Red Hot Chili Peppers、黄金時代を支えたジョン・フルシアンテとの歩み 復帰後初アルバム&ツアーで高まる新章への期待
いよいよ、Red Hot Chili Peppers(以下、RHCP)が動き始めた。世界最強のスタジアムバンドの稼働は、コロナ禍で打撃を受けた世界中のエンターテインメント業界復活の狼煙と、多くの注目が集まっている。
まず驚かされたのは、昨年9月にメンバーがニュースキャスターに扮してTVショーをパロディした映像で、2022年6月4日、スペイン・セビリアより始まるワールドツアーを発表したところから。残念ながらここに日本は入っていなかったものの、ヨーロッパ、北米を9月18日テキサス州アーリントンまで回る全32公演で、サポートアクトがベックからThe Strokes、セイント・ヴィンセントにサンダーキャットと、こちらの方も単独で観たい人たちがずらりと揃った完璧な陣容だ。
そんなツアーへの期待がさらに膨れ上がっているのは、もちろん2019年12月、約10年ぶりに復帰の発表があったジョン・フルシアンテ(Gt)の存在があるから。「Give It Away」「By The Way」をはじめ、ジョンが在籍した時代に生み出された数々のヒットはRHCPの代表曲、ライブのキラーナンバーであり、グループの黄金時代を作り上げた重要な一員である彼の復帰は、世界中の多くのファンが待ちに待っていたワンピースであった。4月にリリースされる新作『Unlimited Love』を携えてのツアーは、この現代最強のライブバンドの新しい伝説を作り上げることになるだろう。
ジョンはまだキャリアがない時代からRHCPの大ファンで、彼らのレパートリーを熟知しており、オリジナルギタリストであるヒレル・スロヴァクが1988年にヘロインのオーバードーズで死後、オーディションを受け、即加入。これがジョンにとって初の本格的バンドであり、18歳のことだった。
ドラムにも新たにチャド・スミス(Dr)が座り、創始者であるアンソニー・キーディス(Vo)、フリー(Ba)と共に最強のメンバーが揃い『Mother's Milk(母乳)』(1989年)、『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)と充実の作品を作り上げ、特に後者は全米3位と、初の特大ヒットとなり人気は急上昇していくが、もともとパンクやインディペンデントな発想が原点であるジョンには馴染めず、1992年の日本ツアー中に脱退を決意する。
脱退後はヘロインに溺れ、廃人状態になるほどであったが、友人たちの助けでリハビリ施設に約1カ月入り、なんとか落ち着いた生活を取り戻す。その間、RHCPの方も必死にギタリストハンティングを続け、元Jane's Addictionのデイヴ・ナヴァロを迎えて6枚目のアルバム『One Hot Minute』(1995年)をリリースするものの完全フィットとはならず、1999年、ついにジョンが復帰して運命の大傑作『Californication』(1999年)を発表したのだった。
ハリウッドに象徴される華やかなエンターテインメントの裏側の悲劇や危険な香りを歌ったタイトル曲「Californication」をはじめ、「Scar Tissue」「Around The World」「Otherside」「Road Trippin'」といったシングルカット曲が次々とヒットとなり、一躍RHCPをアメリカを代表するバンドに押し上げた。
さらに次作『By The Way』(2002年)ではジョンのロック的なテイストが色濃く反映され、メロディアスなギターワークやThe Beatlesにまで通じるコーラスアレンジなどが高く評価された。そうした流れを総合的に受け止めて作られたのが、「Jupiter(木星)」と「Mars(火星)」と名付けられたディスク2枚からなるアルバム『Stadium Arcadium』(2006年)で、初期のファンクパンク・テイストも盛り込みつつ、キャリアを総括するようなスケールの大きな世界を作り上げ、初の全米アルバムチャート1位を獲得。日本も含む世界中で大ヒットとなった。
同時にそれはジョンにとって一つのゴールとなり、自身の音楽を追究したいと2009年12月に再び脱退するが、前回とは違って非常に前向きな決定でもあり、バンドも祝福して送り出したのだった。
実際、脱退後のジョンは非常に意欲的で、The Mars Voltaのオマー・ロドリゲス・ロペスと絡んだり、エクスペリメンタルな作品を発表したりと、華やかなRHCP時代にはできなかった世界を拡大していく。