アルバム『Sense』インタビュー

名渡山遼が世界に届けるウクレレの可能性 メジャーデビュー5周年の集大成、音楽家としての将来も語る

 ハワイ音楽で知られるウクレレ。ポロロンと爪弾くその音色は癒し系。そんなウクレレのイメージをがらりと覆す男がいる。それが日本を代表する若きウクレレ奏者、名渡山遼だ。様々なテクニックを駆使したダイナミックな彼のプレイを聴けば、画一的なウクレレのイメージが吹っ飛ぶだろう。10代前半ですでに天才少年と騒がれ、本格的なメジャーデビューを果たしてから早くも5年。その集大成であり、新たな一歩といえる全曲オリジナル楽曲の新作『Sense』を完成させた。彼がウクレレと歩んできた人生とは。そして、これからどのように進化していくのか。ニューアルバム『Sense』を軸にじっくりと語ってもらった。(栗本斉)

現在は11本目を製作中、自作するまでのめり込んだウクレレの魅力

――バラエティ番組で天才少年と騒がれていたのがついこの間のようですが、けっこうなキャリアになりましたね。

名渡山遼(以下、名渡山):そうですね。最初にウクレレを手にしたのが11歳なので、すでに17年ほどになります。

――きっかけはなんだったのですか。

名渡山:小学6年生の時にハワイ旅行に行って、父がウクレレを買いたいというので、ウクレレショップを訪れたんです。その際、購入者特典で体験レッスンを家族全員で受けたのが最初です。でも、僕だけが全然弾けなかったんですよ。それが悔しくて、父が買ったウクレレを借りてずっと弾いていたら、いつの間にか好きなって今に至ります。

――じゃあ、お父さんの影響なんですね。

名渡山:いや、父はたまたま母が買ってきたジェイク・シマブクロさんのCDを気に入って聴いていただけですね。父は柔道をやっていて、僕の先生でもあるんです。だから高校生まではみっちりと柔道を教わっていました。小学生の時は大会でしょっちゅう優勝していましたが、ウクレレにどっぷり浸かっていくにつれて、あまり結果は残せなくなっていきました。高校生では県大会でせいぜいベスト8くらい。

――それでも十分すごいじゃないですか(笑)。ウクレレとはその後、どう関わっていったのですか。

名渡山:ウクレレと出合った後は、ひとりで一日中弾いていました。完全に独学です。柔道の練習がきつかったから、現実逃避ですね(笑)。柔道の練習でどんなにヘロヘロになっても、ウクレレを弾くと楽しくて元気になるんですよ。だから、ウクレレを練習しなきゃいけないなんて思ったことはまったくないです。

――テレビに出演するようになったきっかけは。

名渡山:ウクレレショップに紹介してもらった人が、ウクレレの世界でとても顔が利く人で、そこから広がっていきました。人前で演奏する機会ももらい、中学1年生の頃からライブハウスなどに出演していたんです。それで、応援してくれている友だちのお父さんがYouTubeに動画をアップしたら、いろんな人に知っていただくようになりました。テレビ出演もYouTubeがきっかけですね。

――そうやって話題になっていましたが、CDのリリースはもっと後ですよね。

名渡山:大学に入った頃の2011年に自主制作で『Way 2 Go!!』というアルバムを作りました。その後、20歳になってからマネージメント契約をして本格的に活動開始しましたし、キングレコードからのメジャーデビューは2016年なので、いつが本当のデビューなのかはよくわからないんです(笑)。

――メジャーデビューを実現してからも、かなりペースが早いですよね。

名渡山:そうですね。メジャーでのオリジナルアルバムがもう7枚目です。毎年何かしら作ってこうやってリリースできるのは、とてもありがたいです。

――とにかく、順風満帆という印象があります。

名渡山:確かに恵まれていると思います。でも実は、メジャーでの1stアルバム『Made in Japan, To the World』と2ndアルバム『My Dear Ukulele』の間には一度インディーズに戻っているんです。しかも、事務所から円満に離れて独立しています。『My Dear Ukulele』はちょうどそのタイミングの企画で、自作のウクレレの音を残したいと思って作りました。

――自分でウクレレを製作しているということですか。

名渡山:そうです。僕は、自分で演奏する楽器を全て自分で手作りしていて、そこが自分の武器でもあるんです。このアルバムの時は、自作のウクレレが8本あって、それぞれの特徴を生かした曲をソロで演奏する企画をキングレコードに提案したら、「ぜひやりましょう」といってくださって成立しました。

――とてもいい企画ですよね。でも、そもそもウクレレを作ろうとは普通思わないんじゃないですか(笑)。

名渡山:中学に入ってからも父のウクレレを借りていたので、自分のウクレレが欲しいとおねだりして、御茶ノ水の楽器店に行ったんですね。その時に店員さんが出してきた楽器がすごくいい音がして、一目惚れしてしまったんです。それがなんと、お店でいちばん高い楽器でした(笑)。どうしてもその楽器が欲しいと思ったのですが、何十万もするから絶対に買えないじゃないですか。それで「手に入らないんだったら同じものを作ればいい」と考えました。

――すごい熱意ですね。

名渡山:「お小遣いいらないから木を買ってくれ」って木材の専門店で木を買ってもらって(笑)。それで独学で作り始めたのですが、実際出来た楽器は全然音が鳴らないんですよ。その後もまた違うウクレレを作り始めました。

――そこからどうやって納得いく楽器が作れるようになったのでしょう。

名渡山:4本目のウクレレからから弟子入りしました。京都の占部英明さんという有名な職人さんを紹介していただいて。実は占部さんからは、御茶ノ水で見たものよりもいいウクレレをいただいたのですが、なぜかウクレレ製作をやめようは思わなくて、中学2年生の春休みに、一人で京都の占部さんの家に泊まり込みでウクレレ製作を学びました。

――じゃあ、その4本目からは基本的には自分で作った楽器を使っているということですか。

名渡山:そうです。5本目は中学を卒業する時、6本目は高校卒業する時に作りました。7本目からは結構テンポがよくなり、現在は11本目を製作中です。

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