THE PINBALLS、ライブから伝わる“ロックバンドとしての哲学” 全国ツアー最終公演を振り返る

THE PINBALLSが体現した“バンドの哲学”

 ハードボイルドな演奏を繰り出しながら、曲が終わるごとに感謝を述べ、満面の笑顔を浮かべる古川を見ていると、そこだけスタイリッシュに振る舞うことがむしろかっこ悪く捉えられる今の世代感が明確に見て取れる。誰かに対する攻撃ではなく、ロックで見たことのない世界やグルーヴを体感してほしい、究極のところを言えばそれ以外にTHE PINBALLSの理想はないのかもしれない。そしてそこがこのバンドがオーセンティックなロックンロールやガレージロックを鳴らしていながらも、新しい存在感を放つ理由だろう。

 再び疾走する「ひとりぼっちのジョージ」、カウパンクなノリの「重さのない虹」を経て、最新シングルから〈細胞と細胞と細胞が脳〉という意味不明な歌詞だが、聴くほどにイメージがわくサビが刺さる「Lightning strikes」で、フロアの熱はさらに上昇。同シングルから重低音が響く、悪夢的な匂いのある「Voo Doo」やシアトリカルな「劇場支配人のテーマ」と、流れもいい。シンプルな構成ながら、曲のレンジが広いことにライブ終盤になって気づいたのだが、考えてみればすでに5作のミニアルバムと1作のフルアルバムなどを世に出してきた彼らには100曲近いレパートリーがある。オーセンティックな編成ながら同じような曲がないセットリストにフロアが狂喜するのも当然だし、THE PINBALLSのライブの体感時間が早く感じられるのは、そうした事実が起因しているのだろう。

 個人的には「carnival come」での歌メロの裏を縫うような中屋のリフは、ソロ以上にこのギタリストのセンスが際立っていた。中性的なルックスも相まって、ちょっとジョニー・サンダースがジョニーよりシュアなギターを弾いているような印象を受けた。素晴らしいセンスだ。本編ラストは「蝙蝠と聖レオンハルト」。言葉数で畳み掛けつつ、少しセリフ回し的なボーカルにアレックス・ターナー(Arctic Monkeys)にも似た、ストーリーテラーとしてのボーカルの強みを見せ、エンディングではステージを横切りつつ、バスドラに飛び乗りジャンプ。興奮抑えきれずという自然なアクションが痛快だった。

 アンコールも含め凝縮しきった90分は体感としては30分程度。激しいライブをするバンドだが、曲の世界観で未知の空間を擬似体験させるところが、今後さらにグラデーションのあるリスナーを獲得する強みになっていくのではないだろうか。

(写真=白石達也)

■石角友香
フリーの音楽ライター、編集者。ぴあ関西版・音楽担当を経てフリーに。現在は「Qetic」「SPiCE」「Skream!」「PMC」などで執筆。音楽以外にカルチャー系やライフスタイル系の取材・執筆も行う。

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