映画『恋は雨上がりのように』音楽面に注目 ミュージシャン起用の仕方の特殊さを考える
たとえば、くるりが犬童一心監督から依頼を受けて『ジョゼと虎と魚たち』の音楽を手がけた頃(2003年でした)は、まだ「ロックミュージシャンが映画音楽を手がける」ということにニュース性があったが、それがここ15年ほどでそうでもなくなった気がする。「あのミュージシャンがこの映画の音楽を担当!」というのが、さほどニュースにならないくらい普通になった、ということだ。
あ、“主題歌”や“エンディングテーマ”ではなく“劇伴”込みでの映画音楽の話です。ちょっと前だが、是枝裕和の『海よりもまだ深く』(2016年)はハナレグミ。もっと前だが、大根仁『バクマン』(2015年)のサカナクション。最近だと沖田修一監督の『モリのいる場所』(2018年)は、LAMAでの活動や電気グルーヴのサポートでも知られるagraphこと牛尾憲輔が、音楽を手がけている(ことを、観に行って知りました)。
というように、サウンドトラック全体をミュージシャンに依頼する場合もあれば、映画の中で使う曲をミュージシャンから提供してもらう、という組み方もある。三浦大輔監督『何者』(2016年)で、菅田将暉演じる神谷光太郎がライブハウスで歌う曲として、忘れらんねえよ柴田隆浩が「俺よ届け」を提供ーーというような例です。余談だが、映画ではこの曲、<絶対 俺変わってみせるから>というサビだったのが、後に発表された忘れらんねえよバージョンでは<絶対 俺変わったりしないから>と逆になっていた。笑いました。
話がそれた。戻します。という劇伴関係で、最近気になった作品が、2018年6月上旬現在公開中の、永井聡監督の映画『恋は雨上がりのように』である。この作品の音楽、“ミュージシャンの起用のしかた”がちょっと特殊なのだ。
まず、トータルの音楽監督は、原田知世などのプロデュースを手がけて来たボサノヴァ・ギタリストの伊藤ゴロー。で、彼の監修の下、神聖かまってちゃん の子&mono、忘れらんねえよ 柴田隆浩、スカート 澤部渡が劇伴を作っている。伊藤自身も作っているので、1本の映画に4組の劇伴制作者が参加している、ということだ。
サウンドトラックの曲目のクレジットを見ると、伊藤ゴローが17曲、の子が2曲、澤部が2曲、柴田が3曲。柴田の3曲が「近藤と小説 1」「近藤と小説2」「近藤と小説3」であるところを見ると、基本的には伊藤が書くが、あるシーンは柴田に、別のあるシーンは澤部に、というような発注のしかただったのでは、と思われる。
そして主題歌。原作で主人公のあきらのお気に入りの曲であり(ただしこの映画では特にそのような描写はない)、原作の眉月じゅん曰く「このマンガのテーマソング」である、神聖かまってちゃんの「フロントメモリー」を、亀田誠治がアレンジし、鈴木瑛美子が歌うバージョン。というのがあったので、の子&monoの劇伴への参加も決まったのだろう。原作と切っても切り離せない曲だから使いたい、でも4年前の曲なのでそのまま使うのもなあ、カバーとかリメイクはどうだろう、という風に考えた果てに、こういう結果になったのだろうと推測するが、アレンジャーもシンガーも大正解、と言うほかない、映画を観ると。「うわ、こんなにいい曲だったのか」と、ちょっとびっくりするくらいの美しい仕上がりになった同曲が、エンディングで流れる。
さらに。“劇中歌”として、現在人気急上昇中のポルカドットスティングレイの「テレキャスター・ストライプ」が使われている。映画の中で曲がかかるのは、“劇中歌”っていうより、オープニング曲なのでは? というタイミングなのだが、曲をみっちり聴かせる感じではなく、映像に合わせてスパッと曲がカットアウトされる、みたいな使われ方なので、そうしたのだろう。