ツミキ&みきまりあによるNOMELON NOLEMON初インタビュー 結成のきっかけやルーツ、アルバム『POP』について語る
ボカロPとして知られるクリエイターのツミキと、シンガーソングライターでぷらそにかにも所属するみきまりあによるユニット NOMELON NOLEMONが8月より始動。来年1月には早くも1stアルバム『POP』をリリースする。今回リアルサウンドでは、いち早く二人へのインタビューを行ない、結成の経緯や音楽的ルーツ、ユニットの軸、そして“J-POP”を作ろうという意志が詰まったアルバム『POP』についてじっくりと聞いた。仲間であり、ライバルでもあるYOASOBIの二人から受ける刺激についても明かしてくれた。聞き手は柴那典氏。(編集部)
今のJ-POPはテンプレート化しているという感覚がある
ーーまずはNOMELON NOLEMON(以下、ノーメロ)結成の経緯から教えてください。
ツミキ:僕が、今年の2月にボーカロイド作品をアルバムとしてリリースしたんです(『SAKKAC CRAFT』)。そのタイミングで、自分の中の衝動みたいなものを作品にすることに一つ区切りができて、人と一緒に音楽をやりたいなと思い始めて。いろんな伝手の中で、紹介してもらったボーカルのみきまりあと出会ったのが結成の経緯です。
ーーツミキさんの中に、ユニットでやりたいという思いが芽生えていた、と。
ツミキ:最初は、僕の作品を色々なボーカリストの方たちに歌ってもらう、いわゆるソロプロジェクト的な見せ方で展開していきたいなと思っていたんですけど、今回まりあと出会って歌ってもらった「INAZMA」が、あまりにもしっくり来すぎて。そこからユニットとしてやっていけたらいいなと思い始めました。僕はプリプロ段階で立ち合わせてもらったんですけど、すごくシンパシーがあったというか。これまで、自分の曲に他の人が入ることによって、純度が下がって、再現したいものができなくなってしまうという懸念があったので、なかなかそこに踏み切れなかったんです。でも「INAZMA」を聴いたときに、その懸念が全くなくなって、掛け算がちゃんとできる人だな、化学反応が楽しめるものになったなと思ったので、その頃から「2作目、3作目も一緒にできたら」と思い始めました。
みきまりあ:私は普段、みきまりあとしての活動と、ぷらそにかというアコースティックグループにも入っていて。その中で、ツミキさんを紹介していただいて。そもそもこれまであまり、バンドを組んだりとか、誰かと一緒に音楽をやってみようというのがなかったので、本当に初めてのことでした。
ーーお二人は、ユニットが始まるまでは同じような音楽遍歴を経てきたわけではないですよね。ツミキさんが最初に音楽に携わりたいと思うようになった原点は?
ツミキ:僕は、家族がみんな音楽をやっているような一家だったので、幼い頃から音楽がずっと流れていて、気がついたら音楽教室に通っていて。音楽は日常にありふれたもので、あまり境目がなかったんです。
ーーおばあさんがライブハウスをやっていたんですよね。
ツミキ:そうです。だからきっかけというきっかけは正直ないんですけど、自己表現を始めたいと思ったのは、やっぱりバンドが一番大きかったですね。サウンドとして何にも乗っ取られない感覚をバンドに感じて、そこから色々聴き始めて、自分もそのフィールドに立ちたいと思ったのが始まりかもしれません。
ーーその頃に憧れた対象や、よく聴いていたアーティストはどのあたりでしょう。
ツミキ:一番初めに感動したのは、ASIAN KUNG-FU GENERATION。サウンドもそうですけど、文学とロックのマリアージュにすごく心を打たれましたね。そこから日本のロックや、そのルーツとなっているような海外のロックを聴き始めた感じです。中学の頃にバンドを組んで、それからずっとバンド活動をしていました。でも、複数人がかけ合わさるというのは、いいものになることが前提なんですけど、時に自分の音楽としての純度が下がることもあるじゃないですか。あとはモチベーションの違いが出てきたりして、一旦バンドでの活動を終えて1人でやっていく形になりました。
ーーみきさんが音楽へ興味を持ったきっかけや入り口は?
みき:私も小さい時から音楽が身近にある環境だったので、「よし、始めよう」という感じではなくて。小さい頃からずっと歌うのが好きだったのもあるし、あとは小学生ぐらいからダンスをずっとやっていました。だから、歌ではなく最初はダンスから始めたんです。バックダンサーをやったり、あんまり学校とかも行かないくらい踊り狂っていて(笑)。でも、ライブでバックダンサーをやるときに歌っている人が前にいるじゃないですか。踊りながら「私、そっちになりたい」と思って、ダンスをやめて歌を始めました。
ーー歌やダンスに関して憧れていた存在は?
みき:歌って踊るアーティストにはそんなに影響を受けていたわけではないんですけど、「“歌”っていいな」と思ったきっかけは絢香さんです。ライブも何回か観に行っていて。あとはaikoさんや椎名林檎さんとか、90年代終盤〜2000年代頃にデビューしたアーティストの方にはすごく影響を受けていましたね。
ーーダンスから歌にシフトして、そこからぷらそにかに応募して入った?
みき:いえ、これも声をかけてもらってという感じでした。「the LESSON」というセミナー型オーディションの6期生だったんですけど、それがきっかけで弾き語りやギターを始めて。「the LESSON」の受講生の中からぷらそにかのメンバーがピックアップされるんですが、担当の方に「ぷらそにか、どう?」と言われたんです。私がちょうど進路に悩んでいる時期に声をかけてもらったのもあって、「入ってみようかな」って。
ーーなるほど。ツミキさんのターニングポイントとしてはバンドが解散したところが一つになるんでしょうか。
ツミキ:むしろその逆というか、まだバンド活動をしていた時にボカロPの活動もを始めたんですよ。自分の表現する場所がどこにあるのかわからない状態になったときに、2007〜2009年、小学生の頃にボカロの音楽を聴いていたことを思い出して。それが2017年くらいで、ちょうど初音ミクが10周年の時。米津玄師さん=ハチさんや、ヒトリエのwowakaさんが10周年を祝って、ボーカロイド曲を発表したんです。それをたまたまSNSで発見して、「ここで自分が今表現したら、面白いんじゃないかな」と思ったのがターニングポイントですね。それから聴いてくれる人が増えていったのもあって、1人でやっていこうと決めました。
ーーツミキさんの中で、ボーカロイドを聴いていた経験やバンドをやってきた足取りは、シームレスにつながるものだったんですね。
ツミキ:個人的には、とにかく新しいものが好きだったので、ボカロもバンドも“新しい音楽”として聴いていただけだったんです。ボカロPの特性として、名前も顔も隠して音楽で勝負しているというのがあると思っていて。それが音楽の熱量や情報量で人を感動させる、バンドのマインドと近いところにあるような気はしていますね。
ーーみきさんは、今ツミキさんが話していたようなバンドシーンやボカロシーンに対して、リスナーとしては少し距離があった感じですか?
みき:そうですね。どちらかというと、私はバンドの方が聴いているかなと思います。最近はボカロカルチャーも定着してきているので、私も以前よりは聴くようになっているんですけど。高校時代だと、周りの友達が聴いてたのはクリープハイプやSaucy Dogでしたが、私はジュディマリ(JUDY AND MARY)にめちゃめちゃハマって。ジュディマリは私が生まれた頃には解散してしまっていたんですけど、ライブ映像に惚れて、音源も聴くようになって……すごく影響を受けています。
ーーノーメロのメロディセンスには不思議な懐かしさも感じるところがあるので納得しました。1stアルバムのタイトルが『POP』であることにも関わってくる話だと思うんですが、ツミキさんの中でも“J-POPを作ろう”という意志はこの作品を作っていく中であったんじゃないかな、と。
ツミキ:はい。その意志は僕がこのユニットを結成した当初からずっとあったことで、普遍的なものをもっと生み出していきたいと思っていて。今のJ-POPはある種の枠組みみたいなものが一つできあがっていて、テンプレート化しているという感覚がある。それはそれで素晴らしいことなんですけど、僕が知っているJ-POPって、もっと振れ幅の広いものだった気がしているんです。それをもう一回、2020年代に再現できる環境があればいいなと思っていたときに、ちょうどこのユニットを結成できたんです。『SAKKAC CRAFT』では自己表現に全集中してたので、もっと広い視野で自分の外にあるものを描くように作っているのがノーメロのような気がします。だから、ソロでのボカロ楽曲とは作る脳みそがちょっと違いますね。
ーー今のJ-POPにある種の枠組みがある、テンプレート化しているというのは?
ツミキ:今はどうしても共感する音楽みたいなものが一つ定着しているような気がしていて。例えば、空が青いとか、砂糖が甘いというのを「わかる!」っていうものがJ-POPになっている。自分もそれに感銘を受けたり、感動することもあるんですけど、僕は共感してほしいというよりは「空って赤くもなるよね」と提案したい側なので。もう一歩先に音楽が浸透していけばもっと楽しいのに、という感覚があります。みんなが知っている以外のことを描くことで、より音楽のことを好きになってほしいし、音楽に感動してほしいなという気持ちです。
ーー共感してもらう、聴いている側に安心してもらうというよりも、ツミキさんはもっとピンポイントに刺す感覚でやっているのかもしれません。
ツミキ :音楽は安心っていう効能もあるけど、刺激という効能も持っているものだと思うので、その部分を強めに描いているような感覚はありますね。誰かにとっては刺激って、活力みたいなものになる。安心させることももちろん大事とは思うんですけど、例えば安心する映画があれば、すごく刺激になるような映画もある。そういうものがもっと音楽にもあっていいんじゃないかな、と。
ーーそれはみきさんも同じ感覚ですか?
みき:私はすごくJ-POPが大好きで、普段からいろんな曲を聴くんです。歌謡曲もバンドサウンドも好きだし、今流行っているチルな感じも聴くし……とにかく日本語で作る音楽が大好きなんです。でも確かに、「今のJ-POPはこう!」みたいな枠があるというのは感じるし、だからこそ、逆になんでもありなんだなとも思うんですね。今回のアルバムは、私たちなりのJ-POPを表した作品だと思っているので、聴いた人がどう思うか、すごくドキドキしますけど楽しみです。
ーー最初に「INAZMA」を聴いたのでガツンとくる曲を得意にするタイプのユニットなのかと思いきや、次の「イエロウ」はしっとりとした切ない感じで。アルバムではもっとたくさんのバリエーションがあります。一つに絞ったら“ノーメロというのはこういうユニット”と伝わりやすいかもしれないけれど、このバラエティ感が必要だったんでしょうね。
ツミキ:僕がボーカロイドを扱っていたときの作品って、どこかにゴールテープを張って、その目標に向かって駆け抜けるような作り方が多かったんです。だけどノーメロの楽曲制作は、体から出るものが全てというか、筆が進んだ方に進んでいくみたいな、模範がない状態だったので、自分すらどういう結末になるかわからないヒリヒリ感の中での制作でした。9曲のまとまりは意識しながら作りましたけど、並べたときにできあがったのが結果的にJ-POPだったという感じですね。
みき:それこそ私はツミキさんのソロ曲を聴いていたので、「ツミキさんってこんな曲も作れるんだ」みたいな驚きの連続で。私も挑戦したことない歌い方だったり、いろんな曲調の曲にチャレンジすることができて、がむしゃらに、無我夢中で歌ったという感じでした。結果として、2人にしかできないようなJ-POPのアルバムができたなと思います。
ーー「INAZMA」や「ゴーストキッス」で見せる攻撃的な歌の表現と、「イエロウ」や「mutant」のようなやさしい包容力のある歌い方など、みきさんの曲による表情はツミキさんの曲によって引き出されたものなんでしょうか? それとも、シンガーソングライターやぷらそにかの活動の中で備わってきたものなんでしょうか。
みき:もちろん、技術がないと表現できないので、ソロやぷらそにかで培ってきたものもあるとは思います。でも「こういう表現がしたい」と思わせてくれるのはツミキさんの曲なので、その感覚を大事にして歌っています。感覚というとすごく広い範囲の話になってしまいますが、ツミキさんの曲を聴いたときに「こういう歌い方がいいかな」とパッと出てくるので、それを表現しているようなイメージです。
ーーツミキさんは最初にみきさんに「INAZMA」を歌ってもらって以降、作業を重ねたり、一緒に作っていく中で見えてきたものはありますか?
ツミキ:初めにお声がけしたタイミングで、ぷらそにかの動画や弾き語りの映像を見たんですが、どこか歪さみたいなものが歌声に表れていて。どこを切り取っても辻褄が合わないような人格というか、どこに本物がいるのかわからないような……そのぐらい表現の幅が広い。最初は「どこに本心があるかわからない」と思っていたんですけど、「INAZMA」以降、2曲目、3曲目とやっていくうちに、全部にちゃんと核があって、その中での表現の一部だったんだなというのがわかりましたね。だんだん辻褄が合っていくような感覚がありました。
ーー今言っていた「歪さ」は、ツミキさんが考えるポップさに重要なものなのでは?
ツミキ:僕もどちらかというとアクが強い人間だという自覚があるので、社会性や大衆性とちょっと離れた僕たち2人の大衆音楽って、目新しく映るんじゃないかなと思っていて。それもテーマの一つに掲げているところはありますね。歪さとかって、どうしても見せたくない人も多いだろうし、弱者みたいな扱いをされることもあるだろうけど、そういう人こそ大きい声で人にものを言うべきだと思うので、そういう意味もちゃんと作品に込められるといいな、と。