烏屋茶房×YASUHIRO、東方Projectやボカロカルチャーが息づくJ-POPシーンの現在 「壁がどんどんなくなってきてる」
昨今のJ-POPやアニメ、VOCALOIDシーンなどで活躍するクリエイターが所属する音楽事務所「TOKYO LOGIC」。2012年に設立して以降、ヒゲドライバーや烏屋茶房、emon(Tes.)といった看板作家をはじめ、YASUHIROやアオワイファイといった新鋭クリエイターも続々後に続いている。
リアルサウンドでは、同音楽事務所から烏屋茶房とYASUHIROの対談を企画。世代はそれぞれ異なるが、源流が「東方Project」にあったり、ボカロPとしても活動を行うなど、音楽作家としての共通点が多い二人。そんな両者に、自身の音楽キャリアを語ってもらうと同時に、昨今注目度が高まるボカロ曲や、根強い人気を誇る「東方Project」など、シーンを広く見渡したトークをしてもらった(編集部)。
両者が初めてVOCALOIDに触れたきっかけ
ーーおふたりはこれまで接点などはあったんですか?
烏屋茶房(以下、烏屋):実はそこまでなくて。この会社にYASUHIROさんが合流しますっていうことになって、そこで初めましてというような感じでした。
YASUHIRO:それまでは烏屋さんのファンでしたからね。
烏屋:自分がそんな風に言われるとは思っていなかったです。それで、合流したときに「そらるさんとやってた人だ」と。
YASUHIRO:ああ、そこから知っていただけてたんですね。何の曲で知られているかって本当に分からないですね。
烏屋:そうですよね。自分もボカロPというイメージよりも、他のことをやってるイメージの方が強いんじゃないかなって思ったりしますし。ボカロを中心にやってたときも、「東方の曲を聴いてました」って言われて、「ええ、嘘でしょ?」みたいになったことがあったので。
YASUHIRO:東方で活動されてたっていうのは今の事務所に入るまで知らなかったんですよね。結構びっくりして。
烏屋:古参という感じですけど。動画は全部非公開にしてます(笑)。
ーーボカロに出会ったタイミングというのはそれぞれいつ頃だったんですか?
烏屋:僕は高校3年くらいになってから、ようやく家にまともなネット環境ができたんですよ。そのときに友人にこの曲ギターで弾きたいからタブ譜取ってくれない? と言われて。その曲が、東方との出会いでもあるんですけど岸田教団&THE明星ロケッツの「LotusLove」で。それをYouTubeで調べている間に、ボカロ曲とも出会うみたいなことがありましたね。ボカロ曲を投稿するようになったのは、大学生になって入ったサークルの友達がボカロ投稿をやってるって言っていたので、じゃあ自分もやってみようっていうのが始まりでしたね。どっちもすでにに干支が一周している話なんですけど(笑)。
YASUHIRO:ボカロ聴き始めた頃って何が流行ってました?
烏屋:「メルト」があったかなみたいな、それくらいですね。大学生になった頃は「炉心融解」とかの頃だったと思います。YASUHIROさんはどうですか?
YASUHIRO:俺も最初は「メルト」なんですけど、聴いたのは多分中学生とかなんですよね。中学校の給食の時間に、自分の好きな曲を流す文化みたいなのがあったじゃないですか。そこで、「メルト」を流した子がいて。でもそのときは「何この声」って、結構ネガティブな印象で。そこから高校になって、ジミーサムPさんの「from Y to Y」の歌ってみたを聴いて。だから歌ってみたから入ったんですよね。「最初は機械の音でちょっとよく分かんなかったけど、人が歌うと全部いい曲じゃん」って気付いて。それで徐々にボカロの原曲の方に移っていきました。それが高2、高3くらいで、そのときに丁度プロジェクトブームみたいなのが起こったんですよ。僕が一番大好きなじんさんの「メカクシティデイズ」だったり、トーマさん、kemuさんがめちゃくちゃご活躍されてた時代が僕の中での全盛期で。そこからふつふつとボカロ曲を作りたいなっていう欲がでてきて、大学の頃にようやくボカロデビューっていう流れでしたね。
烏屋:じゃあ本当にひとつ世代がずれている感じですね。僕らが曲を投稿して、いい感じにシーンが盛り上がってきたかもっていうときにプロジェクトとかが流行っていた時期だと思うので。
ーーおふたりとも、ボカロとの出会いはニコニコ動画ではなかったんですね。
YASUHIRO:そうですね。「from Y to Y」とかは、本当はだめなんですけど最初はYouTubeの転載とかを見た気がするんですよね。そこから徐々に元を辿っていって、ニコニコがメインの場なんだなっていうのを知って。ニコニコを張ってたら新曲が聴けるんだなっていう流れだったと思います。
烏屋:自分もそうだったと思います。
「元を辿れば東方や同人音楽の文化から色々引き継いでいる」(YASUHIRO)
ーー東方との出会いはいかがですか? 烏屋さんは岸田教団がきっかけというお話がありましたが、YASUHIROさんはどうでしょう。
YASUHIRO:僕は東方が先なんですよね。中学校2、3年くらいのときに、MAD動画が流行っていて。デスノートのMAD動画があって、それが面白かったんですけど、見るたびにこの曲すごく格好いいなっていうのがあって、調べたら「ネイティブフェイス」っていう洩矢諏訪子(東方Projectに登場するキャラクター)の曲で。それから東方ってなんだろうっていうところから調べたりしましたね。
あと僕は東方がきっかけでDTMを始めました。それまでは音楽作るのってめちゃくちゃ高度なことなんだろうなって思っていたんですけど、東方だったりボカロの同人音楽ってみんながみんなプロなわけではないじゃないですか。趣味でやられている方が大半だと思うんですけど、そのことを東方で知ったんですよね。それでやってみようと。僕はビートまりおさんが大好きなんですけど、当時はビートまりおさんの「ナイト・オブ・ナイツ」みたいなのを作ろうとしていましたね。
烏屋:めちゃくちゃ流行ってましたもんね。
YASUHIRO:本当に。今でも音ゲーに収録されるくらい有名な曲ですけど、ああいうアップテンポな16分フレーズのシンセがすごい衝撃的で。あんなの作りたいなっていうのから入ったんですけど、まあかなり苦戦しましたね。
烏屋:J-POPには16分のめちゃくちゃ早いフレーズとかってなかった時代ですもんね。
YASUHIRO:そうなんですよね。烏屋さんは、岸田教団さんをメインに聴かれてた感じですか?
烏屋:自分はTaNaBaTaのあにーさんに影響を受けたかなと思います。高校生のときはDTMですらなかったんですけど、MTR(マルチトラックレコーダー)っていうノートくらいの大きさでフェーダーとかがついた機材で全部完結させて録音してましたね。
YASUHIRO:TaNaBaTaさん、めっちゃ好きです! 僕、あにーさんがきっかけでずっとジャズマスターを使っているんですよ。
烏屋:そうなんだ! めちゃくちゃ意外(笑)。
YASUHIRO:そうなんです。いいですよね、TaNaBaTaさん。当時は東方ロキノンアレンジって言われてた。
烏屋:そうそう。
YASUHIRO:東方自作アレンジのタグ文化、よかったですよね。
烏屋:うん。他にもこういうのをやってる人がいるんだってタグを巡るのをそこで覚えた気がします。
YASUHIRO:あとは同じくビートまりおさんで、東方Projectの原曲とBUMP OF CHICKENの曲のマッシュアップを作られてたりしていたんですよ。あれがすごく面白いなって思って、その感覚でボカロ界隈に行ったら、結構これが似てるぞとかこれはあれなんじゃないかって風当たり強くて、その違いは当時びっくりしましたね。今は和らいだイメージがあるんですけど、当時はバチバチなイメージがありました。
烏屋:そうですね。パクリ問題みたいなのがすごくあった時期。
YASUHIRO:東方の方がそういうのが面白いって受け入れられていて。だから好きなアーティストの真似をしてみるとか、取り入れてみるみたいな心理的なハードルが結構低いというか。今でも曲作るときは最初は真似ごとから入ったりしますし、元を辿れば東方とか同人音楽の文化から色々引き継いでいるんだろうなって思いますね。
烏屋:その感じ分かります。