小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード9 万博と映画祭 1937-1939 村井邦彦・吉田俊宏 作
村井邦彦と吉田俊宏による小説『モンパルナス1934〜キャンティ前史〜』エピソード9では、1937年のパリ万国博覧会から1939年のヴェネチア国際映画祭までを舞台に、川添紫郎(浩史)が国際文化交流プロデューサーとして活躍し始める姿を描く。第二次世界大戦開戦の直前、紫郎は不穏さを増す国際情勢の中で、何を見つめていたのかーー。(編集部)
※メイン写真:1937年5~11月に開かれたパリ万博の会場をシャイヨー宮から展望。エッフェル塔をはさんでドイツ館(左)とソ連館(右)が対峙している。
【エピソード8までのあらすじ】
川添紫郎は1934年、21歳でパリに渡り、モンパルナスのカフェを拠点に交遊関係を広げていった。長年の相棒となる井上清一をはじめ、建築家の坂倉準三や美術家の岡本太郎、ピアニストの原智恵子といった日本人留学生だけでなく、故郷を追われてパリに来たロバート・キャパやゲルダ・タローのような外国人とも親交を結んだ。
折しも隣国ドイツでヒトラーが政権を握り、日本は国際連盟を脱退するなど、歴史が大きく動き始めていた。時代の荒波は留学生たちにも容赦なく襲いかかり、紫郎が想いを寄せていた林田富士子と、キャパの恋人ゲルダが、報道カメラマンとして赴いたスペイン内戦の戦地で相次ぎ若い命を散らした。
そんな中で紫郎は映画の輸出入の仕事に取り掛かり、国際文化交流プロデューサーへの道を少しずつ歩み始めていた。
万博と映画祭 1937-1939 #1
1937年11月、この年の5月に始まったパリ万国博覧会も終幕を迎えようとしていた。トロカデロ宮殿を取り壊して新築された新古典主義建築のシャイヨー宮から、イエナ橋をはさんで宮殿と正対するエッフェル塔の足もとまでが万博の会場となり、多くのパビリオンが建設された。世界各国から訪れた観客は3000万人余りに上るという。
紫郎はシャイヨー宮の前に立ち、正面のエッフェル塔を眺めている。井上清一と坂倉準三もいる。セーヌ川を渡って吹きつける風がやけに冷たい。エッフェル塔に続く大通りの両側に、門柱か仁王像のごとくそびえ立つ2つのパビリオンを見て、紫郎は深い溜め息をついた。
向かって左、高さ50メートルはあろうかという直方体のいかついビルがドイツ館、右はソ連館だ。ドイツ館の屋上にはナチスの鉤十字を抱いた巨大な鷲、ソ連館の屋上には労働者と農婦の像が鎮座している。ソ連館の像は高さ20メートルもあり、労働者は槌、コルホーズ(集団農場)の農婦は鎌を手にしている。
ドイツとソ連。この2つのパビリオンがにらみ合うように屹立し、会場を圧倒しているのだ。
「なあ、イノ。万国博覧会の会場といえば、国際的な祝祭空間であるはずだろう? その会場の調和と平和を台無しにしているのは、間違いなくあの2つだよな」
紫郎が口を開いた。
「あの2つ?」
井上清一が彼の顔をのぞきこんだ。
「ドイツ館とソ連館さ。あっちに行ってみよう」
紫郎が顔をしかめて、眼下を指さした。
「ああ、まったくひどいものだ。あれは美しくない」
坂倉が歩きだしながら同調した。
「うん、サカの言う通りだ。美しくない。まるで今のヨーロッパ情勢そのままじゃないか」
紫郎は灰色の空をにらみながら言った。
世界大戦に敗れたドイツがついに再軍備を宣言し、それを受けてソ連が第7回世界コミンテルン大会を開いて反ファシズムの統一戦線を提唱したのは、わずか2年前のことだ。昨年、1936年にはドイツがロカルノ条約を破棄して非武装地帯のラインラントに進駐し、フランスでは社会党や共産党などの人民戦線内閣が成立。続いてスペインで内戦が始まった。
ああ、スペイン。あの忌まわしき内戦……。
紫郎は唇をかんだ。
戦場カメラマンとして戦地を駆け巡った林田富士子とゲルダ・タローの命を奪ったスペインの内戦は、人民戦線の共和国政府と旧体制の復活を目指すフランコ将軍率いる反乱軍との間で、今も続いている。
「どうしたんだよ、シロー。怖い顔をして」
井上がまた紫郎の顔をのぞきこみ、ポンと肩をたたいた。聞き慣れない言葉を話す背の高い白人のグループが、紫郎たちを見下ろしながら追い抜いていった。
「あれはもはや一国の内戦じゃないよ」
紫郎が吐き捨てるように言った。マロニエやプラタナスの落ち葉が一足ごとにガサガサと音をたてる。
「内戦? ああ、スペインの話か」
井上がうなずいた。
「ソ連が人民戦線を援助し、ドイツやイタリアは反乱軍を支えている。共産主義とファシズムの対決だよ、あれは。ここ数年、ヨーロッパはずっと世界戦争の影におびえてきた。スペイン内戦が新たな世界大戦の予行演習にならなければいいんだけど」
紫郎はドイツ館とソ連館とを交互に見上げながら言った。
無数の鳩が石畳に舞い降りてきた。近くでベレー帽をかぶった初老のフランス男性が盛んにパンくずをまいている。
「共産主義とファシズムか。その対立の構図は、中国と我が国の間にも生まれちまったなあ」
坂倉が少々のんびりした調子で言った。
今年、1937年7月に北京郊外で起きた盧溝橋事件、8月の第二次上海事変など、相次ぐ日本軍との軍事衝突を受け、蒋介石の中国国民党政府と毛沢東の中国共産党が連携する「国共合作」が成立したというニュースは、紫郎たちも深刻に受け止めていた。
「ああ、全くだな。少なくとも、欧米の知識人たちは日中戦争をスペイン内戦と重ねて見ているね。そういえば、キャパはゲルダと一緒に中国の戦場に行くつもりだったんだよな」
紫郎がぼやいた。鳩は一心不乱にパンくずをついばんでいる。
「最近はフランスの新聞もスペインより中国のニュースを大きく扱うようになったからね。戦場カメラマンとしては、世間の関心が高い方に行きたいってことかな。それにしてもキャパやゲルダはスペインでは人民戦線の味方として写真を撮っていただろう? もしキャパが中国に行ったら、日本軍を敵とみなして取材するのかなあ」
井上がそう言って無造作に足元の小石を蹴ると、鳩の群れが一斉に羽ばたき、ドイツ館の屋上に君臨する巨大な鷲の像に向かって飛んでいった。まるで吸い寄せられるように。鳩は平和の象徴ではなかったか。皮肉なものだなと紫郎は思った。
3人はソ連館の裏に広がる林に入っていった。なだらかな丘の途中に、坂倉が設計した日本館が建っている。
「ここに来るのは3度目だけど、グランプリ受賞作として改めて眺めると格別だねえ。サカ、本当におめでとう。日本人の建築家が国際的に評価されるのは初めてだもんなあ」
紫郎が入り口の柱を撫でながら言った。
「ありがとう。僕も驚いたよ。パビリオンの建築コンクールにはエントリーの手続きが必要なのに、日本の当局は見送った。つまり辞退したんだよな。にもかかわらず、審査委員長のオーギュスト・ペレは、建築界では全く無名の僕が設計した日本館をグランプリに選んでくれたんだからね」
これまでパリ、セントルイス、サンフランシスコ、ロンドン、フィラデルフィアなど、欧米各地で万国博覧会が開かれてきたが、どの会場でも日本のパビリオンといえば神社や仏閣、城郭など、いかにも日本らしい伝統建築で造られていた。鎌倉の大仏そっくりの巨大な仏像を造ったこともあった。オリエンタルなエキゾチシズムを前面に出して、欧米人を喜ばせていたわけだ。
ところが、すったもんだの末にようやく設計者に選ばれた坂倉は、日本当局の期待をあっさりと裏切った。完成した日本館の外観は、師匠のル・コルビュジエ譲りのスマートな近代建築だった。困惑した当局は「これは日本的ではない」と非難したが、後の祭りである。
日本館がオープンすると、各国の建築家や批評家の注目の的になった。「過去と現在の融合」「日本の伝統建築と西洋の現代技術の融合」といった好意的な批評が雑誌や新聞に載ったのを紫郎も目にした。一見するとル・コルビュジエ風の近代建築のようだが、決して師匠の亜流ではなく、日本の伝統が巧みに取り入れられている。欧米の一流の建築家や批評家たちは、そこを鋭く見抜いたのだった。
「サカ、君はどのくらい日本を意識していたの?」
エントランスに続く広いロビーで紫郎が訊いた。
「僕はル・コルビュジエの下で建築を学んだ。だから当然、基本は西洋建築なんだけど、日本で育った日本人だからね。放っておいても日本の心がにじみ出るのさ。ここにいる優秀な助手も日本人だしね」
坂倉は井上の左肩を右手でポンポンとたたいた。井上は坂倉の助手として日本館の設計に深くかかわったのだ。
「自画自賛になるから、サカは遠慮してあまり言わないけど、この日本館には随所に日本的な要素がちりばめられているんだ。僕が解説してあげようか」
井上がうれしそうに言った。
「日本館は坂の途中にあるだろう? 傾斜地をそのまま生かしたんだ。建物を幾つかのブロックに分けて、それぞれをスロープでつないでいるんだよ」
好きな短歌をそらんじるような調子で、井上がよどみなく解説する。
「そういえば『流れるような動線と変化に富んだ展示空間』という批評があったね。このスロープのおかげか。あっ、そうか。これこそ日本の回遊式庭園だな。桂離宮のような」
紫郎が言うと「シロー、あんたは若いのにすごいね。そこまで分かってくれると僕はうれしくて踊りだしたくなるよ」と坂倉がおどけた。
「シロー、まだまだあるよ。この菱形の格子も、まさに日本じゃないか?」
井上が解説を続ける。
「なるほど、格子か。西洋の建物だったら、ここは石の壁だからね。これは日本の障子みたいなものだな。だから外光が入って、室内が明るいんだ」
3人は見学順路に沿ってスロープを上っていった。
「展示を見終えると、この緩やかなスロープを下ってティールームのあるテラスに出るんだよね。僕はあそこにあるお茶のカフェが大好きなんだよ」
紫郎が少々はしゃいで言った。
「ここは日本家屋でいえば縁側ってところかな」
坂倉が言った。近くで鳥がさえずっている。コマドリだろうか。
「そうか。完全に屋外ではないし、室内でもない。その中間だ。日本家屋の特徴だね」
紫郎は大きくうなずいて感心した。
3人はテラスのテーブル席に腰かけ、玉露の煎茶と羊羹を注文した。
「ご覧よ、シロー。アカシアとマロニエの木立の向こうにエッフェル塔が見える。他国のパビリオンの軸線は街路に沿って設計されているんだけど、我らがサカ先生の日本館だけは軸線が街路とは無関係にエッフェル塔を向いているんだよ」
井上が誇らしげに言った。
「なるほど、エッフェル塔は借景なんだね。最初から借景を意識して設計したわけだ。このカフェのあるテラスは縁側、アカシアの林は日本庭園、エッフェル塔はさしずめ京の都から見える比叡山かな。ここでお茶を飲んでいると落ち着くのは、日本人の血のなせる業かもしれないね」
坂倉と井上が顔を見合わせ、うれしそうにうなずいた。
「将来、東京にエッフェル塔のようなタワーができたら、その塔を借景にできる場所でカフェをやってみたいな」
紫郎が言った。
「カフェを? シローが? いいね。みんなが集まってきて、溜まり場になりそうだな」
坂倉が身を乗り出した。
「溜まり場か。フランス風にいえばサロンだな。そういえばシローと僕は一時期、ペレさんのサロンに通っていたんだよ。ペレさんのように公正な人が審査委員長で良かったね、サカ」
井上がそう言って、坂倉と握手した。助手の彼にとってもグランプリ受賞は誇らしい勲章に違いない。
話し込んでいるうちに、早くも薄暗くなってきた。パリの11月は日没が恐ろしく早い。頃合いを見計らったかのように、いくつかのライトが点灯して日本館と隣のフィンランド館を照らし出した。
「グランプリは日本館だけじゃなくて、そこのフィンランド館とスペイン館も合わせた3館同時の受賞だったんだけど、君たちはスペイン館を見たかな?」
坂倉が訊いた。
「もちろん行ったよ。3回行った」と紫郎が言うと、井上も「僕は4回だ」と応じた。
「もう一度、見納めに行かないか?」
坂倉の誘いを断る理由はなかった。
スペイン館は大通りを隔てた反対側、ドイツ館の隣にひっそりと建っている。3人が大通りに出るのと同時に、華々しく花火が上がった。近くの池の噴水もライトを浴びて幻想的に輝いている。向こうからかすかに音楽が聞こえてきた。
「始まったね。あれ、ほぼ毎日やっているよ。音と光と水のイベント『光の祭典』っていうんだ」
坂倉が誰かの受け売りらしい情報を得意げに話した。
「へえ、面白いね。僕はいつも午前中に来ていたから知らなかったな。しかし花火の音が大きすぎて、せっかくの音楽がよく聞こえないよ。もっと近くに行ってみよう」
紫郎は演奏家たちの目の前に陣取って耳を傾けた。オルガンのような鍵盤楽器を6台並べて、6人で弾いている。見たこともない楽器だった。それに奇妙な音がする。縦笛のようでもあるし、女の声のようでもある。ピアノやオルガンなら10本の指で同時に10の音を鳴らせるが、この奇妙な楽器は1台につき1つの音しか出せないようだ。
「ご関心がおありですか」
楽団の関係者らしき背の高い中年のフランス女性が紫郎に声をかけてきた。
「ええ、あの楽器は何でしょうか」
「最近発明された電子楽器で、オンド・マルトノといいます」
「電子楽器?」
「はい。詳しい仕組みは私にもよく分かっていないのですが、電気の力で音を奏でているのです。演奏されている曲はオンド・マルトノ6重奏曲『美しき水の祭典』。作曲者はメシアン。ご存じですか」
「オリヴィエ・メシアンですね。名前は知っています。いろいろと教えていただきありがとうございます」
メシアンの名は原智恵子から何度か聞かされていた。当代フランスを代表する気鋭の作曲家だと言っていた。もっとも彼女はショパンのような古いロマン派が好みで、メシアンやミヨーといった現代作家の曲を弾くのを聴いたことはなかったが。
「電子楽器というのは面白いね。20世紀の科学技術を生かして生まれた楽器だろう? ピアノやチェンバロ、オルガンのような西洋の歴史を背負った楽器とは違って、伝統から切り離されているわけだからさ、こういう楽器こそ日本人が使うべきじゃないかな。日本人の独自性が出せるに違いないよ。この楽器を何十台も並べて、西洋の交響曲とも日本の雅楽ともつかないような音楽を聴かせるんだ。きっと欧米人はひっくり返るぞ」
紫郎は遠い未来を思い描くような目をしながら、井上と坂倉を相手に熱弁を振るった。
「シロー、あんたはいつも夢みたいなことを言うね。いや、もちろん悪いことじゃないよ。何事も思い描くところから始まるわけだからね。しかし、それが実現するとしたら、僕らの子どもか孫の時代じゃないかな」
坂倉が年上の友人らしい口調で諭すように言った。
「僕らの子どもか。いいね。そのころ東京にはエッフェル塔のようなタワーが建っていて、各国のパビリオンが林立する万国博覧会が開かれて…」
紫郎が遠くを眺めながら言った。エッフェル塔が幻灯機の映像のように見える。
「そのころシローは、そのタワーの見える街でカフェを開いているってわけだな? サカはまたパビリオンを設計するんだろうな。僕はまた助手かな。えへへ」
井上が紫郎の言葉を途中で引き受けて、彼なりの夢を語った。
すっかり日が落ちたころ、3人はスペイン館に入った。ホールの右側の壁いっぱいにパブロ・ピカソの「ゲルニカ」が描かれ、向かい合う壁にはスペインの詩人ガルシア・ロルカの大きな写真が掲げられている。ロルカは内戦が始まった直後、反乱軍を率いるフランコ将軍のファランヘ党員に暗殺された。このスペイン館全体が、共和国軍(人民政府)の立場を訴える装置になっているようだった。
ゲルニカはスペイン北部の古都、日本でいえば京都か奈良のような都市の名だ。半年前の1937年4月26日、反乱軍の援軍として派遣されたドイツ空軍の遠征部隊「コンドル軍団」が、ゲルニカの町を無差別爆撃した。スペイン館の壁画を依頼されていたピカソは、このニュースを見て「ゲルニカ」を構想し、約1カ月で大作を仕上げたのだった。
「ゲルニカ」の前には、先客がいた。小柄な男が腕組みをして、壁画をにらんでいる。
「やあ、タローじゃないか。君も来ていたのか」
坂倉が陽気に声をかけると、岡本太郎が振り向いて、珍しく暗い顔を見せた。
「うん。この絵を前にすると、やりきれない気持ちになるなあ。でも、また見にきたくなるんだ。不思議な引力があるね。何人もの女性が描かれているだろう? 僕の目には、あの家から落ちるような姿の女性がゲルダに見えてくるんだよ」
太郎が壁画の右端を指さした。
「あれは爆弾で吹き飛ばされた女性の姿かと思っていた。まあ、どちらともいえるかな」
井上が太郎と同じように腕を組み、壁画に近寄ってまじまじと見つめながら言った。
「ここに死んだ子を抱えて泣き叫んでいる女もいるね。とにかく阿鼻叫喚の世界だな」
今度は坂倉が壁画の左端を指して、フーッと息をはいた。
「おい、どうしたんだよ、シロー。また怖い顔をしているぞ」
井上が背中をつついた。
「あ、ああ。あの女性が気になってね。窓から身を乗り出してランプを掲げているように見えるけど、あのランプは何かの暗示なのかな」
紫郎が首をかしげながら言った。
「タローがゲルダを思い出したように、シローはフジコちゃんのことを考えているんだろう?」
坂倉が言うと、紫郎は我に返ったような顔で彼を見た。図星だった。今日は智恵子と一緒でなくて良かったと紫郎は思った。