折坂悠太の物語性とスタンダード性を備えた歌 宇多田ヒカルら賛辞贈る存在感の理由を紐解く

 有り体に言って現在の折坂悠太の存在感は“注目のシンガーソングライター”だと思う。ブルーズ、民族音楽、ジャズなどのエッセンスと日本のトラディショナルな“歌”の佇まいとが相俟って生まれる彼の音楽に、彼がライブ活動を始めた2013年以降、ゴンチチ、後藤正文、伊集院光、小山田壮平、坂口恭平、寺尾紗穂らが賛辞を贈ってきた。

 そして宇多田ヒカルだ。今年6月のニューアルバム『初恋』リリース時にリアルサウンドで掲載されたインタビューのなかで、自身がアルバム制作の時期に「好きで何度も聴いていた曲」として挙げたのが、折坂の「あさま」だった。(参考:宇多田ヒカルが語る、“二度目の初恋” 「すべての物事は始まりでもあり終わりでもある」

折坂悠太 - あさま(MV)

 当の折坂もこの発言に反応し、後日、自身のSNS上で「「先生」とつけるほど尊敬する表現者のひとり。物凄く光栄です」という謝辞をアップした。前述の宇多田のインタビューを担当した経緯もあって、筆者は折坂と話す機会に恵まれた。まずは彼にとって宇多田とはどういう存在なのかを聞いてみた。

「ずっと聴いていました。特に『Fantôme』がリリースされた時のインタビューを読んで、こんな言い方も何ですけど、あらためて『信用できる人』だなあと感じました。彼女は生身としての自身と音楽を生業としてやっていく自身とが地続きで、乖離していない。しかもそれが多くの人に受け入れられている。ああいう考え方の方が音楽業界にいることは自分にとって救いだし、頼もしい。「(音楽シーンに)いてくれてありがとうございます」という思いです」

 自主1stアルバム『たむけ』(2016年)に収録されている「あさま」の出自は折坂のプロフィールに起因する。

 “あさま”とは長野と群馬の県境にそびえる浅間山のことだが、平成元年生まれ・鳥取出身の折坂は、父親の仕事の事情から幼少頃の一時期をロシアやイランで、それ以外の日本にいる多くの時間と帰国後から現在までの生活を千葉県の柏で過ごしてきた。なかでも、彼が小学校の頃から最も多くの時間を過ごし、自己を形成していった場所が、柏にあるフリースクールだった。

「小学6年生の頃から、毎年、夏になるとフリースクールのみんなで北軽井沢へキャンプに行っていたんです。古い宿舎みたいなところで3日ぐらい過ごすんですが、特にそこで体験した時間は、自分にとって大きな位置を占めています。でもある年、その宿舎に蜂が発生するようになって、もう行けなくなってしまった。それで北軽井沢に思いを馳せて書いたのが「あさま」でした」

 つまり「あさま」は折坂にとって“原風景”とも言える曲なのだ。

「ギターを弾き始めた頃、わけも分からぬままギターを担いで、ずっと森のなかを歩いては、黙々と(ギターを)弾いていました。その時の思い出をようやく形にできたのが「あさま」でした。この前、フェスで小袋成彬さんと初めて会った時、「(宇多田さんは)何が引っかかってくれたんですかね」と聞いたら「でもよくない? あれ。ピュアじゃん」と言ってもらえて。自分でも「たしかに」と思いました(笑)。僕は自分の歌に「実は」といった裏の想いを入れがちなのですが、「あさま」については夏休みの思い出をただそのまま歌った、それが伝わる人に伝わってくれたのかなあといまは思っています」

  “朴訥とした美しさ”。“贅のない豊かさ”。身体全体から発するような折坂の歌声と、シンプルだがインパクトのある言葉選びによって編まれたその歌詞に初めて触れた時、筆者はそんな印象を抱いた。だが彼はいわゆる“天然キャラ”ではない。むしろ自身のボーカルとソングライティングについて、極めて自覚的とさえ言える。

「中学生になると、自分のアイデンティティを探し始めるじゃないですか。海外にいると外国人の着こなしに憧れたりもする。でもやっぱり顔つきも体格も違うから似合わない。そこで「じゃあ自分のルーツって何なんだ?」と考えて。僕は洋楽も好きですが、それをそのままやっても元を薄めたものにしかならない。だったらこの顔と骨格の「自分由来で勝負しなきゃ」という思いが、音楽を始めた頃からありました。ナンバーガールとeastern youthを熱心に聴いたのも、向井秀徳さんの血生臭さや吉野寿さんの焦燥感が、暮らした土地と人間そのものからのものだと感じられたからでした」

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