高野寛が語るDarjeelingプロデュース作での経験「シンガーソングライター然としたところ出せた」
自分じゃ気づかないことに気づかせてもらえた
ーー高野さんは昨年10月に『Everything is Good』というミニアルバムを発表されましたが、あれが今作に繋がったところもあったりしますか? それともあれとはまったく別モードで作った感じですか?
高野:まったく別モードですね。あっちは曲書きだけで何年もかけてる曲が多くて、ソングライティングそのものに集中してる部分が強かったんです。アレンジも何度かやり直してる曲が多かった。それに対して、今回はもともと自分が歌うことを想定してない提供曲が大半なので、自分でも忘れかけてた曲が多くて。最初に佐橋さんが「提供曲をセルフカバーするってのはどうかな?」ってアイデアを出してくれたとき、「いや、それで1枚作れるほど提供曲はないですよ」って言ったんですけど、調べてみたら最終的に20曲くらいあったんです。
ーー選んだ基準は?
高野:まあ、自分で歌ってもいいんじゃないかと思えるものだったり、曲として好きなものだったり。たまにライブで過去作をやることはあったけど、佐橋さんのアイデアがなかったら提供曲をセルフカバーしようなんて思いつかなかった。
ーー30周年に向けて、ちょうどよかったじゃないですか。
高野:うん。自分でもいろんな発見がありましたね。
ーー歌ってみて、誰かに書くときと自分のために書くのとでは違うなあ、とか?
高野:その人の歌声を想定して書くので、言葉の選び方もメロディもずいぶん変わりますからね。あと、「Affair」はサビが田島(貴男)くんの作詞作曲で、それ以外が僕の作詞作曲なんですけど、やっぱり田島くんのと僕のとは全然違う(笑)。
ーー田島さんのところは、田島節が出てますもんね。
高野:出てますね。昔だったら歌えないって思っちゃうくらい僕とは世界観が違うんだけど、今はそういうのも楽しめるようになった。それを歌うキャパが今の自分にならあるかなと。そんなふうに今までならやらなかったようなことを、今回はたくさんやってるんですよ。
ーーでは改めて1曲ずつ簡単に話を聞きたいんですけど、まず、今話に出た田島さんとの共作曲「Affair」。シングル『Winter’s Tale』のカップリング曲で、現在は配信もされてないレア曲です。
高野:やっぱりどこでも聴けない状態というのは悔しいと思っていたので、改めてちゃんと世に出したいなって思いがあったんです。
ーー田島さんらしいフリーソウル的なポップというか、それこそ渋谷系と言いたくなるような感覚もある。
高野:ああ、そうですね。The Style Councilみたいなイメージでアレンジしてたってところもあるし。
ーーそれから矢野顕子さんのアルバム(『ELEPHANT HOTEL』1994年)に収録されていた「ME AND MY SEA OTTER」ですが……。
高野:これを自分で歌う発想はまったくなかったですね。佐橋さんがこの曲を面白がってくれてやったんですけど、やっぱり矢野さんのコードワークがすごくて。なかなかコードネームで書き表せないニュアンスの響きがあったりするので、“僕がそこをギターでカバーするとしたら”という体(テイ)で一旦翻訳するように自分で録ってみて、それを佐橋さんに渡しました。難易度、高かったです。
ーー矢野さんの曲って、矢野さんじゃないと成立しないようなところがありますもんね。
高野:ありますね。でも今回のレコーディングではギターを弾かずに歌に専念できたので、また違った気持ちで取り組めたのがよかったです。
ーー坂本美雨さんがコーラスを担当されています。母親の歌を娘がコーラスするという。
高野:思いついちゃったので(笑)、頼んでみたんですけど、バッチリでしたね。ときどきビックリするくらい似てる。DNAを感じました。
ーー「Rambling Boat」は本木雅弘さんのアルバム『イカルスの恋人~rambling boat』(1997年)に収録されていた曲。高野さんらしさの感じられる1曲だと思いました。
高野:本木さんの求められた世界観が自分のそれに近かったんですよ。声の感じもそう遠くない。そういう意味で、このなかでは一番自分のソロに近い気持ちで作ってる曲かもしれないですね。とはいえ、やっぱりそういうオファーがなければ出てこなかった曲なので、自分が歌うという想定はしてなかった。佐橋さんに「歌詞がいい」って言っていただいたんです。「今の時代に合ってるんじゃないか」と。そういう、自分じゃ気づかないことに気づかせてもらえたのもよかったです。
ーーセルフライナーノーツに、「カントリーとミニマルミュージックが融合したような、独特のアコースティックサウンドに仕上がった」とありますが、確かにカントリーの温かみとミニマルミュージックにあるクールさの絶妙なバランスもいい。
高野:うん。豪太さんのループの存在感も大きいし。最初に参考として聴いたカントリーの音源があったんですけど、そこからやっていくうちにどんどん違うものに発展していくのにはワクワクしました。
ーーそれから「上海的旋律 (Shanghai Melody)」。野宮真貴さんの初ソロ作(『Lady Miss Warp』2002年)に収録された曲ですが、これを選んだのは?
高野:最近、真貴ちゃんのアルバム(『野宮真貴、ホリデイ渋谷系を歌う。』)で、田島くんとの共作曲「Winter’s Tale」の完コピカバーをデュエットして、そういえば真貴ちゃんにも曲提供してたなと思い出しました。これは個人的にも好きな曲なんですけど、自分で歌ったらやっぱり難しかったですね。
ーー昭和歌謡っぽいというか、「蘇州夜曲」なんかにも通じる郷愁がある。
高野:アレンジする前にウィリー・ネルソンの50年代のヒット曲を佐橋さんが聴かせてくれて、「このグルーブでいったらいいんじゃない?」と。真貴ちゃんに提供した時は4ビートっぽい感じだったんですよ。ダンスホールで、バラッドのジャズで踊ってるイメージだったんですけど、佐橋さんからそのアイデアが出たところで、これなら自分のオリジナルとしていけるなって思いました。
ーー作詞は蓮水香となってますが、これって……。
高野:僕の変名なんですよ。女性の曲を自分の名前で書くとイメージが限定されてしまうかなと思って。ユーミンが呉田軽穂のペンネームで楽曲提供するイメージ。性別もナニ人かもわからない感じの名前がいいなと。
ーー野宮さんとのデュエットはいかがでした?
高野:ピッタリはまりましたね。一発OKでした。
ーー演奏もよくて、とりわけkyOnさんのピアノが素晴らしい。味わい深さと共に、終わり方には遊びもある。
高野:kyOnさん、隙あらば遊んでますから(笑)。
ーー提供曲以外では、ボブ・ディランの「時代は変わる」を高野さんの日本語訳で歌っているものが存在感を発揮しています。この手法で書かれた曲は……。
高野:過去にいくつかありますね。トッド・ラングレンの「I Saw the Light」に訳詞をつけてやったこともあるし。
ーー高野さんのトッド・ラングレン好きはよく知られてるしイメージしやすいけど、ディランに挑むのはなかなか大変だったのでは?
高野:そうなんですよ。だから完成させるまでにかなり時間がかかってます。1年くらいライブで歌って、違和感のあるところを直していって、丁寧に作り上げた。今回Darjeelingのおふたりの強い推薦があって入れることになりました。
ーーこの曲がここに入ったのは、重要なことだと思います。この曲で歌っている言葉が今の時代に響くところはすごく大きい。
高野:確かにそうですね。この曲があるかないかでアルバムの全体像もだいぶ変わるだろうし。まあ、気をつけないと自分に返ってくる言葉もあるので、かなり慎重に書いたんですけど。
ーーそれから書き下ろしの新曲が2曲、「とおくはなれて」と「みじかい歌」。
高野:両方とも気に入ってる曲なので、選んでもらえてよかったです。どっちもレーベルの目指している“セッションプレイヤーたちの作るシンガーソングライターのアルバム”というコンセプトのど真ん中にあるタイプの曲だからかな。書いたときは、どちらも弾き語りでとめてたんですよ。でも、アルバムに入れるとしたら誰かにプロデュースしてほしいなと思っていた。
ーーじゃあ、よかったですね。実際、弾き語り部分のよさを活かしながら、モダンで美しいアレンジが施されてるという印象です。「とおくはなれて」は本当に心に沁み入るスローで。セルフライナーノーツに「トッド・ラングレンやニック・デカロを連想させる“泣き”のコーラスアレンジ」とありますけど、まさに。
高野:kyOnさんの土臭い感じと佐橋さんのソフィスティケイトされた感じのバランスがいいんですよね。
ーーリード曲に相応しい1曲です。
高野:佐橋さんの一推しでした。僕自身もすごく気に入ってるので。