ビリー・アイリッシュと家族が見つめる“少しぼやけた世界” 成長映したドキュメンタリーを観て 

 『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている(原題:Billy Eilish: The World’s A Little Blurry)』は、最近の音楽ドキュメンタリーに見慣れている身としては、どこか異様とも思える作品に仕上がっている。ナレーションは一切なく、解説は時系列と場所を示すのみ。本作を完成させるために撮り下ろされたインタビュー映像もなければ、ドキュメンタリーの目的を説明するテキストもない。ただ、淡々と2018年から2020年初頭を中心に撮影された、ビリー・アイリッシュと彼女の周りにいる人たちの様子を捉えた映像が続くだけ。にも関わらず、2時間20分という驚くほど長尺の作品に仕上がっている。

 それはつまり、本作の監督であるR・J・カトラー氏は、わざわざ自分で物語を語らなくとも、代わりに膨大な映像が物語を浮かび上がらせてくれることを期待しているのだ。そして、それは見事に成功している。10代後半という若さで驚くほどの成功を実現させたポップスターが、その成功とどのように対峙してきたのかが生々しく描かれている本作は、明確に物語を語らなくとも多くの人々にとって共感出来る内容となっている。

 それは、厳密に言えば本作が「ビリー・アイリッシュの物語」ではなく、「ビリー・アイリッシュと家族の物語」を映し出したものだからであろう。

家族として、ビリーのために出来る最善の選択とは

 本作の前半パートは、1stアルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』の制作風景と、同時期に実施されたツアーの様子を中心に構成されている。インタビューなどで語られていた「自宅でのレコーディング」では、特にレコーディング用に整備されていない部屋の中で、PCや楽器を触る兄・フィニアスとマイクを握るビリーが相談しながら、後に10億回以上再生される大ヒット曲を作り上げていく。多くの人が「レコーディング」と聞いて想像する光景とは明らかに異なるこの映像は、それ自体が興味深いものになっている。

 だが、このレコーディング映像を見ていると、一見すると仲良く同じ方向に向かって努力しているように見えるフィニアスとビリーの間に、楽曲制作に対する考え方の違いがあることに気付かされる。楽曲制作者としてのプレッシャーを感じ、誰もが共感するようなヒット曲を書いてレーベルの担当者を黙らせたいと考えるフィニアスに対し、そのような楽曲を好まず、また人気が高まること自体への負担を感じているビリーは、やがてぶつかりあってしまう。だが、フィニアスは「若く野心的なプロデューサー」と「妹が苦しむことを不安に思う兄」の2つの姿の狭間で悩み、その悩みを抱えたままアルバムを完成へと導いていく。

 このような葛藤に悩まされるのは、2人の母親であるマギー・ベアードにとっても同様である。ツアーに同行し、ビリーのサポートを担当する彼女は、多忙を極めるツアーによって強い負担を感じる娘の姿を見続けることになる。負担が高まったことで、ビリーは持病のチック症(顔をしかめる、口を尖らせるなどの動きを本人の意思とは関係なく繰り返してしまう症状)を悪化させ、元々弱かった足を痛め、当時の恋人との関係性の悪化に悩み、そしてファンの期待に応えられているのかどうかについて不安を抱くようになっていく。だが、あくまでビジネスパーソンとしても立ち振る舞う必要があるマギーは、ビリーのことを心配そうにじっと見守りながら、その時々でビリーがやるべきことを(本人が拒もうと)冷静に指示していく。ここにも、ビジネスと家族、2つの物事の狭間で悩む姿が描かれているのである。

 前半のクライマックスは、2020年のコーチェラフェスティバルである。自身の人気を証明する、壮絶な盛り上がりを見せたステージの裏側で、完璧主義者であるビリーは自身のパフォーマンスのレベルの低さに苦しみ、恋人に助けを求めるも来てくれることはなく、失意の底へと堕ちていく。

関連記事