AKB48 横山由依、深夜バスから始まった12年を振り返る 指原莉乃らも駆けつけた涙の卒業コンサート
まだAKB48の候補生だった高校生の頃、横山由依は、毎週末に地元の京都から深夜バスに乗って東京のレッスン場、そして秋葉原にあるAKB48劇場へと通っていた。ウォークマンから流れるのは大好きなAKB48。その「overture」の高鳴りに、横山は遥かな夢を描いていた。
11月27日にパシフィコ横浜 国立大ホールにて開催された『MXまつり 横山由依卒業コンサート〜深夜バスに乗って〜 supported by 17LIVE』は、当時のように横山が京都駅からコンサート会場であるパシフィコ横浜までを片道8時間、高速バスに乗って移動したVTR映像を軸に、これまでの12年間を振り返っていくライブ構成である。
1stブロックは「ゼロサム太陽」「ALIVE」「After rain」と続く、12年間劇場で汗をかき続けてきた横山らしい容赦ないセットリスト。そのラストを飾るのがAKB48史上屈指のダンスナンバー「根も葉もRumor」だ。フルサイズでパフォーマンスをするのは、この日がコンサートとしては初。筆者は2階席から観ていたのだが、サビのウィッチウェイ、さらに間奏のタットダンスは、大人数のグループが大きな会場で披露することでその迫力が最大限に活かされるダンスだと痛感した。ステージ全域にメンバーが倒れ込むラストは圧巻。思わず声を上げそうになる会場の空気も理解できた。1番のサビ終わりから2番にかけてソロダンスを披露する横山にも黙って頷いた。
歌い出しの〈走る長距離バス〉からまるで横山に当て書きしたかのような「摩天楼の距離」、アンダーガールズのセンターとして選抜への足がかりとなった「偶然の十字路」を経て、『総選挙』ブロックへ。2011年の「フライングゲット」から2018年の「センチメンタルトレイン」までをメドレーで一気に駆け抜けながら、バックスクリーンにはその年毎の横山によるスピーチダイジェストが映し出される。第19位の“過呼吸スピーチ”からスタートした横山は、最後の年には第6位という自己最高位へとランクイン。しかし、そのダイジェストから伝わってきたのは、順位以上に彼女の成長していく姿だった。まだ何者でもなかった横山は、やがて総監督を高橋みなみから受け継ぐ者に、そして向井地美音という次の世代へと継承する者として、7年の間でその立場は大きく変化していった。
「この“由依”っていうのは、人と人とを結ぶっていう由来で両親がつけてくれた名前なんですけど、たかみな(高橋みなみ)さんから美音に総監督を繋いでいけたし、AKB48の歴史を結んでこれたのかなと思うと、私は2代目総監督としての役目を終えたんだなという気持ちになっている」
コンサート終盤、向井地からサプライズの手紙を受け取った横山はそう話していた。ある時、辿り着いた「私は私でいいんだ」という総監督における境地。その考え方は自分と同じくらいにAKB48を愛する3代目総監督・向井地へと受け継がれている。
AKB48の活動に加えて、NMB48との兼任、Not yetの誕生、さらに仕事の一環として取り組んだ資格取得も重なり、過労で倒れるほど多忙を極めた時期が横山にはあった。「HA!」「太宰治を読んだか?」の2曲にNMB48と大阪の大切な友達への思いを込めた横山。続けて「週末Not yet」のイントロが流れ出すと、北原⾥英、指原莉乃、⼤島優⼦が順にサプライズ登場した。この前にはCGM48の伊豆田莉奈、卒業してからAKB48のステージに戻ってくるのは6年ぶりとなる川栄李奈(17LIVEでのアフタートークでは、横山との“よこえい”トーク、なぜか向井地と話が噛み合わない川栄が観られるので、ぜひアーカイブ視聴を)も登場していたのだが、やはり⼤島らがステージに姿を見せた時は会場の空気が一変した。レジェンドとしての貫禄である。
印象的だったのは、先輩3人を前に横山が一気に末っ子の顔になることだ。Not yetが結成されたのは、横山が加入してから2年目の2011年。まだ「Everyday、カチューシャ」で初めて選抜入りする前のことだ。ダンスユニットとして組まれたNot yetだが、コンセプトにある“まだまだ”は自身のことを指しているのだと、当時の横山は自覚していた。そこから晴れて「already」になることができたNot yet。恐縮しきりの横山はこの日一番の涙を流していたが、よくよく話を聞くと楽器チャレンジとして挑戦した「最終ベルが鳴る」でのドラムに納得いかなかったことが涙した要因らしい。
「⼤丈夫! ⼤丈夫! C-C-Bみたいだったよ!」と満点のコメントを出す指原に、「来るに決まってるじゃない!」とサラッと言いのける大島。北原と大島の結婚を祝福する横山に、「私にもなんでもいいからおめでとうございますって⾔って!」とせがむ指原、さらにはグダグダの円陣と自由すぎる4人のトークは、惜しまれつつも幕を閉じたのだった。