『2011-2020 COMPLETE BOX』インタビュー

lynch. が振り返る、メジャーデビューからの10年 バンドのターニングポイントや変化を恐れない姿勢も

 lynch.が、メジャーデビュー10周年を記念して『2011-2020 COMPLETE BOX』を発売する。そのリリースを前に、リアルサウンドではメンバー5人へのインタビューを行った。作品を軸に10年の軌跡や<キングレコード>からのメジャーデビュー時の心境、バンドにとってターニングポイントとなった瞬間など、貴重な話も飛び出した。さらに、lynch.が見据えるこれからについても迫る。(編集部)

インディーズの時では見られない景色を見せてもらった10年

――まずは、メジャーデビュー10周年おめでとうございます。

一同:ありがとうございます。

――当時、メジャーというフィールドで10年間活動を続ける想像はしてましたか?

葉月:どうですかねぇ。僕はどちらでもなかったですね。続かないとも思っていないし、続くんだろうなとも思っていない。目の前のことしか見ていなかったです。とにかくデビュー作をかっこよくしなきゃって思っていました。

玲央:僕はデビュー前にインディーズのレーベルを運営していたこともあり、キングレコードとの契約含めて交渉をする立場だったので、10年続けるための内容でまとめられたと思っているし、むしろ10年間続けようと思っていました。

――この10年間を振り返ってみていかがですか?

葉月:メジャー10年間って言われるとライブより作品に焦点が行くんですけど、毎年印象が違うんですよね。紆余曲折っていうか。多分みんなそうだと思うんですけど、振り返ると清々しい気持ちみたいなものはあんまりないです。大変だったなって。

葉月

――以前、ソロで取材をした時もメインコンポーザーゆえの制作時の苦悩を話していらっしゃいましたもんね。

葉月:せっかく出たアイデアも自分のOKが出なければボツになるわけで、その戦いがずっと続いた10年間でしたね。コンプリートボックスが出るということで、最近過去の音源を聴いたりもするんですけど、やっぱり曲を作っているとき、アレンジを詰めているときの苦悩だったり、そういうものの方が作品作りにおいては先に浮かんでしまいますね。

――メジャーデビュー以降ほぼ毎年のようにフルアルバムをリリースされていますしね。

晁直:リリースペースに関してはインディーズに比べると早くなったので、必然的に考える時間も少なくなるということを踏まえると、インディーズのままだったら今と違う自分だったのかなという疑問は常にあります。だけど、メジャーになってからは良くも悪くも忙しくさせてもらって、メジャーでしか出来ない経験もさせてもらったので、インディーズのままだったらこうはなれていなかったのかなとは思いますね。

悠介:正直、メジャー1stから2ndくらいまでの音源は“もうちょっとこうしたいな”みたいなものがあったりするんですけど、順を追って聴いていくと、ちゃんと進化してきているなっていう実感もあるので、いい10年間をちゃんと過ごせたんだろうなと思いますね。

明徳:目まぐるしい10年間を過ごさせてもらったと思います。その中で、こんなに長い間メジャーにいるのに、東京に来いって言わずに名古屋在住でやらせてもらっているのはありがたいなと。

悠介:わりとわがままを聞いてもらっているので、10年間よくキングレコードが見捨てずにいてくれたなと思います(笑)。

玲央:「これだけ移り変わりの早いシーンの中で、よくメジャーで10年も活動できてますね」ってスタッフに言われて、たしかにそうだよなって思ったんです。それに対して、僕たち自身がそれに見合った数字や成績を残せてるかというと、自信を持って“はい”とは言いづらい部分もあるんですけど、それでも僕らのことを愛してくれて、自分たちもそれに応えたいと思ってやってきた10年なので、こうやってお互いの関係が10年続いていること自体がすごく誇らしいことだなと思います。

玲央

――誰もが出来ることではないですからね。

玲央:晁直も言ってましたけど、インディーズの時では見られない景色を見せてもらって。実際に見ないことにはそれが正解だったか、必要なのかはわからなかったし、実体験したうえで感じることと机上の空論で話し合うのでは重みが違うので、いろんな経験をさせてもらった10年だったと思います。

――メジャーデビュー当初はメジャー/インディーズという肩書にはこだわらないといった考えの中、一緒にやりたいと思った人がキングレコードの方だったからキングレコードを選んだと以前お話していましたよね。

玲央:もちろん他社さんからのコンタクトやインディーズを続けるという選択肢もあった中で、そのときの僕たちが欲していた5年後、10年後の展望に合致したのが、当時声を掛けてくれたキングレコードのディレクター(メジャーデビュー当時)だったというわけです。

――キングレコードで10年活動が続いたということは、キングレコードを選んだことは間違いじゃなかったということでよね。

玲央:これ、この場で“ノー”って言ったらどうなりますかね(笑)。

一同:(笑)。

玲央:バンドの意志を大切にしてくれるのをすごく感じますし、僕はリーダーとして見ていて、このバンドに合っていたなと思いますね。

――2010年のラストインディーズツアーのファイナルでは「つまらないと言われているメジャーシーンを土足で踏み荒らしたいと思います」という発言も話題になりましたが、当時メジャーシーンをどのように見ていらっしゃいましたか?

葉月:世代的にはメジャーへの憧れがあって、メジャーデビューしてこそ成功だろうみたいなものはあったんですけど、僕たちがデビューする頃にはそういう思いもなくなっていたんですよ。正直生活も出来ていたし。だから、キングレコードと最初に話をしたときも強気に条件を出して、これが嫌ならいいです、くらいの感じだったので(笑)。

――そうだったんですね。

葉月:それでもやってくれると言ってもらえたので、お世話になることにしました。今になって思うのはメジャーシーンに不満があるというよりは、インディーズのときにかっこよかったバンドがメジャーに行った途端に面白くなくなることに不満があったのかもしれないな。

晁直:僕も、インディーズでは激しかったのに、メジャーに行ったら歌モノしかやらなくなるみたいなバンドをたくさん見てきて、それだけは絶対に嫌だというメジャーデビューに対する最低ラインがありましたね。

晁直

――そんな不安を吹き飛ばすように『I BELIEVE IN ME』でメジャーデビューを果たすわけですが、僕個人としては当時のlynch.のスタイリングや、音楽シーンのトレンドを踏まえて、もっとスクリーモやラウドに寄せてデビューするのではと思っていて、絶妙なバランスの作品でデビューしたなと驚いたのを覚えています。

葉月:たぶんあれでもだいぶ歩み寄ったんだと思いますよ。だけど、自分から消えない色みたいなものが絶対にあって、それを当時コンプレックスにすら思っていました。そのコンプレックスがまさに次の『INFERIORITY COMPLEX』に繋がっていると思うんですけど。ファンはスクリーモやラウドに完全に寄ってしまうのが心配だったと思うのですが、その気持ちに気づくのは『EXODUS』や『GALLOWS』の頃なので、だいぶ後なんです。

――当時のメイクを落とした、私服に近いスタイリングに関して、「ロックバンドとして勝負していく上で、ヴィジュアル系でしょ? っていう一言で片付けられてしまうのをおそれた」という葉月さんの発言がありましたが、実際そのような見られ方はあったのでしょうか?

葉月:昔の方がそういう色眼鏡は強かったですね。当時はヴィジュアル系がアイドル視されていてロックとして認めてもらえない時代だったので、それが嫌だった時期はありました。

――他のメンバーも当時は同じような考えだったのでしょうか?

玲央:正直な話、あまりそこに対しては関心がなかったですね(笑)。ただ、少なからずそういう色眼鏡があるのは感じていたので、ちょっと横柄な言い方になりますけど、一回やるだけやってみて、そこから自分たちの最善の方向を見つければいいかな、くらいにしか考えていなかったです。なので、(ヴィジュアル系と言われることに対して)劣等感をもって早急に対応しないといけないみたいな焦りはなかったですね。

――なるほど。

玲央:まだ先は長いし、自身で経験したこととそうでないことでは説得力が違うじゃないですか。納得した上でやっていきたいと思っているし、アイデアを持ってきたメンバーがいればやってみて、それが結果良くなくても“ダメだったね”でいいと思うんです。そうでないと、頭ごなしに否定するだけではアイデアを持ってきたメンバーは悶々としてしまうだろうし、僕は一回や二回の失敗なんて大丈夫だからっていう考えの人間なんです。メイクを落とすことにしたって、僕自身も面白そうと思ったから乗ったし、仮に失敗しても、そこで得た経験が一番の財産だと思うので。

――ここから『LIGHTNING』、『BALLAD』という“もっとたくさんの人に聴いてもらうためには”というテーマのもと制作されたシングルを経て、再びメイクをし、黒い衣装を纏うことで“史上最強のlynch.”となったわけですが、ここに行き着いたのはやはりメイクをしなかった時期があったからこそわかったことなのでしょうか?

葉月:そもそも、メイクをやめた時期とメイクをしなきゃって思った時期では置かれている場所が違うんですよ。というのも、ヴィジュアル系との対バンが多かったメジャーデビュー直前の頃と、ワンマンツアーが基本になって、対バンするのはラウド勢になったメジャーデビュー後ではポジションが違うじゃないですか。

――そうですね。

葉月:僕たちがメイクを落とした理由というのは、さっき話したことももちろん一つの要因ではあるんだけど、ヴィジュアル系バンドとの対バンが多い中で、ヴィジュアル系の人たちと違いを出したかったからなんです。それが“脱ヴィジュアル系”と言われてしまえばそれまでだけど、周りと違うことをするってそもそものヴィジュアル系の考え方なわけじゃないですか。そういう意味で、メジャーデビューして、ラウド勢と対バンするようになったら逆に“メイクをしていないこと”が周りと一緒になってきたわけです。こうなるとメイクや日本語の歌詞が自分たちの色じゃないかと気付いて、今置かれている状況で周りの敵と戦うには、そいつらが持っていない武器を使わないでどうする、ということでメイクをしよう、と。

――ある意味ずっとヴィジュアル系の精神を貫いてきたということですね。

葉月:だから、僕はメイクをしていなかった時期を失敗だとは思ってないし、そもそもメイクをしているからヴィジュアル系で、メイクをしていないとヴィジュアル系ではないということではないんですよね。思想はヴィジュアル系だったはずなので。

――この決断に関しては他のメンバーも概ね同意だったということでしょうか?

明徳:メンバー間でスタイリングの方向性に関してディスカッションをしている際に、ライブ制作のスタッフからも同じような話があったんです。間違いなくlynch.のライブを一番俯瞰で見ている人からもそう言われたのが、僕の中では結構大きかったのを覚えています。

悠介:自然な流れな気がします。僕自身にもバンドにも根付いているものだし、運命的なものじゃないですけど、遅かれ早かれこうなるんだろうなって思ってました。

明徳

――そして、lynch.は『EXODUS-EP』から生まれ変わるわけですが、この作品のリリース時にファンとCDショップをまわるサーキットイベントなど、「なんとしてもこの作品を売る」というバイタリティを感じたのを覚えています。

葉月:この時期のことはよく覚えてます。正直、『INFERIORITY COMPLEX』への反応があまり良くなかったんです。楽曲に納得がいっていないわけではないですけど、僕らの方向性と世間のタイミングが合っていなかったのかなという感じで、キングレコードからもお叱りを受けまして(苦笑)。それを受けて作ったのが『LIGHTNING』と『BALLAD』なんですけど、これもファンの方からはあまりいい反応はもらえず……。

――もう後がない、と。

葉月:どうせダメになるんだったら最後にこれをやったらいいんじゃないかというビジョンが僕の中にあって、それを具現化したのが『EXODUS-EP』なんです。なので、この作品にはレーベル側の意見は一切入ってなくて、だからこそ売らないと「ほら、やっぱりダメだったじゃん」って言われるじゃないですか。それはムカつくから絶対に売ってやると思って、辞めていたTwitterを再び始めて発信するようにして、浮かんだアイデアも全部詰め込んで、他のバンドがやっていない、お客さん喜ぶことを全部やろうってひたすら燃えていたのは覚えてます。結果、オリコン最高位をとって、動員も伸びたのでガッツポーズでした。

――また、この作品から葉月さん以外のメンバーも作曲をするようになりましたが、元々lynch.は葉月さんが自分の書いた曲をやらせてもらえるならとスタートしたバンドでもあるわけじゃないですか。他のメンバーが作曲するようになった経緯みたいなものは覚えていらっしゃいますか?

葉月:これもキングレコードからお叱りを受けた際に、他のメンバーにも曲を書かせてみたらどうかという提案があったんですよ。

玲央:当時、葉月が東京に住んでいたこともあって、キングレコードのスタッフと仕事の話をする機会も多かったので、そういったキングレコードからの提案も含めて、これからのビジュアル面やライブの組み立て、音源制作に関して葉月の中にある考えをメンバーにプレゼンして、メンバーもその考えに乗ったことで出来たのが『EXODUS-EP』なんですよね。

――さらに『GALLOWS』(2014年)のリリースでlynch.の名前は広く知られることとなったわけですが、この年の年末には結成10周年の新木場STUDIO COASTワンマン、翌年にはバンド史上初となるホールツアー(TOUR'14『TO THE GALLOWS』)もありましたね。

玲央:(ホールツアーは)よく葉月がOK出したなと思いましたね。

――葉月さん自身「ロックのボーカリストになりたかったのに、なんでお客さんが暴れられないようなところでわざわざやらなきゃいけないの?」と否定的だった話はあまりにも有名でしたもんね。

葉月:否定的だったのは僕だけでしたけどね(笑)。

明徳:僕は抵抗まではないですけど、戸惑いはありました。ホールでlynch.がどんなライブが出来るかなとか、お客さんがついてこれるかなとか、ちょっとした気がかりはありましたけど、やってみないとわからないことでもあるので。

玲央:僕自身、抵抗はなかったです。でも、バンドとしてこれまでもそうですが、メンバーの誰か一人でも乗り気じゃないのならGOサインを出したくなかったんです。

葉月:なんでOK出したんだっけな?(笑)。

――たしかライブ制作の方からの助言もあったと記憶しています。

玲央:そうでした。「一回やってみて嫌だったらもうホールツアーはやらないから、経験値としてお願いしたい」「10周年のタイミングだし、葉月くんもいいって言っている」と言うので、「葉月がいいって言ってるならやりましょう!」って感じでしたね。とはいえ、ホールツアーが始まると否定的だったはずの葉月が一番楽しそうに歌っていたんですけど(笑)。

――そして、翌年2016年はメジャーデビュー5周年ということで東名阪フリーライブも行うなど、外から見ていても勢いを感じたのですが、その実感はあったのでしょうか?

葉月:僕はありました。実感もあったし、その勢いを作ったぞという自負もありましたね。

晁直:調子に乗っていたわけではないですけど、勢いはメンバー全員感じていたと思うし、当時のインタビューとかでも話していたと思います。お客さんからの反応もよかったし、調子がいいんだろうなとは思っていました。

悠介:客観的に見れば勢いがあったとは思うんですけど、僕はそれに驕りたくないと思ってしまう人間なので、あまり意識しないようにはしていました。

悠介

――しかし、このタイミングでlynch.は活動停止を余儀なくされ、再開後も4人で活動をすることとなります。再始動ライブとなった新木場STUDIO COASTでのライブでファンの顔を見て、“lynch.がメンバーのみで完結できるものではなくなった”と感じたという発言がありましたね。

葉月:昔、先輩アーティストのインタビューで「名前だけが一人歩きしてしまった」と言っていて、当時は何を言ってるかわからなかったんですよ。別にlynch.という名前が一人歩きしたわけではないけど、一番最初に玲央さんと晁直くんと3人で始めたときのような自分たちだけの手元にしかなかったlynch.が、いつの間にかすごいたくさんの人と共有のものになってる感覚があったんです。誰しもが一度はlynch.がなくなるかもしれないと思ったからこその感覚なのかもしれないけど、だからこそ頑張って明徳を戻さないとって思いました。

――ここからメンバーは活動と並行して明徳さんをバンドに戻すために奔走するわけですが、結果的にこのままでは不義理だからしっかりと4人で実績を作って検討してもらおうという方向に落ち着いたものの、キングレコードとの契約を失ってでも戻したいという意見まであったそうですね。

玲央:人と人が仕事をする上で一番大事なのは誠意だと思うんです。そこだけは昔から忘れないように気を付けていて、それこそ“明徳のために辞めます。お世話になりました”っていうのは全く誠意を感じないし、明徳が悪者になってしまうだけじゃないですか。それだけは避けたかったし、わがままって言える間柄にしたかったんです。赤の他人にわがままなんてそうそう言えないじゃないですか。だからこそ、今の関係性があると思っています。

――見事に苦境を共に乗り越えたわけですもんね。

玲央:より強いチームになった方が最後は勝つんです。これはインディーズの時に同世代の有名なバンドを間近で見てて思ったことで、同じような技量でも最後に勝つバンドとそうでないバンドの差ってどこにあるんだろうって見てみると、ステージではなくて楽屋で感じるんですよね。“この組織力はなんだ?マンパワーってすげぇな!”って。だから、つまるところ、ファンも含めてlynch.というチームを大きくしたいってことなんです。

関連記事