「news23 MUSIC」プロデューサーに聞く、報道番組で音楽を扱う意義 小田和正との出会いが転機に

「news23 MUSIC」報道番組で音楽を扱う意義

 音楽の魅力を広く伝えるメディアとして、大きな機能を果たすテレビの音楽番組。CD全盛期に比べて番組数が減少する中、それぞれ趣向を凝らした番組づくりが行われている。そんななかでも、注目すべき番組に焦点をあてていく連載「テレビが伝える音楽」。第12回では、『NEWS23』(TBS系)内でスタートした新コーナー「news23 MUSIC」を手掛ける服部英司プロデューサーに取材を行った。『レコード大賞』なども手掛ける服部氏のサウンドへのこだわり、『クリスマスの約束』での小田和正との出会い、そして報道番組の中で音楽を取り上げる意義など多岐に渡る話題をお届けする。(編集部)

小田和正さんとの出会いがなければ今はなかった

――服部さんがテレビ業界や音楽番組に関わるようになったきっかけを教えてください。

服部英司プロデューサー(以下、服部):僕は新卒でTBSに入社しました。特別にテレビ業界を志していたというわけではなかったのですが、1970年生まれで10代の少年期・青年期にテレビの黄金時代が続いていたので、憧れはずっとあって。入社試験の時から音楽番組を志望していました。僕自身は音楽の専門的な教育を受けたことはなかったですが、身内に音楽家が何人かいて、生まれたときから身近な環境に音楽があったので、メディアで働くなら音楽に関係したもの、という思いはありましたね。でも、最初の配属は営業でしたが(笑)。

――制作ではなく、営業からスタートしたんですね。

服部:営業には2年程在籍していましたが、「音楽番組をいつか作りたい」とずっと言い続けていて。入社して3年目に制作セクションに異動になったんですが、担当は午後の情報番組でした。1999年にようやくバラエティ番組をつくる部署に異動になり『ここがヘンだよ日本人』のADをやっていましたね。

――実際に最初に音楽番組を担当したのはいつ頃ですか?

服部:1999年夏に『ここがヘンだよ日本人』と同じプロデューサーが担当する『うたばん』に異動になり、それが初めての音楽番組でした。1990年代の音楽番組は『うたばん』、『ミュージックステーション』、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』などがありましたが、『ミュージックステーション』以外はトークをいかに長く楽しく作るかが重視されていて、どちらかと言うとトークバラエティの意味合いが強かった。だからいわゆる“音楽番組”という感じではなかったですね。生の演奏ではなくてカラオケのことも多かったし、業界全体として視聴率が下がるから歌の尺を短くするべき、という雰囲気があって。視聴率競争が熾烈を極めていましたし、音楽を一番に考えて届けるような番組が少ない時期でした。当時は、テレビで音楽を表現するのはもう無理なのかなとも思っていましたね。

服部英司氏
服部英司氏

――悶々としたものがあったというか。

服部:悶々というよりかはどちらかと言うと、知らなかった自分がいけない、仕方がないという気持ちだったと思いますね。テレビって、何か特定のジャンルをストイックに追求するのではなくて、売れているものや流行っているものをジャンルに分けて紹介するメディアなのかな、って。テレビ局を受けたのは自分ですし、文句を言うようなことではないですから。

――『うたばん』にはどれくらい関わっていたんですか。

服部:1年半ぐらいで意外と短かったんですよ。その間に『COUNT DOWN TV』のディレクターをやらせてもらったりしていましたね。でも色々あって、2001年の夏に『ワンダフル』という深夜番組に異動になりました。直前まで『うたばん』などのキャスティングの窓口をやっていて、当時僕は31歳でした。実は2001年の春ぐらいからずっと、一緒にプロデューサーをやっていた先輩と、小田和正さんに会いに行っていて。最初は『うたばん』に出てくださいというお願いでしたが、『うたばん』はどうしても出られないとなり、「それなら特番で何かご一緒できませんか」と提案をしていたんです。僕が異動した2001年夏には特番をやることになり、具体的に話を始めていた時期だったので、上司に「音楽番組の担当ではないけれど、この仕事だけはクレジットもなくていいので最後までやらせてほしい」とお願いしたら、OKをもらえました。それで2001年12月に『クリスマスの約束』を担当できたんです。

――ようやくですね。

服部:そこでその制作過程と放送を通して、入社して以来初めて「テレビでも音楽をストレートに表現することができる」と気付くことが出来ました。放送中や放送後に色々な人たちからメールや電話をいただいて。とても嬉しかったし、自分のやった仕事で誰かが喜んでくれることがあるんだと初めて感じました。それが大きな人生の転機でしたね。そのときに、小田さんの音楽との向き合い方も知って。色々なものを削ぎ落として音楽だけを残して届ける、本当にストイックな番組で。またこういうものを自分で作ってみたいという欲が出ましたね。自分がほかのアーティストと一緒に作るんだったら、テレビという媒体でどう音楽を伝えたらいいのか、音楽ってどう表現すべきものなのか、とすごく考えるようになりました。小田さんとの出会いがなければ今、制作セクションにもいなかったと思います。

小田さんの番組で思い描いていたことを『レコード大賞』でかたちに

――それからまた音楽番組を手がけていくようになったんですか?

服部:いえ。『ワンダフル』や『王様のブランチ』のディレクターをもやりながら、小田さんの番組(『クリスマスの約束』)だけは続けていましたが、レギュラーの音楽番組には、縁がありませんでした。でも2004年ごろに、僕のいる『王様のブランチ』の部署が、たまたま『日本有線大賞』と『日本レコード大賞』を担当する部署になっていて。僕が「音楽番組をやりたい」と言い続けていて、『クリスマスの約束』を担当しているのは知っていたから、上司から「やってみたら?」と。それで『有線大賞』のプロデューサーを担当して、翌年から『レコード大賞』のプロデューサーも。だから、年末だけ音楽特番を3本担当するという時期が数年続きましたね。

――年末に特番3本、かなり忙しそうですね。

服部:忙しかったです。年末になると、仲間内では「季節労働者」と言われてからかわれていました(笑)。『レコード大賞』は僕が初めて担当した2005年が史上最低視聴率の10.0パーセントで、「このまま終わっちゃうのかな」と思ったぐらいでした。もちろん歴史のある大きな番組で、予算もかかっていて、セットも巨大でしたけど、ちょっと危機的な状況ではありましたね。そのときに、小田さんの番組をやりながら思い描いていたようなことを、『レコード大賞』という舞台でかたちにすることはできないかなと考えて。コンペティションの番組ですけど、テーマは音楽なので、音楽を演出上の頂点におくべきだと思ったんです。業界の人たちから一目置かれるような素晴らしいサウンドを表現できる場にできないかと。それまではほとんどカラオケだったんですが、フルバンドを入れて、音楽監督を立てて。ミュージシャンも超一流のスタジオミュージシャンだけを揃えて、音楽監督には服部隆之君に入ってもらって。でも、最初の年は「番組のアレンジとハウスバンドで」と、声をかけても、断られてたりして、承諾してもらうまでにかなり説得が必要でしたボロボロでした。昔のテレビ番組って、『8時だョ!全員集合』から『ザ・ベストテン』まで、みんな生バンドでカラオケを使う文化はあまりなかったんですけど、1980年代ごろから音源の再現性が問われるようになってきて。当時はマニピュレーターも発達していないし、同期の音源と生の音源を混ぜ合わせるのも、今ほど簡単ではなかったのかもしれないです。それで少しずつ生バンドがなくなっていって、カラオケ音源がテレビでも重宝されるようになった。その流れの中で、『レコード大賞』も昔はフルバンドがいたんですけどいなくなってしまいました。

 話を戻すと、日常で音源を聴きながらよく「この曲もっとああなったらいいな」と思うことがあったんです。予算の問題でやりきれなかったけど、本当はもっとリッチに表現したかったんだろうなとか、本当はミュージシャンを雇いたかったんだろうけど打ち込みになっていたり。だから、もっとアコースティックでリッチにすることを目指したほうがいいんじゃないかな、と思ったのも、『レコード大賞』にフルバンドを戻す動機のうちの一つでしたね。もちろん、きゃりーぱみゅぱみゅさんやPerfumeさんなど生の演奏が合わない、むしろ打ち込みがいい曲もあるんですよ。でも例えば、演歌だったら生の演奏をしたほうが届きやすい。あとはポップスでもデータで入っているストリングスを生のストリングスに変えたり、シンセブラスだったものを生のブラスに置き換えたりすることでぐっとよくなることも多いので、レーベルやマネジメントのご担当を一人ずつ説得しながらやっていきましたね。人が演奏する音楽って生物(なまもの)なので、日やステージの作りによって毎テイクごとに微妙に盛り上がったりそうでなかったりして違ってくる違う。レコード会社の中でも、そういうところを楽しんでくれる人は「(バンドが)このメンバーだったらやりたいです」と言ってくれて。それで徐々に多くのアーティストが『レコード大賞』に音を預けてくれるようになったんですよね。達成感や喜びがありましたし、音楽はテレビだけのものではないかもしれないけど、番組オリジナルのサウンドであるべきだ、という気持ちが強くなりました。2ミックスでやる分には音もいいし、手間もかからないし、制作進行上も非常に助かる。でも例えば、週に3、4本ゴールデンで音楽番組があったとしたら、皆さん新作プロモーションのタイミングで出るから、同じアレンジの同じサウンドを週に4回聞くわけですよ。年末の音楽特番が多い時期も同じです。昔はそれでもよかったかもしれないけど、2000年代を過ぎたら視聴者は「またやってる」になっちゃうかもしれない。そうは思わなくても、番組毎に聴感上の個性が出にくくなる。バラエティ番組で芸人さんが別の番組と同じネタを話すことに近いかも知れません。だからそこはこだわり続けてやっていることではありますね。

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