくない。でもちゃんと伝わるようにしていきたいなっていう感じですね。
ーー一人称的な歌詞を、いかにポップスとして聴かせるかということですね。
クボタ:究極、歌詞ってすごく“裏アカ”的なものだと思うんです。その人の本当の心のつぶやき、たとえば失恋したとか愚痴ったり、きれいな花を見つけたら「きれいな花があった」とか、別にそれは人に言うことでもないけど、自分は感動したから書いたとか。一人ひとりそういう心を持っているので、僕の一人称でも絶対に響く人には響くというか、わかる部分はあると思うんですよね。だからわかってもらおうというよりも、自分の心をちゃんとわかりやすく言葉で整理しようというポップス観で、変な脚色はする気もないし。今はメロディでいろんな人に掴みかかって、いろいろな人に聴いてもらいたいなというのがありつつ、だったら歌詞ももうちょっと、ちゃんとわかりやすくしたいなと思っています。