amazarashi、バーチャルライブが示した一体感と社会のあり方 『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』から考える

 『朗読演奏実験空間 新言語秩序』は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の影響を受けた世界観が魅力だが、今回の配信にあたり届けられた秋田の「『新言語秩序』は、一般市民同士の相互監視によって言葉が奪われた社会を描いています。このテーマが時を経て、より深刻に感じられてしまう今の社会のムードが悲しいです」というコメントは、最近の世の中の出来事を振り返ると非常に胸にくるものがある。

 コロナ禍における“自粛警察”、“不謹慎狩り”に始まり、著名人の政治的発言に対するSNS検閲などは、『1984年』で描かれたディストピアな世界そのものだ。また新型コロナ感染対策として期待される顔認証、追跡システムなどは一見すると我々の生活にとっては、安全を担保するためのように思えるが、一方ではプライバシー保護の観点での問題も孕んでいる。

 『朗読演奏実験空間 新言語秩序』がテーマとする“言葉”においても、先述の“ニューノーマル”然り、“ソーシャルディスタンス”、“ロックダウン”、“オーバーシュート”など為政者たちが盛んに使う市民を混乱せしめた耳慣れない言葉は、さながら『1984年』でいうところの体制による支配を盤石にするための言語“ニュースピーク”のようだ。それだけに小説のディストピアな世界が現実に重なりつつある状況の中、配信されたライブステージで示された“検閲解除”された言葉の数々は社会や我々の生活の在るべき姿を考えるきっかけを与えてくれる。

 『1984年』には「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」を指す、“二重思考”という概念が出てくる。現代では市民の様々な個人情報はスマホに集約されているが、“ニューノーマル”においては新型コロナ感染防止のためにその提供も止むなしという声もある。またSNSによる市民間の相互監視もそれが実現する。しかしながら、そういった監視社会に反旗を翻すための『朗読演奏実験空間 新言語秩序』と一体化するためにはスマホが必要になってくるのも事実だ。

 今、現在において我々はまさにその矛盾を承知しながら双方の目的のためにそれを利用している。もしかしたら今回の配信にはその事実を確認させるという意図があり、それこそが『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』における“1.01”の部分だったのかもしれない。そして、そういったことに配信を見たファンがそれぞれ考えを巡らせる必要がある時代こそが「令和二年」なのだ。

■Jun Fukunaga
音楽、映画を中心にフードや生活雑貨まで幅広く執筆する雑食性フリーランスライター。DJと音楽制作も少々。
Twitter:@LadyCitizen69

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