デヴィッド・ボウイ、幻のアルバム『Toy』に隠された苦悩と進化 ついに明かされた全貌をブレイク前の変遷から徹底解説

なぜボウイは『Toy』を作ったのかーー60年代シングル曲から分析

 典型的なモッズバンド的R&Bアプローチの「Liza Jane」は、Davie Jones with the King Bees名義で発売された。プロデュースは最初期のマネージャーであり、The Barry Sistersなどのプロデュースも務めたレスリー・コン。TVプロモーションも行い、ラジオでは反響があったものの、このシングル盤が全く売れなかったため、コンはすぐにボウイをThe King Beesから引き剥がし、The Manish Boysにくっつける(※1)。こうして初期のボウイの名義はどんどん変わっていった。

 次のシングル曲は1965年3月発売、The Manish Boys名義の「I Pity the Fool」で『Toy』未収録。後に本格サザンソウル・シンガーとなるボビー・ブランドの有名曲で、いかにも60年代前半、元祖モッズ達が好みそうな渋すぎる選曲だ。このプロデュースを当時のThe Who、The Kinksなどのヒットプロデューサー、シェル・タルミーが行った。ギターにはタルミーが常用していたジミー・ペイジがブッキングされている。ボウイは、ミック・ジャガーをタイトにしたような名唱を物にしているが、売れなかった。

 1965年8月、ボウイの3枚目のシングルに収録されたのは、『Toy』でも目玉曲となる「You've Got a Habit of Leaving」「Baby Loves That Way」の2曲。これもシェル・タルミーによるプロデュースである。今度は両曲ともボウイのオリジナルで、ジョン・レノン・スタイルの感傷的なメロディに。そのせいか、The Beatlesと同じ<Parlophone Records>からのリリースとなっている。The Manish Boys名義で売り出されたシングルだが、実際のメンバーは入れ替わっており、The Lower Thirdという新しいバンドが演奏している。

David Bowie - You've Got A Habit Of Leaving (Radio Edit) [Official Lyric Video]

 『Toy』バージョンでは両曲ともテンポを落とし、アコースティックギターを加えて極めて美しい荘厳なロックに変貌している。ボウイのメロディの才能が早くも開花していることが、新しいこれらのバージョンによって確認できる。

 シングル1枚に1バンド、1レーベルずつ変更していくという状況。世はThe Beatlesを筆頭として、Herman's Hermitsらまでもが米国に進出して席巻したマージービート・バンドの大ブーム。ボウイはそこから完全に置いていかれていた。自分の確固たるバンド、リズムセクションを持っていなかったためだ。その状況でシーンに切り込むのは無理があった。

 続く4枚目のシングルでは、デヴィッド・ジョーンズからいよいよDavid Bowie with The Lower Third名義に変えた。大人気となった米のThe Monkeesに同名メンバーがいたためだ。

 そんな、1966年1月に発売されたシングル曲「Can't Help Thinking About Me」も『Toy』の目玉曲となる。原曲はいち早くサイケデリック色を打ち出した意欲作で、注目はプロデューサーのトニー・ハッチ。彼の本拠地である<Pye Records>からの発売である。1964年にペトゥラ・クラークの大ヒット曲「Downtown」を書いたトニーは、クリス・モンテスで大ヒットする「Call Me」、そしてボウイがヒーローと崇めるスコット・ウォーカーの大ヒット曲「Joanna」も書き、“英国のバート・バカラック”との異名で一世を風靡したコンポーザー&プロデューサーであった。そのトニー・ハッチが、ボウイに目を留めてシングルをプロデュースしたのだ。

David Bowie - Can’t Help Thinking About Me (Live at the Elysée Montmartre, 1999)

 それだけではなかった。トニーは1965年にはボウイのバンド、The Lower Thirdに加入してピアノも弾いていた。1965年はトニーの当たり年で超多忙だったはずだから、その合間を縫っての参加であり、よほどボウイに入れ込んでいたことが伺える。トニーは当然、ボウイを<Pye Records>でのスターアーティストに仕立てるため、様々にコミュニケートしていたのだろう。ボウイの曲はトニーの薫陶を受け、よりメロディアスに、情感あふれる展開となった。世の中のソフトロック・ブームに対応するための変化でもあったが、ここからボウイは作曲家らしく作風を変えていった。

 続く5枚目のシングル『Do Anything You Say』は、ついにバンド名義を外し、デヴィッド・ボウイ単体の名義になる。憂いを帯びたビートポップで、再びトニー・ハッチがプロデュース。 注目は『Space Oddity』制作の片腕で、フォークユニット Feathersを結成するジョン・ハッチンソンがギターで参加したこと。この曲は『Toy』には収録されない。

 次の6枚目のシングル曲は「I Dig Everything」。今回発売された『Toy』冒頭を飾るこの曲は「僕は全てを掘り起こす」という宣言であり、〈Ain’t had a job for a year or more and I don’t know a thing/Everything’s spent and I dig everything(1年以上仕事がないし 何の知識もない/すべて使い果たしたけど、僕は全てを掘り起こす)〉という、当時のボウイの逆境そのものを歌っている。「Changes」に通じる「苦闘する若い心境」の曲。思い入れもさぞや深いに違いない。

 やはりトニー・ハッチのプロデュースで、モッズ的なオルガンがゴキゲンに響くラテンジャズ的編曲により、60年代ならではの涼しさとチープさが同居している。しかし『Toy』バージョンではグッとテンポを落とし、ラウドなエレキギターとヘヴィなベースでミディアム・グランジ編曲に変貌。貫禄たっぷりの2000年代的ロック曲になり、堂々としたボーカルで隠れていた繊細な楽曲の包容力を伝える。

 ボウイがなぜ『Toy』を作ったか、おわかりになっただろうか。バンドもなく、The Beatlesを筆頭とするハードなサイケデリックサウンドを相手に、成す術もなかった60年代のボウイ。力作であった楽曲群の可能性を、今度こそ自分の素晴らしいバンドと21世紀の録音テクノロジーで再構築したいという悲願だ。

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