2ndアルバム『ネオドリームトラベラー』インタビュー

はるまきごはんが語る、表現活動で大事なこと「自分を好きな人にどれだけいいものを伝えられるか」

 ボーカロイド文化の人気が再燃していることをあなたは気がついているだろうか? 特に10代人気は依然高い。JOYSOUND『2018年カラオケ年間ランキング 10代』では、実にTOP10内の半分以上がボーカロイド文化出身クリエイターによる作品だ。

 そんな中、新しい才能として注目したいのが12月26日にリリースされる、1996年札幌生まれの鬼才クリエイター、はるまきごはん2ndアルバム『ネオドリームトラベラー』だ。作詞・作曲・編曲はもちろん、動画やイラスト、映像、アニメーションまでを自身で手掛ける圧倒的才能。2年ぶりとなる15曲収録のボカロ歌唱フルアルバムは、“夢”をテーマに制作された。チャーミングな調声、透明感あるポップロックサウンド、幻想的な小説のようなこだわりを持つ歌詞世界が中毒性高い。

 YouTubeで190万再生を突破中の「メルティランドナイトメア」、人気曲「ドリームレス・ドリームス」、「コバルトメモリーズ」、「八月のレイニー」、「アスター」、「セブンティーナ」などを収録した、言わば現時点のキャリアの集大成となった本作。人気シンガー、そらるやSouに提供した楽曲のボカロ版も収録していることも気になるポイントだ。

 はるまきごはんの楽曲はMVで繰り広げられる謎めいた物語展開も魅力。リスナーは歌詞や映像を読み解き、SNSやブログなどで深読みし合う楽しみもお馴染みとなりつつある。今回、パッケージ作品の初回限定盤では“世界観設定資料集+画集”が付くことで、普段見れない裏側までを徹底解説する没入度の高い作品となっている。(ふくりゅう / 音楽コンシェルジュ)

知ってもらう場はインターネットでありたい 

ーー素晴らしいアルバムが完成しましたね。アルバムのラストで1曲だけ「セブンティーナ」をセルフカバーしてご自身で歌唱されていますが、今回はボカロ集大成となるアルバムなのでしょうか?

はるまきごはん(以下、はるまき):「ドリームレス・ドリームス」から「セブンティーナ」まで、ボカロオリジナルとしてまとめたアルバムですね。セルフカバーは、その二次創作として楽しんでもらえたらなと。ボカロをメインにしたアルバムをやりきってみたかったんです。

ーー満足度が高そうですね。

はるまき:そうですね。1stアルバム『BLUE ENDING NOVA』を2年前に出した時の反省があったんです。「ここをもっとこうすればよかったな」とか「もっとしっかりやればよかったな」みたいな。それを全部修正できたなって思っています。

ーーはるまきさんは、イラストも音楽もどちらもやられますが、クリエイターとしてのスタートは音楽とイラストってどちらがが先だったんですか?

はるまき:僕はイラストが先でした。Pixivとかに1枚絵を投稿している絵師さんに憧れてTwitterで投稿するようになりました。同時に、公開してなかったけど、別軸でDTMで音楽も作っていました。これを絵と合わせて、ひとつの作品にしてみようと思ったのが音楽を投稿しようと思ったきっかけですね。

ーーボーカロイドを使って?

はるまき:すでに使ってましたね。

ーーパソコンという自由度の高い制作ツールを持っていたことが、創作の源になってそうですね。

はるまき:パソコンとの出会いは大きかったですね。それより前はアナログで。小学校のときは漫画家になりたかったんです。ずっと自由帳に漫画を描いてました。でも公開はしていなくて。それが変わったのがパソコンを買ってもらってデジタルで絵を描くようになってからですね。ペンタブを買って、最初はGIMPっていうPhotoshopの無料版みたいなフリーソフトでやってたのを途中からSAIっていうお絵描きソフトに変わって。パソコンを使うようになって効率がかなり変わったんですね。めちゃめちゃ早いスピードで作品を作れるようになったって。

ーー音楽をやるようになったきっかけは?

はるまき:ピアノを習ってました。でも、譜面も読めないから音を覚えて弾くしかできないような感じで。でも、それとは別で、自分で曲を作って歌詞を書いて歌ってカセットテープに録音する遊びはしてました。小学校1年生くらいの頃から。

ーーえっ、カセットテープなんですね。

はるまき:身の回りで、カセットテープしか録音できるツールを持ってなかったんです。コンポみたいなやつで録音機能があって。それに向かって歌って録音してました。

ーーアナログな宅録だったんですねぇ。

はるまき:当時、オタマジャクシを飼ってたんです。オタマジャクシがみんなカエルになって放したんですけど、1匹だけしっぽが生えたまま死んじゃった子がいて。そいつのレクイエムとして作ったのが最初の作曲。チビっていう名前だったので「ちびのうた」を書いて。それをピアノの先生にきかせたら発表会で歌うことになりまして。作曲のはじまりでしたね。

ーーピアノの先生が理解ある方だったんですね。

はるまき:先生はわりと、僕がピアノに興味ないことを許してくれたというか。よく厳しい先生とかもいるじゃないですか? そんな感じではなくて、好きなことをやろうみたいな。僕が持ってきた好きな曲を弾かせてくれたりして。教科書無視でやってましたね。おかげで、音楽に対する嫌だなって気持ちが生まれなかったんです。逆に学校の音楽の授業はあんまり好きじゃなくて。自分が好きな音楽をやるのが好きでした。

ーーいまに通じてますね。物心がついた頃、アーティストだとどういう方が好きだったんですか?

はるまき:親がCDを持っていたのがきっかけで、中島みゆきから入りました。あと、井上陽水とチューリップと仮面ライダーのオープニング&エンディング集のカセットがあって、それをずっと聴いてました。5年生くらいになってFUNKY MONKEY BABYS、GreeeeNとコブクロにハマりました。J-POP、面白いなって。それからだんだん、BUMP OF CHICKENやRADWIMPSとか邦ロックに興味を持って。そのあと、ボカロや東方アレンジなど同人の世界が好きになったんです。とはいえ、全部並行して聴いていた感じですね。

ーーアーティストに心酔するよりも、楽曲重視?

はるまき:僕はそういうタイプですね。ひとつのアーティストを崇拝するというよりも、そのアーティストのなかでも好きな曲とそうじゃない曲が明確に分かれていて。いろんなアーティストから好きな曲を見つけて、合わせて聴くみたいな。

ーー邦ロックからの影響が強そうですが、アンビエントやヒップホップなど、はるまきさんの作品からはいろいろな要素を感じられますよね。

はるまき:そうですね、アンビエントも好きで。ゲーム音楽とか、海外でアーティスト名が読めないような人の曲をで探して聴いていたりします。J-POPと対極にあるような曲も好きなんですよ。

ーーバンドはやられてたんですか?

はるまき:高校生のときにコピーバンドをやってました。

ーー世代的に、ロックもボカロも普通にある時代ですもんね。

はるまき:そうですね、選択肢としてすでに存在してたんです。ボカロは、僕が小学生の頃に広まって。中学校になってパソコンを買ってもらってニコニコ動画を観るようになったタイミングでは、DECO*27さん、wowakaさん、ハチさんのようなレジェンドの人達がちょうど盛り上がっていました。当時のボーカロイド文化の、いわゆるアングラ的な側面にも惹かれました。同時に東方アレンジ方面もですね。僕はけっこうひねくれ初めていたんで、J-POPでいう大衆的なものからは離れようとしていたんです。

ーーでも、音楽作品の投稿はニコニコ動画ではなく、SoundCloudからだったと。

はるまき:ニコニコ動画に対する敷居を感じていました。ニコニコは自分を知らない人もランキング等から流入してきたり、コメントが来たりするので。まずはSoundCloudに作品を置いて当時のTwitterフォロワーだけに聴いてもらうということをして、「自分の曲って他の人からしたらどうなんだろう?」っていうのを探ってました。

ーーそして、初投稿作品「WhiteNoise」が生まれたと。

はるまき:ちょうど自分のパソコン環境で動画編集をできるようになったんですよ。そこで、ニコニコ動画もいけるなって。処女作は、そのころにしてはめちゃくちゃ再生してもらえて。1,000再生くらいですけどね。それでもすごい嬉しくて。こんなに知らない人が聴いてくれるんだって驚いて。次を出そうっていう気持ちになりましたね。

ーーそして、すごい再生数が跳ねたのは「銀河録」。

はるまき:「銀河録」で、それまで見たことないような再生回数になって、急にいろんな人が自分のことを知ってくれるようになりました。純粋に楽しいなって思いました。

ーーかつてだったら、ライブハウスで揉まれて成長していくというヒストリーが、世代的にニコニコ動画やYouTubeに変わっていったタイミングですね。

はるまき:そうですね。僕的には、全然ライブハウスでって考えはなかったんです。むしろ、知ってもらう場はインターネットでありたいと思っていました。インターネット自体が好きなんです。

関連記事