Busker Buskerが一つのきっかけに 韓国路上ライブ=バスキン、歴史と流行ジャンルの変遷

韓国“バスキン”の歴史と流行

 バスキン(Busking)とは、大道芸、路上ライブ全般を指す言葉だ。日本ではあまり聞き馴染みのない単語だが、K-POPに関心のある人なら、きっと一度は聞いたことがあるだろう。この言葉を聞いて、デビュー前のアイドルの路上ショーケースや、K-POPカバーダンスを連想する方も多いのではないだろうか。

 しかし、実際韓国で「バスキン」といえば、どちらかというと歌唱・演奏のパフォーマンスを連想する人が多いように思う。それはおそらく、この「バスキン」という言葉が韓国国内で盛んに使われるようになった一つの要因が、人気オーディション番組『SUPER STAR K3』出身アーティスト・Busker Buskerにあるためだ。

 今回は、韓国のバスキン文化の歴史と流行ジャンルの移り変わりについて、映像と共に掘り下げてみようと思う。

 1961年から20年以上に渡り続いた軍事政権の下、韓国では長らくの間バスキンや大道芸などの行為はタブー視されていた。しかし、その後の民主化・文化開放に伴い、バスキン文化も徐々に花開くこととなった。

 バスキンの聖地は今でこそ弘大と言われているが、その発祥は実は大学路なのだそうだ。1980年代後半、大学路の路上で大学生が始めたアコースティックライブが、現在のバスキンの歴史の始まりだと言われている。大学路出身のバスキンアーティストとして有名なのは、マロニエ公園で30年近くもの間バスキンを続けてきたキム・チョルミン&ユン・ヒョサンというデュオだ。

KBSLife20181226

 ギャグや観客とのトークを交えながらの独特なライブを行っており、名物アーティストとして老若男女から人気を博していたのだとか。

 その後、大学路の商業化が進むにつれ、よりアンダーグラウンドな環境を求めた若者たちは徐々に大学路から弘大へと活動拠点を移し、バスキンの聖地もやはり弘大へと移動していった。1990年代末から2000年代前半にかけては、普段はライブハウスで活動しているインディーズ系バンドがゲリラ的にバスキンを行ったりしていたそうだ。

Crying Nut「Deep In The Night」

 当時弘大でバスキンを行っていたというパンクバンド・Crying Nutの代表曲「Deep In The Night」は、アマチュアアーティストによるカバー曲として、今でも耳にすることのある一曲である。

 そして2010年代。『SUPER STAR K』や『TOP BAND』などのサバイバル番組がヒットしたことをきっかけに、韓国国内でソロ歌手やバンド形式のアーティストに対するマス的な再評価が進み、「バスキン」という言葉も一気に市民権を得ることとなった。これには、冒頭にも記したBusker Buskerというバンドが多大な影響を与えている。

 「大道芸(=バスキン)をする人」を意味する単語を冠したBusker Buskerは、元々、忠清南道・天安の路上ライブ文化を作ることを目的に結成された音楽集団出身だ。彼らの名が売れたことで、「バスキン」という単語も自然と広まっていったのである。

Busker Busker「桜エンディング」

 春先に弘大へと赴けば、今でもかなりの確率で彼らの代表曲「桜エンディング」のカバー演奏を聴くことができるだろう。

 Busker Buskerの大ヒットを筆頭に、バスキン出身という経歴は一種のステータスと化し、2010年代前半には多くのバスキン出身アーティストが大衆人気を博すようになった。例えば、『SUPER STAR K4』に出演しTOP4入りをしたホン・デグァンは、軍隊除隊後、アーティストを目指して日々弘大でバスキンを行っていたそうだ。

Hong Dae Kwang-No Answer MV

 「アメリカーノ」で一世を風靡した10cmも、弘大のバスキン出身アーティストとして有名だ。結成当時2人組グループだった彼らは、地方から上京後、バンド練習と商いを兼ねてしばらくの間弘大でバスキンを行っていたのだとか。

10cm「アメリカーノ」

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