「壊れたJukebox」インタビュー

MASH、40代で下した上京という大きな決断 “ミドルエイジクライシス”を経て辿り着いた音楽

 2020年2月から無期限の活動休止を発表していたシンガーソングライターのMASHが、待望の復帰作「壊れたJukebox」を昨年11月に配信リリース。「有線J-POPお問い合わせランキング」(2021年12月度)で2位になるなど、話題を呼んでいる。

 名曲「僕がいた」を共作した朋友 Furusawa Takiをアレンジャーに迎えたこの曲は、自身を壊れたジュークボックスに喩えた私小説的なリリックが印象的。「ミドルエイジクライシス」などと言われる年代に差し掛り、新たな環境に身を投じながらもがく姿を赤裸々に綴った言葉の数々は、同じように人生に不安と葛藤を抱える人々の心を熱く灯す。なお、自らメガホンを取ったこの曲のMVにはロンドンブーツ1号2号の田村亮が出演し、まるでMASHの分身のような迫真の演技を披露している。

 拠点としていた名古屋を離れ、コロナ禍のステイホーム期間におよそ150ものデモ音源を作り続けていたというMASH。そのモチベーションは一体どのようなものなのか。本人にじっくりと話を聞いた。(黒田隆憲)

上京=自分の予想を裏切っていく行為

ーーこれまでずっと名古屋を拠点に活動してきたMASHさんですが、2020年2月に無期限の活動休止を発表しその直後に上京されました。そこに至る経緯はどのようなものだったのか、まずは聞かせてもらえますか?

MASH:何か環境を変えなきゃという気持ちがあったんです。ずっと名古屋にこだわり活動を続けてきて、それが当たり前になってしまっていたというか。俯瞰的に自分自身をいろんな角度から検証し直したときに、これまでとは違った自分を見せるためには、今の環境から抜け出す必要があるのではないかと思ったんですよね。おそらくこのタイミングを逃したらこのままずっと名古屋にいたと思いますし、この先どうなるか全く分からなかったけど、40代で大きな決断をしてみました。これまでの人生も、「あ、こっちに行ったらヤバイかな?」と思った方に賭けて、それでどうにか切り抜けてきたので(笑)、今回もより「ヤバイ方向」に賭けてみようと。ある意味、自分の予想を裏切っていく行為でもありましたね。

ーー自分自身を変えるにはまず環境を変えること。僕自身も常々そう感じていたので、MASHさんのおっしゃっていることはとてもよく分かります。環境が変われば習慣も変わるし、習慣も変われば生き方も変わりますからね。

MASH:そう思います。40歳くらいになると、僕の同世代はみんな職場で重要なポストに就いたり、何者でもなかった人が何者かになったり家族を持ったりしているわけじゃないですか。若くして子供を授かった人たちは、すでにその子供が成人していたりもする。人生って「選ばなかった選択肢」の方が圧倒的に多いけど、それでも何かを選びながら彼らも僕もここまで辿り着いた。そして、もし僕がまだ「シンガーとして東京に出てくる」という選択肢を選べるのであれば、それを選ぶのも人生だなと思ったんです。

ーーどこか自分自身を使って「人生の実験」をしているような感覚はありませんか?(笑)

MASH:ああ、それはあるかもしれないですね。「自分を今、この環境に置いたらどこまで進むのだろう?」「こんなことが起きたら自分はどうリアクションするのか」とか、そういうものを見てみたいという好奇心(笑)。「言葉」より「行動」の方が、何よりも真実に近い……なんて、言葉で勝負している人間がいうことじゃないかもしれないですけど(笑)。拠点を変えてみることで、今まで自分が書いてきた歌詞が本物だったのか、それとも偽物だったのかも分かるのではないか、と。そういう実験精神は確かにあったと思います。

ーーとはいえ、40歳で環境を変えるのはかなり大きな決断だと思います。体力的にも精神的にも、つい「守り」に入りたくなってしまうじゃないですか。新しい環境に身を投じることへの不安などありませんでした?

MASH:上京が決まったときに、名古屋の仲間たちに壮行会を開いてもらったんです。そこで励ましの言葉をたくさんもらっているうちに、「これって結構、ヤバイ決断をしてしまったかも」と我に返りましたね。ソロデビューして15年間も名古屋で実績を積み重ねてきたものを、全て手放すことになるのだなと。活動休止して上京すると決めたとき、「この先10年以上歌い継がれていくような楽曲を作るには、新しい環境が必要だ」みたいなことを言ってしまった手前、これで情けない結果になったらどうしよう? とか。上京してしばらくはそんな不安でいっぱいでした。軽トラに積めるだけ荷物を積み込み、名古屋を出発して夜の2時くらいに東京に着いたんですけど、その道中で聴いていたジェフ・バックリーの「ハレルヤ」は今も耳に残っています(笑)。

ーーそういう不安な気持ちが原動力になったのかも知れないですよね。上京してからこれまで150曲近いデモ音源を作ったと聞きました。

MASH:ある程度の形になる前の断片などの含めると、もっと書いていました。実をいうと、もう少し早い段階で「これでいきましょう」ってなったんです。でも、「いや、やっぱりこれじゃないな」と。もちろん、悪くはないんだけどもうちょっといけそうな気がした。そこからさらに2カ月間こもってからが、本当の勝負だった気がします。書いて書いて書きまくり、最後の最後に出てきたのがこの曲でした。

 例えば大木の中から一体の仏像を掘り出したり、水脈があるかどうかも分からない場所を掘り続けたりすることと、自分自身を深く掘り下げながら歌を書くことって結構近いものがあると思うんですよ。自分の中の、最も深いところにある「水脈」までたどり着けば、それはきっと多くの人たちと共有できるかも知れないと。もっと言えば、自分自身を深く掘っていくことでしか他者を知り得ないとも思うんです。

ーーとても興味深いです。

MASH:結局のところ、私小説みたいな楽曲しか僕は書けないんですよね。ただ、上京してしばらくはまだそこまでたどり着けなかったんです。別に浮ついた気持ちがあったわけじゃないんですけど、地に足がついていない高揚した状態が数カ月くらいは続いていたのかも知れない。でも生活が徐々に整い、東京への憧れの気持ちも落ち着いてきて。富士山も遠くで眺めていれば美しいけど、近くまで行くと岩はゴツゴツしてるしゴミも落ちているじゃないですか(笑)。そういうふうに気持ちが変化していく中で、とにかく「嘘偽りのない自分」としっかり向き合い、そこから出てくる言葉を大切にしながら曲作りを続けていました。自分の情けない姿、大人になると隠したくなるような心の中を晒してみようと。

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