『欅共和国 2017』徹底レポートその2
欅坂46から感じる“表現物へのリスペクト” 『欅共和国 2017』2Daysを観て
7月22日・23日、欅坂46の野外ライブ『欅共和国2017』が富士急ハイランド・コニファーフォレストにて開催された。
両日とも天候は決して良好とは言えず、昼間は降ったり止んだりが繰り返されていたが、開演間際には雨も落ち着き奇跡的に日差しも確認できるまで回復していた。辺りは雨の匂いが漂い、ほどよい気温と、蝉の声が聞こえる野外ならではの環境であった。コンサートチケットを持っていれば富士急ハイランドに無料で入れるため、昼の間にひとしきり遊び明かした一行が残りの体力を発散するために開演を今か今かと待ち望む雰囲気が会場にはあった。
コンセプチュアルなセットリスト
アルバム発売直後であったが、ライブ本編では”アルバム発売前の持ち歌で挑む”というかなりコンセプチュアルなライブであった。つまり、条件的には4月に行われた代々木第一体育館でのデビュー1周年記念ライブに近いものになるはずだが、実際に受けた印象はまるで違うものであった。当然、それは曲順がガラリと変化しているからであるが、昨年のシングル表題曲「サイレントマジョリティー」「世界には愛しかない」「二人セゾン」をいきなり冒頭に持って来てスタートダッシュする”昼の部”、空が赤味がかってきたあたりから日が暮れるまでの短い時間を狙った”夕方の部”、そして山に囲まれた会場ゆえ一帯が真っ暗闇となる”夜の部”の三段階に、ざっくりとだが分かれていたように感じた。そしてそれに合わせてセットリストが練られていたのだと思われる。アルバムに収録された新曲はニ日目のダブルアンコールに一度だけ披露された「危なっかしい計画」のみであったのは惜しまれるが……。
メンバーが見せた三つの顔
序盤はとにかく弾けたものだった。大玉を転がしたり、ホースで放水したり、水鉄砲を使ったり、平手友梨奈がハーレーのバックシートに跨って登場するなど、夏の野外会場で観客を目一杯楽しませようとするパートだ。夏の日差しに照らされた昼の顔は、これから続く長いアリーナツアーへの良い弾みになっていた。長濱ねるが一人着替えて登場した11曲目「また会ってください」で会場の雰囲気を変え、夕方の部へ移り変わる。夕陽と完全にマッチした12曲目「制服と太陽」、平手と長濱の二人のやり取りが切ない13曲目「微笑みが悲しい」に、観客は観入っていた。しっとりと聴かせる彼女たちの夕暮れの表情は、時間こそ短いものの、長いライブの中では抑揚をつけるために重要な要素だ。惜しむらくは、その夕方のシチュエーションで今回選曲から漏れた「キミガイナイ」や小林由依と活動休止中の今泉佑唯によるフォークデュオ・ゆいちゃんずの楽曲を聴きたかったというのはある。日が暮れてサイリウムの緑色が一段と輝きだした頃に持ってきたラスト数曲は圧巻であった。特に、サプライズで披露した「誰のことを一番 愛してる?」と、ライブだと得体の知れないパワーを持った曲に化ける「不協和音」は、暗闇の中で一層おどろおどろしい表情を醸していた。初日の最後にキャプテン菅井友香がこう締めた。
「普段は”笑わない””クール”なんて言われている私たちですが、たまにはこういった楽しい日があってもいいかな、なんて思います」
しかし、どうだろう。この二日間、確かに楽しむことに重点を置いた演出は目立ったが、単に楽しませるだけではない目的を感じ取れたのもまた事実だ。
再現性を意識した演出
噴水の水しぶき越しに披露された「サイレントマジョリティー」は、振り付けのモチーフとなっている”モーセ”の海を割る伝説をまさに再現する演出であった。また、事前に観客に配られたカラフルな風船を飛ばす「世界には愛しかない」での取り組みは、<僕らの上空に虹が架かった>のフレーズの直後であったため、人力で”虹”を再現した形となる(大量の放水によって本物の虹も確認できた)。そして「二人セゾン」のラストサビの”行進”は、客席側からステージへ向かう方向で花道を進むという変更が加えられ、さらにその尺はMV通りの長さ(これがずっと見たかった!)になっており、今までどのテレビ番組やライブ会場でも見ることはできなかったものだった。代々木でほぼ完成形かと思われたこれらシングル表題3曲のパフォーマンスは、今回の富士急でさらにグレードアップしていた。
MVに倣ってみんなでびしょ濡れになろうという「エキセントリック」にしろ、<夕暮れの緩い坂道を歩く>という詞の一節が会場の環境と完全にリンク(特に初日は完璧だった)していた「また会ってください」にしろ、曲の世界観やMVをその場で再現しようという意識が感じ取れた。しかもそれは、野外会場だからこそ実現したことなのである。
これはそもそも欅坂46を中心とした制作チーム全体にも言えることであるが、まず詞があって、それを表現するダンスがあって、その世界観を膨らませたMVがあって、そしてそれを人前で披露するライブがある。この創作のリレーの中で、常に元となる表現物に対するリスペクトが軸にあるのが欅坂46というグループなのだ。そうした表現のサイクルこそ、”欅共和国”なのではないだろうか。