欅坂46「黒い羊」は欅歌謡の金字塔に ナスカとの強力タッグが生み出した“自己完結”の歌

拍子やメロディから逸脱する人間的な“ズレ”とサビの一体感

 曲の序盤で特徴的なのがAメロの早口で語る部分である。〈夕暮れ時の商店街の雑踏を通り抜けるのが面倒で〉と平手が低い声で話すように歌う場面だ。拍子やビートの縛りから抜け出して自在に動き回るこの語り部分は、まるで集団から離れてひとりだけ自由行動しているかのようである。また、そこから続く〈放課後の教室は苦手だ〉から始まる箇所では、16分を目一杯に使って文字を詰め込んでいる。こうした詰め込み型の歌詞は欅坂46にとっては初めての試みではない。今までの楽曲にも現れていた傾向だ。一般に、歌詞は文字数が多くなると冗長になってしまいがちだが、欅坂46はそれを逆手に取って、思春期の若者に特有の“不器用さ”であったり、束縛・規範からの“解放”や、抑えきれない感情の“爆発”の表現につなげている。

 しかし一方で、対照的なのがベタッとしたリズムで歌われるサビでのユニゾンである。特にサビ後半の「今夜はブギー・バック」(小沢健二 featuring スチャダラパー)によく似たあたりは、主旋律が拍子にベッタリとくっ付いた状態をキープし、全員で“集団行動”をする。そのため、どこか不自由さがある。が、その分耳に届くときの威力や一体感は大きい。細かに動くAメロに対し、一体となって訴えかけてくるサビがある。この“個”と“集団”の対比が今作の核となっている。

 2番に入るとラップも登場し、ひとり語りもさらに量を増していく。そんな中で登場する〈人生の大半は思う様にはいかない〉以降のメロディは曲中でも随一の美しさだ。平手以外の歌割りでリレーされている点も切なさに拍車をかける。サビ直前〈全部 僕のせいだ〉では音を微妙に外しながら苦しそうに平手が歌う。これがまた胸を締め付ける。思うに欅坂46というグループは、ある決められた法則(=拍子やメロディ)から逸脱する人間的な“ズレ”を見せた時に不思議な力を発揮する。しかし、その直後には再度引き戻されるようにして一体感を持つ2サビへ移る。“個”と“集団”を振り子のように何度も行き来することで、終盤へ向けての大きな推進力を得ている。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる