ダニエル・ジョンストンは素晴らしいポップヒーローだったーー岡村詩野による追悼文
そう、ダニエル・ジョンストンは何をおいても素晴らしいポップソングライター、ポップヒーローであることがまず語られるべきなのである。多くの人が感じるように、確かにダニエルの音楽はかなり“自由”なものだ。特に初期作品を集めた『Songs Of Pain』(1980年)などを聴けばわかるように、譜割や音階にとらわれない歌がふわふわと空中を舞っているように聞こえる。それをして、アウトサイダーアートとして評価されてきたのもわからないではないし、アメリカの人気カートゥーンアニメのキャラクター・キャスパー(Casper)やキャプテン・アメリカをモチーフにしたものや、目玉が飛び出た奇妙なカエル、ツノを生やした男、ピアノを弾くガイコツなどシュールでユーモラスなタッチの自筆のイラストもまた彼のそうした社会の規範からハミ出た感性を伝えるものだろう。
だが、カート・コバーンが着用したことでも知られる彼のイラストをあしらったTシャツが、実際は彼の音楽をほとんど知らない人たちの間でいつのまにか人気になったように、実際にダニエルが描く音や絵画は大衆性あるポップアートとしての包容力を感じさせるものだ。2000年、私が彼の地元であるテキサス州(オースティンの町の建物の壁面にはダニエルの絵画が描かれていた!)でライブを見たときは、会場中がまさにおらが町のヒーローを応援するかのようにアットホームで賑やか。風変わりなアウトサイダーを見届けるような様子などはまったくなく、それどころか代表曲「Speeding Motorcycle」などほとんどの曲でみんなで唱和するような場面さえあった。もちろん、彼のボーカルはやはり調子っぱずれだった。でも、そんなダニエルを支えるようにシンガロングするオーディエンスたちはちゃんと理解していたのだ。ダニエルは彼自身が大好きなアメコミのヒーローさながらにポップスターなのだ、と。
だから、その後の取材で「ポップミュージックが大好き」「アメリカンヒーローが大好き」「The Beatlesが大好き」と彼が語ったのは、詭弁やアイロニーはもちろん、不思議ちゃんなんかでもなく、ただただ、本当に彼は純粋にポップなものが好きということだったのだ。
ちなみに、私が一番好きなダニエルのアルバムは、カート・コバーンが亡くなった1994年にリリースされた『Fun』。当時人気だったButthole Surfersのポール・リアリーがプロデュースし、メジャーのアトランティックからリリースされた(後にも先にもメジャーリリースの作品はこれ1枚)、いわゆるオルタナ時代を象徴する作品で、しっかりとしたバンドアレンジで仕上げられた曲もあり、ダニエル史上最もウェルメイドな録音で完成された作品なので、ダニエルの熱心なファンの多くはむしろ抵抗を感じるかもしれない。だが、このアルバムを聴けば、ダニエルのメロディがいかに耐久性のあるものかがわかる。タフなバンド演奏にも、音質の良さにもまったく負けない、それどころかポップなメロディが際立つアルバムなのがなんとも象徴的だ。
だから、私はダニエル・ジョンストンというアーティストを、アウトサイダーミュージックの系譜上で語るより(それはそれでアリだし、実際そのアングルで語る面白さもある)、死んでしまった今こそThe Beatlesの遺伝子という系譜で語ってみてはどうかと思っている。いくつもの病気を抱えた彼のパーソナルなエピソードはもう永遠に封印された。けれど、彼の音楽の持つ生き生きと生命力をたたえた息吹こそ、ポップミュージックたる理由であり、そこは永遠に開門したままであるからだ。
ところで、ダニエル・ジョンストンを今から改めて知りたいという人にまず何よりオススメしたいのが、2005年に公開されたドキュメント映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』だ。そして、資料としては日本公開用に制作されたハードカバーの豪華パンフレットが決定版と言っていい。バイオグラフィー、ディスコグラフィー、年表などなど、その時点でのダニエル百科事典のような内容で、私もそこで湯浅学さん、中原昌也さんと対談しているので入手した方はぜひ読んでみてほしいと思う。でも、そういや最近見かけなくなった。ちょっと前までは古本屋や中古レコード店などで見かけたが……。あれを増補改訂してちゃんとした書籍として今一度発刊してほしいと願っている。
■岡村詩野
音楽評論家。『ミュージック・マガジン』『朝日新聞』『VOGUE NIPPON』などで執筆中。東京と京都で『音楽ライター講座』の講師を担当している(東京は『オトトイの学校』にて。京都は手弁当で開催中)ほか、京都精華大学にて非常勤講師、α-STATION(FM京都)『Imaginary Line』(毎週日曜日21時〜)のパーソナリティも担当している。