いきものがかりが国民的グループになり得た理由 ソロ活動から活動再開までを追う

 どこにでもいそうで、どこにもいないタイプの女の子。それがフロントに立つ吉岡聖恵のキャラクターだと思うのだが、それは歌にも言えること。クセの少ない清涼感のある歌い方だけれど、誰にも真似のできないスタイルがある。それは路上ライブで鍛えられた声量の大きさを活かした、空気をたっぷりと含む声の作り方によるもの。彼女の歌声は音源で聴いているぶんには非常にサラリとしていて聴きやすいが、生で聴くと凄まじい迫力に驚かされる。いきものがかりはスタジアム級のワンマンライブも非常にエネルギッシュなパフォーマンスだが、それ以上に、様々なアーティストが同じステージで歌う夏フェスのステージで感じた、吉岡の歌唱力は鳥肌モノだった。

 自己実現や自己表現は様々なミュージシャンが楽器を手にする時の動機になるが、いきものがかりの3人は、それ以上に「歌」を大切に「歌」を聴く人の想いを大事に活動をしてきた。いわば「楽曲至上主義」的なプロフェッショナルな姿勢が感じられる。「どんなアレンジでも大丈夫、と思える曲作りが出来るのが僕たちの強み」(フリーペーパー『ぴあclip!』より)と水野が語っていたことがあったが、だからこそ曲ごとに色んなアレンジャーに編曲してもらうことで時代のトレンドを掴むフレッシュなサウンドを身に纏うこともできる。

 そうした水野の職人気質だけではなく、吉岡のキャラクター然り、山下穂尊が書く楽曲の人に寄り添う温もりやどこか哲学的な深み、その全てが揃ってこそ、いきものがかりが多くの人に長く愛される魅力になる。

 何より、いきものがかりの名曲たちにおける最強ポイントはテーマ設定だ。「SAKURA」や「HANABI」といった日本の四季ならではのシチュエーションを描き、「帰りたくなったよ」では誰の心にも響く郷愁を煽り、「気まぐれロマンティック」では恋する気持ちをキュートに溢れさせ、「ありがとう」では別れと感謝という普遍的テーマを真正面から歌い上げ、ちょっとお祭り騒ぎしたい時には「じょいふる」がある。誰がいつどんな時に聴いても酔いしれることができる「風が吹いている」なんて万能すぎる曲も。そんな風に、いきものがかりは日本人の心に寄り添う名曲を生み出し続け、ヒットする度に彼らに対する信頼は高まるばかりだった。その反面、本人たちは期待に応えなくてはいけない。自分たちが時代に残る名曲を生み出すことそのものが彼らにとっての高いハードルとなり続けていたのかもしれない。だからデビュー10周年という節目に「放牧」という彼ららしい名目で活動休止したことは、いきものがかりを続けていく上で必要な選択だったのだろう。

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