イタリアのハードコアフェスの特徴は? DEATH SIDEとMUSTANGがヴェネツィアに残した爪痕

 2012年から始まり今回で7回目を迎える『Venezia Hardcore Festival』だが、このフェスに日本のバンドが出演するのは初めてらしく、初日に会場を東洋人のパンクスがウロウロしているだけで珍しがられ「どこから来たんだ? 出演するのか?」と話しかけられることが多かった。

 その対応は純粋に珍しくて話しかけてくるようだった。アメリカの一部地域などではあからさまに蔑んだ目で東洋人を見下す人間もライブにいるが、今回イタリアでそれを感じることはなかった。

 人種や国などで偏見を持つことなく、フラットな目線で知らないものに興味を持ち、良いものに対しては最大限の反応を見せてくれる。どこの海外でもその部分は同じであるが、今回のイタリアではそういった部分が強く感じられたのも事実である。

 ほかの海外ではDEATH SIDEの知名度もあり、事前に知っていてライブに来る人間が多いが、今回のイタリアではほとんどDEATH SIDEは知られていないためにライブが非常に楽しみになった。

 出演しているバンドを観ていても、ニュースクール系やメロコア系のバンドが多く、DEATH SIDEやMUSTANGのようなバンドはひとつもないどころか、観客にもモヒカンや鋲ジャンを着ているような、いわゆるパンクスがほとんどいない。

 そんな中のフェス2日目に、まずMUSTANGのライブが始まった。

MUSTANGのライブの模様。(撮影=Giulio)

 ライブが始まると最初は遠巻きに観ていた観客が、演奏が進むにつれ前に出てきて、サークルモッシュができあがっていく。会場内に次々と観客が押し寄せ、入りきれないほどの人間で溢れかえり、反応も凄まじい。初めて観る日本のバンドのレベルの高さや情熱的なアティテュードにどんどん引き込まれて行く様子が手に取るようにわかる。

 MUTSTANGのライブは、テンション、技術、情熱、何もかもがこの日の出演バンドの中でダントツだった。これを観て気分が高揚しないわけがない。

 間に1バンドを挟んですぐDEATH SIDEの演奏のため、ギターの弁慶は非常に大変だったと思うが、いよいよDEATH SIDEの出番が近づいてきた。

 この時偶然にも外が豪雨となり、外にいる観客のほとんどがDEATH SIDEのプレイする会場に入ってきた。

 始まる前にステージの前にいた観客や、ステージ横にいた友人にイタリア語を教えてもらい記憶する。

 超満員となった観客の前に立った瞬間、見知らぬモヒカンの東洋人がイタリア語で話し出すと、一気に観客がステージに注目する。間髪入れずに英語で煽りライブをスタートすると、客席が瞬時に沸騰点に達した。

 こうなればあとは信頼し合っているメンバーの呼吸に任せ、相乗効果で上限なしにテンションが上がりまくる。

 日本のハードコアパンクはこれだ! CHELSEAを感じろ!

 その日来ていた観客のほとんどが知らないバンドであるにもかかわらず、異常な盛り上がりを見せ、ギターのORIによると横にいたエンジニアも1曲終わるたびに拍手していたほど好評のうちにライブは終わった。

 ライブが終わりバーにいくと、バーテンダーに写真撮影を頼まれたり、MUKAIは酒を奢ってもらったりしていたようだ。

 『Venezia Hardcore Festival』 に初めて出演した日本のバンドとして恥ずかしくないライブをMUSTANGとDEATH SIDEはやってきた。ヴェネツィアに日本の爪痕を確実に残して来ただろう。これを機に日本のハードコアやパンクに興味を持ってもらえたら嬉しいし、CHELSEAという男を知ってもらえたらこの日のライブをやった甲斐がある。

 世界中のパンクスは確実に繋がっていることを確認できた素晴らしいイタリアだった。最後にこのフェスに出演する交渉をしてくれたGiulioと、最初に声をかけてくれたEU’S ARES、オーガナイザーのSamallに心からの感謝を送ります。

 本当にありがとう! Sono giapponese. Non capisco italiano fanculo!Ciao!

(メイン写真=sherwoodphoto)

■ISHIYA
アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST

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