柴 那典の新譜キュレーション 第11回
小沢健二からギリシャラブまで……“言葉の魔法”でつながるアート・ポップ6選
やがて人生は次のコーナーに――cero「ロープウェー」
続いてはcero「ロープウェー」。この曲は昨年12月にリリースされたシングル『街の報せ』に収録されているので、厳密には新譜という扱いではないのだけれど、無理言って入れさせてもらった。
今の音楽シーンにおいて、小沢健二の“血脈”をつぐべきグループと言えば、やっぱり筆頭に上がるのがceroだと思う。2013年、1stシングル『Yellow Magus』の時点でのceroのインタビューでも髙城晶平は小沢健二の『Eclectic』や『毎日の環境学』を一つの参照元として上げている。2014年にリリースされた両A面シングル『Orphans / 夜去』には、小沢健二「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」のカバーが収録されている。2015年のアルバム『Obscure Ride』は、そうして彼らが継承してきた小沢健二の知性と音楽性をアップデートした結晶のような作品として見ることもできる。
ただ、よく言われるネオ・ソウル以降のサウンドのアプローチだけでなく、僕は小沢健二とceroとの血脈のつながりにおいて、とても大きなのは髙城晶平の詩人としての才能だと思うのだ。人生の中で、日常を暮らしていると決して見えない、けれど意識の外側にあるだけで確実に存在しているもの。それに果敢にアプローチする「言葉の魔法」を、僕はceroの曲に感じる。
それが顕著にあらわれたのが「ロープウェー」という曲だ。この曲は『街の報せ』のジャケットに選ばれた、滝本淳助という写真家による1970年代後半の写真がモチーフになっている。
朝靄を切り裂いて ロープウェーが現れる
すれ違うゴンドラには人々
気恥ずかしげにその手を振って
一瞬で霞に消えて視えなくなる
(「ロープウェー」)
この4行がとてもいい。髙城晶平という詩人は、別々の世界を生きる人たちがほんの一瞬だけ交わるような瞬間のきらめきを、とても美しく射抜く。それが<やがて人生は次のコーナーに>という、サビでのとても感動的な一節につながっている。
今年初頭に刊行され大きな話題を呼んでいるこだまによる私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)、そこに書かれた「私たちが本当は血の繋がった兄妹で、間違いを起こさないように神様が細工したとしか思えないのです」という一節から着想を得たという「Orphans」もそうだ。
(別の世界では)
2人は姉弟だったのかもね
(別の世界がもし)
砂漠に閉ざされていても大丈夫
あぁ 神様の気まぐれなその御手に掬い上げられて
あぁ わたしたちは ここに いるのだろう
(「Orphans」)
髙城晶平という詩人は、ずっと「並行世界」について、書き続けている。
きみがいないことは きみがいることだなあ――サニーデイ・サービス「桜 super love」
昨年にリリースされた『DANCE TO YOU』収録の一曲。EP『桜 super love』として3月15日にリリースされた。
曽我部恵一という人のルーツの一つには、フリッパーズ・ギターがある。以前にインタビューした際に「日本中の誰よりも好きだという自信がある」と力強く語っていたことも記憶している。そういう意味で彼もやはり小沢健二と同じ系譜を共有している存在であるのは間違いない。それに加えて、この「桜 super love」という曲が持っているのは、やはり「言葉の魔法」だと思う。
この「桜 super love」という曲の肝はサビの<きみがいないことは きみがいることだなぁ>という一節だ。アルバム『DANCE TO YOU』は〆切を大きく超えた異常な状況の中で制作された。最終段階ではドラマーの丸山晴茂も離脱し、予算も使いつくし、小さなリハーサルスタジオで曽我部一人でドラムを叩いてこの曲を作っていたという。そんな中、曽我部恵一は桜の花が舞う中を歩いていた時に、このフレーズをふと思い浮かぶ。
だから「きみ」というのは直接的にはドラマーの丸山茂樹のことを指しているのだけれど、これがポップソングとして昇華したときに「きみ」の持つ意味合いはいろんな人にとっての「不在の誰か」に敷衍する。桜の花が舞う中、今はもういない、けれど自分の心の中に確かに「いる」と感じる誰かを思う曲へとその意味は広がる。宇多田ヒカル「道」や『Fantôme』にも通じるテーマだ。MVもそのことを示唆している。
選ばないことを選ぶ――蓮沼執太 & U-zhaan - A Kind of Love Song feat. Devendra Banhart
音楽家・蓮沼執太とタブラ奏者・U-zhaanによるコラボアルバム『2 Tone』に収録された一曲。アルバムはインストゥルメンタル曲も多く収録しているのだけれど、この曲ではデヴェンドラ・バンハートがゲストに参加。ゆったりとした美しいピアノと幽玄なタブラのフレーズと共に、日本語の歌詞を歌っている。
<選択肢が多すぎる 選ばないことを選ぶ>。淡々とした声で歌われる歌詞の言葉は、こんな風に始まる。何が起ころうと身を任せる、と語る歌の主人公は、しかし「なぜか夢を見る」と歌う。じっくりと聴いていくと、これも並行世界への夢想と、その一方で感じる愛しさのような感情をモチーフにした歌だということが伝わってくる。とても奥深い情緒が歌われている。
これだけでも驚きなのだが、蓮沼執太とU-zhaanにインタビューで話を聞いた時に明かしてくれたことによると、この歌詞を書いたのはデヴェンドラ・バンハート自身なのだという。制作サイドからのオファーがあったわけでもなく、自ら日本語で歌詞を書いてきたそうだ。
アメリカのフリー・フォーク・ムーブメントを代表するシンガーソングライターでありつつ、細野晴臣や荒井由実、シュガー・ベイブ、金延幸子などの日本のアーティストにも造詣が深いデヴェンドラ・ヴァンハート。以前にリアルサウンドに掲載されたnever young beachとの対談(参考:デヴェンドラ・バンハート×never young beachが語り合う、自分だけの音の作り方「自分に正直であるかどうか」)でも、世代も育った国も違う両者が相通じるような感性を共有していることが明らかになっていた。
発音はたどたどしくとも、独特の詩情を持つ日本語を彼が歌う背景には、日本の音楽文化への敬愛があるのだと思う。