『FLOWERS』インタビュー
三浦祐太朗が明かす、『FLOWERS』完成までの足跡「自分を解放してみたらすごく楽になった」
三浦祐太朗が、8月1日に4年ぶりのオリジナルアルバム『FLOWERS』を発売する。2017年に発表した母・山口百恵楽曲のカバーアルバム『I'm HOME』のリリースを経て完成したのは、個性の強い花をまとめて一つの花束に仕上げたような彩り豊かな作品だ。山口百恵「さよならの向う側」とリンクした阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の「菩提樹」、Peaky SALT時代の楽曲「WITH」や「月と木星の距離」、大のアニメ好きな三浦が作詞を、前山田健一が作曲を手がけた「Home Sweet Home!」(『邪神ちゃんドロップキック』エンディングテーマ/TOKYO MXほか)など、これまであまり触れられてこなかった自らの境遇や内面を解放した、自由なテーマの楽曲が揃っている。はたして今、三浦祐太朗はどんなことを考えながら音楽活動に臨んでいるのか。リアルサウンド初インタビューでお届けする。(編集部)【インタビュー最後に読者プレゼント情報あり】
自分自身と向き合い次に進む
――オリジナル作としては、実に約4年ぶりとなるアルバム『FLOWERS』が完成しました。
三浦祐太朗(以下、三浦):結構長い期間が空いたので、何かひとつのコンセプトに沿ったものというよりも、この4年間の自分の足跡みたいなものを、とにかくこのアルバムには込めたかったんですよね。
――かなりバリエーションに富んだ楽曲が並んでいますが、本作のスタート地点は、どこになるのでしょう?
三浦:去年の7月に『I'm HOME』というカバーアルバムを出したんですけど、次はオリジナルのアルバムを作っていきたいよねっていうところから始まったというか、そこから漠然と、どんな曲を入れようかと考えたり、新しい曲を作っていったりしたので、今からちょうど一年ぐらい前からですね。
――そう、去年、母親である山口百恵さんのカバーアルバム『I'm HOME』を出されましたが、そこに至るまでには結構葛藤もあったんじゃないですか?
三浦:そうですね。ただ、歌番組で母の曲を歌う機会が多くなってきていて、その反響もたくさんいただいていたんですよね。で、そのタイミングでレコード会社の方に、このカバーアルバムのお話をいただいて。でも、正直自分ひとりでは決められなかったですね。それまで、大体のことは全部自分ひとりで決めてきていたんですけど、このことに関しては決められなかったというか。自分がやっていいものかとか、母のファンの方に失礼にならないのかとか、いろいろと考えた結果、やっぱり自分ひとりでは決められなくて。それで、初めて母に相談したんです。そしたら、自分の曲が息子の声で聴けるのは嬉しいって、ポロッと言ってくれて。じゃあ、いろいろ大変かもしれないけど頑張ってみるわ、と一歩踏み出すことにしました。
――改めてお母さんの歌と向き合って、いろいろと感じるところもあったんじゃないですか?
三浦:今まで、自分の母と山口百恵がリンクしてなかった部分があったんですけど、そこがリンクしたのがある意味良かったというか。当時の映像なり音源なりを観たり聴いたりしながら、改めて昭和のあの時代のトップスターだったんだと感じたところはありましたね。あと、言葉とメロディがすごく密接に結びついているというか、このメロディには絶対この歌詞だよなと感じさせる何かがあるなと思いました。母親の曲だけではなく、昭和歌謡と呼ばれるもの全般に感じることではあるんですけど、そこが最近のJ-POPとは違うところで、だからこそ普遍性があるものが多いのかなと思いました。
――リリース後の反響も、かなり大きかったのでは?
三浦:たくさんの人に聴いてもらえたという実感はありましたね。それは、CDの売り上げ的なところでもそうだったし、ライブの動員的にもそうだったので。同時に“三浦祐太朗”を、ちゃんと認知してもらえつつあるなということが、『I'm HOME』を出した後に実感としてあった。そういう意味では、出して良かったなと思いましたね。あと、自分の“声”については、人に言ってもらって、「ああ、そういう声なんだ」「こういう楽曲が合うんだ」と初めてわかるところがあるというか。そこは自分よりも、他人の判断に委ねてしまったほうが逆にいいのかなと最近思うようになりました。そう、『FLOWERS』に収録されている「菩提樹」を手がけていただいた宇崎竜童さん、阿木燿子さんご夫妻が、僕の声について「今の歌い手にはあまりない哀愁がある」と言ってくださったり。そういう部分は今後も大事にしたいし、心の片隅に置いて歌っていきたいと思っています。
――今回のアルバムに入っている曲もそうですが、Peaky SALTのときとは、だいぶ歌声の印象が変わりましたよね。
三浦:ピーキーの頃は、めっちゃ若いですよね(笑)。もう10年ぐらい前になるので。そう、実は今回のアルバムの6曲目に入っている「WITH」という曲は、ピーキーの頃の曲なんですよね。今この歳で歌う「WITH」が、いったいどんな感じなのか、みんなに聴いて欲しいなと思って。あと、3曲目に入っている「月と木星の距離」という曲も、実はバンドのときに出せなかった、未発表曲なんです。
――あ、そういうことなんですね。
三浦:そうなんです。バンドでバーンって表に出たあと、すぐにバンドがダメになって、その後ソロになって……バンドのことを引きずっている部分も、正直当時はあったんですけど、今それを俯瞰で見ると、ちょっと違っていて。やっぱり当時自分たちがやっていたことを、もう一回みんなに知って欲しいというか、バンドでこういう曲をやっていたんだということを今改めて聴いてもらいたくて、今回のアルバムに入れたんですよね。
――いわゆる“黒歴史”ではなく、そこには何かのきらめきがあった。
三浦:そう、そういうものが確かにあったと思うし、あそこで失敗したからこそ、今置かれている状況が、すごい幸せに思えたりもするんですよね。
――“失敗”って言ってしまっていいんですか?
三浦:ははは。でも、僕のなかでは、明確に失敗だとは思っていて。もちろん、自分たちがやりたいことをやっていたつもりではあったんですけど、正直それがうまく実現できなかったところもあって。そのなかで、メンバー4人が違う方向を向き始めてしまったんですよね。同じ学校の友だち同士で始めたバンドなのに、それが仕事になったら、いろいろうまくいかない部分も出てきてしまった。で、結果、メジャーデビューから2年ぐらいでバンドが終わってしまったので、それはどう考えても、失敗だったとは思うんですよね。
――うーむ。
三浦:というか、それを自分でちゃんと認めないと、次に進めないと思うんです。もちろん、そのときのファンの方もいるので、あまりこういう言い方はしたくないですけど……でも僕のなかでは、明確に失敗だったと思っているんですよね。
――ということは、バンドの活動休止以降、かなり悩んだ時期もあったんじゃないですか?
三浦:そうですね。なんとなく世間に知れ渡ったけど、もうバンドもやめて、仕事もなくて……みたいな感じだったので(笑)。で、そこからまたライブハウスを自分で回って、一緒に音楽をやってくれる人を探して活動をするようになりました。その人たちが、今まさに僕のバックで演奏をサポートしてくれている人たちだったりするんですよね。あと、捨てる神あれば拾う神ありじゃないですけど、松山千春さんの自叙伝を原作とした舞台『旅立ち~足寄より~』のオーディションを受けてみないかという話があって、それで舞台をやらせていただいたり。そういうチャンスにしがみついて、必死にやっていたところはありますよね。
――そういうなかで、「自分は何をやっていきたいんだろう」みたいなことを考えたり?
三浦:そう、その頃は、歌だけやることがかっこいいと思っていたというか、他のことをやるのは、他人の現場に土足で足を踏み入れている感覚が自分のなかにあって。ただ、今はもう何か、そういう時代でもなくなっているのかなって思うようになって。結局今って、何でもできなきゃいけない時代になっている気がするんですよね。そこはひとつ、考え方が変わったところではあって。「こういうお仕事があるよ」と言われたときに、「いやいや」ってそっぽを向くのって、すごくもったいないと思ったんです。それは、舞台に出させてもらったり、そのあと『ノンママ白書』というドラマに、ちょっと出させてもらったり、そういう経験をさせていただくなかで、すごく感じたことでもあって。それが結果、自分の音楽に活きてきたりしているので、目をつぶって見ないふりをしているのは、やっぱりもったいないなと思うようになりましたね。だから今は、それこそやれることは何でもやらせていただきたいですし。