西廣智一『日本ヘヴィメタル/ラウドロック今昔物語』第7回「ガールズHR/HMの30年史」

浜田麻里からLOVEBITESまでーーガールズHR/HM、波乱万丈の30年史

 日本のハードロック/ヘヴィメタル(以下、HR/HM)シーンにおいて、女性ボーカルを擁するHR/HMバンドの歴史は80年代半ばを起点に本格化していったと言っても過言ではない。それは、浜田麻里が1983年に、SHOW-YAが1985年にそれぞれメジャーデビューしたことに起因する。歴史をさかのぼれば、70年代にもカルメン・マキ&OZなど女性シンガーが在籍するハードロックバンドは存在していたが、商業的な成功を収め、HR/HMファンの間で市民権を得始めたのが80年代半ば以降だった。

 もちろん、この2組以外にも80年代前半から数々のガールズHR/HMバンド、女性メタルシンガーが活動している。浜田のほかにも本城未沙子、早川めぐみ、橋本みゆきといったソロシンガーがメジャーデビューしていたし、沖縄では喜屋武マリー(現Marie)率いるMarie with MEDUSAが活動を始めている。さらにJURASSIC JADEやTERRA ROSAといったバンドも一部では高い評価を獲得していた。

 そんななか、80年代後半に入るとBOØWYやREBECCA、THE BLUE HEARTSなどのブレイクをきっかけとした一大バンドブームに突入。お茶の間でもロックバンドの楽曲を耳にする機会が一気に増え、その波に乗るかのように浜田はそのサウンドを徐々にポップな方向に移行させ、一方のSHOW-YAはサウンドを硬質化させていく。その結果、1989年になると浜田がシングル「Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。」で初のチャート1位を獲得し、SHOW-YAは「限界LOVERS」「私は嵐」とヒットシングルを連発。彼女たちは自身の楽曲はロックファンのみならず、お茶の間の一般層にまで浸透させることに成功したのだ。

浜田麻里 「Return To Myself」
SHOW-YA - 限界LOVERS (DVD「大復活祭」より)

 彼女たちに続けとばかりに、PINK SAPPHIREのようなバンドもデビューしたものの、90年代に入りバンドブームは沈静化。HR/HMシーンに目を向けてもLOUDNESSの度重なるメンバーチェンジ、ANTHEMやVOW WOWの解散とネガティブな話題が続いた。そこに追い討ちをかけるように、1991年にはSHOW-YAから寺田恵子(Vo)が脱退。浜田もHR/HMシーンから離れ、ポップフィールドを主戦場に戦っていくことになる。

 SHOW-YAは新しいシンガーを迎えて活動を継続するも、以前ほどの成功を収められず、国内のHR/HMシーンも規模が縮小化していく。そういう意味では、90年代のガールズHR/HMシーンは“沈黙の10年間”だったのかもしれない。

 ところが2000年前後になると、ここ日本でも再びガールズHR/HMシーンが息を吹き返す。アイドルや女優として活躍したANZAをボーカルに迎えたヘヴィロックバンドHEAD PHONES PRESIDENTや、唯一無二の女性シンガー黒猫を擁する“妖怪ヘヴィメタル”バンド陰陽座などが結成され、その存在感を強めていった。また、浜田がこの頃から再びロック色を強めたサウンドに回帰し、作品を重ねるごとにHR/HM度を高めていく。

 さらに、2005年になるとSHOW-YAが寺田を含む編成で活動再開。時代が一周したのか、機が熟したのか、この頃から国内ガールズHR/HMシーンが再編されていった。同じ頃、LIGHT BRINGERやLIV MOONといったバンドもデビューを果たしているのも象徴的なトピックだろう。そして2010年代になると、Aldiousの登場を機にシーンへの注目度が一気に加速。“アゲ嬢”を彷彿とさせるビジュアルと親しみやすい楽曲と相まって、メディアで取り上げられる機会も増えていく。これに呼応するかのように、CyntiaやMary's Blood、DESTROSEなどのガールズHR/HMバンドが続々誕生し、シーンの盛り上がりに拍車をかけた。

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