連載「EXILE MUSIC HISTORY」第3回:DJ KIRA

EXILE MAKIDAI 連載「EXILE MUSIC HISTORY」第3回:DJ KIRAと語り合う、ダンサーのためのトラックメイキング

 EXILE MAKIDAIによる「EXILE MUSIC HISTORY」は、EXILEが2021年9月にデビュー20周年を迎えることを受けて、その音楽的な進化の軌跡を振り返る新連載だ。

 最新のストリートカルチャーやダンスミュージックのエッセンスを、メロディアスで口ずさみやすいJ-POPに注入し、ダンスパフォーマンスによる視覚的な表現を掛け合わせることで、日本の音楽シーンに一時代を築いてきたEXILE。そのクリエイションには一体どんなイノベーションがあったのだろうか。日本の音楽シーンを代表するクリエイターたちの肉声に、MAKIDAIが迫る。

 第3回のゲストには、10代後半でHIROに弟子入りし、その導きでトラックメイカーとなったDJ KIRAが登場。EXILEの楽曲はもちろん、ライブでパフォーマーたちがダンスをするためのインストトラックも制作しているDJ KIRAに、ダンサー用のトラックメイキング術について話を聞いた。オリジナルメンバーとも深い交流があるDJ KIRAならではの濃密な対談となった。(編集部)

すでに音楽に夢中だったKIRAの幼少期

MAKIDAI

MAKIDAI:KIRAはEXILEの活動もそうですし、まっちゃん(松本利夫)の舞台『MATSUぼっち』やÜSAの舞台だったりとか、特にBABY NAILの面々をはじめとしたパフォーマーチームの温度感も察知しながら、その長い歴史を支えてくれています。最初に会ったのはたしか94年だったよね?

KIRA:僕がDJをやっていた六本木のクラブだったかな。

MAKIDAI:そう。共通の友達のダンサーに誘われたパーティでKIRAがDJをやってた。その時にA Tribe Called Questの「SCENARIO」やBlack Sheepの「The Choice Is Yours」とかをかけていて「うわ、すげえな」と思ったのが最初です。あとKIRAという名前もまたカッコいいじゃないですか。

KIRA:全然覚えてない(笑)。その時はまだ1回目か2回目くらいのDJで緊張してたから、あまり記憶がないですね。

MAKIDAI:そう思うと出会ってから長いね。KIRAやVERBALくん、DJ DARUMA氏もそうだし、同い年が多い。僕は16歳くらいの時、中目黒のダンススタジオででZOOのレッスンを受けていたんですけど、HIROさんが個人で行っていたレッスンにもKIRAは通ってましたよね。

KIRA:HIROさんは、ZOOスタが終わった後に個人スタジオをやっていたんですよ。その募集が雑誌『FINE BOYS』の後ろに本当に小さく載っていて、ここに行くしかないと決めて通いました。

MAKIDAI:あとレコードショップでKIRAからTruth Enolaのレコードを教えてもらったこともありました。今は簡単にいろんな情報にアクセスすることができるし、その量も多いけど、当時は当時の楽しさもあったなと思います。

KIRA:その人しか持っていないような情報がいっぱいあって、面白かったね。

MAKIDAI:初期EXILEのパフォーマンスのためにKIRAの実家にもよく行ったね。ÜSAとかAKIRAも一緒に。

KIRA:HIROさんも毎週のように来て「こういうの作ってよ」みたいなね。そこでHIROさんが言っていた言葉やイメージが、しっかり曲として残ってEXILE TRIBEに引き継がれてきているのはすごいことだと思います。

MAKIDAI:特にパフォーマー曲の制作では、パフォーマーが伝えたいことのニュアンスをトラックメイカーに分かってもらえるかどうかが大事ですからね。そういう点でも、ずっと自分たちのイメージを形にしてきてくれたKIRAをリスペクトしています。自分たちはダンスのカルチャーやヒップホップ、ハウスなどに直で影響を受けてきた世代だけれど、KIRAはヒップホップだけじゃなくて幅広い音楽を聴いている。だからこそ、引き出しが多いんだろうね。

KIRA:単純に子供の時から、音楽への執着がすごくあったんです。テレビで流れている音をラジカセで録音して聴いて、ものすごい量をため込んでいた。そのあとZOOやHIROさんを知って、番組とか楽曲とかも全部チェックして。結局「その曲をどうやって作るか」というところにまで興味がいっちゃった感じ(笑)。

MAKIDAI:そこがすごいよね。点が線になるというか、ちゃんとダンサーとしての経験など、通ってきた道が活かされている。

KIRA:ヒップホップにはサンプリングソースとなる元ネタがあって、元ネタのさらに元ネタがあったりするじゃないですか。そうすると、もうジャンル関係なく聴かないとカバーできない。だからヒップホップの元ネタを掘り出したのが、今みたいな音楽の聴き方になる上で一番大きい要因かなと思います。

EXILE HIROのアドバイスでトラックメイカーに

MAKIDAI:僕がDJ MAKIDAI名義でミックスCDを作る時の作業もKIRA宅スタジオでやりました。その時によく言っていたのが、「HIROさんから『この音源をいっぱい聞いといて』とアドバイスされた」という話でした。何か印象的なエピソードがあれば教えてください。

KIRA:HIROさんのスクールに通いだして、20歳を超えた頃に「もうダンスはやめて、こっち(楽曲制作)で行ったほうがいいよ」と言われたんです。衝撃の一言ですよ。僕の耳には「ダンスは向いていない、曲作ってるほうがまだ良いんじゃない?」というニュアンスに聞こえて、ショックでした。もうダメだと思ってその日にダンスを辞めましたから。

MAKIDAI:そんなカミングアウトをここにきて(笑)。

KIRA:でも、だからこそHIROさんが僕の師匠です。あの一言がなかったら、だらだらダンスを続けていて、トラックメイキングも中途半端になっていたかもしれない。でも本人にその話をしても「そういうニュアンスで言った訳じゃないんだけどな」って(笑)。今思えば、もっと僕が世の中に貢献できる新しい道を開けようとしてくれていたんだなと。

MAKIDAI:よくあるね(笑)。HIROさんの優しさは後からわかる。

KIRA:だから、もうDJとトラックメイクで行くしかないと。でもスクールには行ってました。HIROさんの踊りを見て、かかる曲も聞いて、それを踏まえて自分の曲を出して。でも踊らないので、やれることを待っていたんです。そうしたら帰りにHIROさんが 「こういう曲を作りたいから相談したい」という感じで、ご飯に誘ってくれて。そのうちに「今度J Soul Brothersを作る」と言われて、その流れでEXILEができていきました。それから「俺たちが踊りたい曲をお前が作ってよ」と。それで毎週家に来て「こういう曲を聴いておいて」と教えてくれるようになったんです。

MAKIDAI:直伝中の直伝なんですね。

KIRA:初めは「この曲作れない?」と言われても、僕はヒップホップしか作ったことがなかったので分からなかったんです。そうしたら、HIROさんが3000枚くらいCDを持ってきて「これを全部聞いて、全部研究しろ」と。言われた通りに全部ひたすら、ずっと聴いてました。

MAKIDAI:まじで! それは知らなかった。ある意味、託されたんだろうね。それが今の血となり骨となり、作品となっているんですね。あとは『EXILE LIVE TOUR 2005 〜PERFECT LIVE "ASIA"〜』の時だったと思うけど、頭のSEを1音ずつ一緒に選んだのをすごく覚えてます。

KIRA:EXILEの仕事をするようになって、自分でSEとかもできないとヤバいなと思って、やるようになったんですよね。ちょうどその後、2006年ぐらいかな。HIROさんだけのDVD『ZOO⇒J Soul Brothers⇒EXILE』の時に、SE付けも結構やらせてもらいました。ありがたい限りです。

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