藤井風、特異な言語感覚によって引き出される豊かなストーリー “言葉のグルーヴ”と“演出の妙”を解説
押韻に加えて印象的なのは譜割りで、藤井の書く鋭く、ときにねっとりとシンコペーションするメロディが、詞の方向性をぐっとコントロールする快楽がある。先に挙げた「もうええわ」での16ビートのなかにあらわれる8分音符の〈もうええわ〉もその一例だ。さらに、「キリがないから」での、16ビートに淡々と並べられた音から一気にシンコペートする部分。具体的には、〈気づけばハタチは遠い過去/いや夢?マボロシ!〉の〈遠い過去〉でぐっと裏に入る譜割りは、そこまで「記憶」や「過去」を描いていた詞が一気に「現在」や「未来」へと方向転換する内容の変化を劇的に演出している。こうした転換は、後の〈ここらでそろそろ舵を切れ/いま行け、未開の地〉のほうがぐっとわかりやすいかもしれない。
本稿ではあえて歌詞の主題やメッセージといった解釈には踏み込まなかったが、豊かなストーリーやメッセージを藤井の歌に感じられるとすれば、それには方言を駆使したリズミカルな言葉のグルーヴや、押韻とかシンコペーションを巧みに用いた場面場面の演出の妙が大いに貢献しているだろう。それは洗練であると同時に、ある種の「泥臭さ」や「エグみ」にもつながってる。藤井の詞にはシニシズムのような達観がある一方で、ヒューマニズムにあふれきわめて人間くさい。そのようなことをあわせて考えると、藤井の詞は、刹那主義と無臭化にかたむきがちな「シティポップ」の(さまざまな文脈が複合した)再評価にわく日本のポップミュージックに対する、ひとつのアンチテーゼのようにも思える。私見だが、なぜ藤井に「次」を感じ、託したくなるかといえば、その点が大きい。
■imdkm
1989年生まれ。山形県出身。ライター、批評家。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。著書に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。ウェブサイト:imdkm.com