超学生、sekai、ロス……声や歌唱力だけでは語れない、セルフプロデュース巧みな歌い手たち

 「歌い手」とは、単に「既存の楽曲をカバーする人」なのだろうか。

 主にボカロ曲(クリプトン・フューチャー・メディア社が発売した“初音ミク”等のボーカル音源を用いて制作された楽曲)をカバーする人々のことを総じて「歌い手」と呼ぶようになったのは、今からおよそ15年前。ニコニコ動画の流行とともに注目を浴び、ネット上で根強い人気を得てきた彼らだが、昨今、歌い手という言葉は歌うこと以上の意味を孕んでいるように思う。

 MVにどんなイラストレーターを起用するか、どんな風にSNSを運用するか……そんな微細なバランス感覚が彼らの輪郭を作り、その存在をより魅力的なものにしていくのだ。

 当コラムでは、そんな“セルフプロデュース”の巧みな歌い手を紹介していこうと思う。声や歌唱力だけでは語れない、歌い手の世界を少しだけ覗いてみよう。

超学生

 まず一人目に紹介するのは、超学生。2013年1月に「六兆年と一夜物語」のカバー動画で歌い手デビュー。当時は小学生、なおかつ声変わり前ということで、あどけなく無垢な印象を受けるが、現在は激しいがなりを取り入れた多彩な歌唱法や、セクシーな低音が特徴だ。

小学生が「六兆年と一夜物語」を歌ってみた【超学生】

 彼の主戦場は、52万人ものチャンネル登録者を抱えるYouTube。歌い手の中でも随一の人気を誇る超学生が、今の位置までのし上がった理由の一つは“動画”である。

 2007年頃、歌い手が世に出始めた当初は、カバー音源のバックにオリジナルMVの映像を“そのまま”流すスタイルが主流であった。ある程度のクオリティが保証される上に、サムネイルを見た視聴者が一目でどの曲のカバーかを判別しやすく、クリック率が上がるからだ。

 しかし超学生は、自作の仮面を被りマイクの前に立って歌う横アングルの実写素材に、オリジナルMVを透過して重ねる、という珍しい手法を取っている。「実体が見えないからこそ提供できるファンタジー」が強みである歌い手文化において、実写をアップすることはリスキーでもある。ただ、そこに本家のイラスト(アニメーション)を重ねることで、3DCGのような独特な質感を実現しているのだ。

【超学生】ニューダーリン @歌ってみた

sekai

 二人目に紹介するのは、sekai。2019年1月に「紗痲」のカバー動画で歌い手デビュー。

 YouTubeで210万回以上再生されている「神っぽいな」のカバーでも顕著に見られる、驚くほど正確なピッチでメロディをなぞるような歌唱法は、先ほど紹介した超学生の荒々しさと正に対極だ。しかし、全くニュアンスを入れず平坦に歌っているわけではない。宇多田ヒカルのような吐息混じりの儚い高音、緩やかに上昇していくような歌い出しなど、バリエーション自体は豊富だが、それらが必ずしも感情に沿っているわけではない、という点が、異質であり何とも心地よいのだ。

神っぽいな - Cover

 年齢・性別非公開、ユーザー名はナメクジのような形の特殊文字など、「人間味を排する」ことがブランディングの主軸であり、キャラクターデザインも白のミディアムヘア、という点以外詳細に決められていない。

 ロックやヒップホップなどの性的・肉感的な文化への逆張りとして、地雷系を始めとする装飾過多なファッションが流行っているが、コロナ禍で疲弊した人々の新たな癒しとして、sekaiのような「人間味のない歌い手」が人気を得るのも、言わば必然なのかもしれない。圧倒的な自我と実体がなくとも受け入れられる、音楽においての“カリスマ性”とは何なのか、sekaiを見ると考えさせられる。

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