エド・シーランは“現代ポップの必須条件”を完璧に満たした 新作『÷(ディバイド)』徹底分析
3月3日に発売されたエド・シーランの3rdアルバム『÷(ディバイド)』が英国の初週の合算セールスで67万2千という驚異的な数字を叩きだし、全英チャート初登場1位に輝いた。英国内におけるソロ・アーティストの初週のセールスとしては、昨年アデルがやはり自身3枚目のアルバム『25』で80万枚を記録。さすがにそこには及ばなかったものの、男性ソロ・アーティストの初週セールスでは『÷(ディバイド)』が堂々歴代第1位に。しかも驚いたことに、全英シングル・チャートのトップ20には『÷(ディバイド)』の収録曲全て(16曲)がランクインする結果となった。つまりチャート上位はエド・シーランの楽曲だらけ。また、全米でも「Shape Of You」がキャリア初のシングル・チャート1位を獲得していたが、『÷(ディバイド)』は45万1千相当の初週合算セールスによってアルバム・チャートで首位を獲得。因みに「Shape Of You」はSpotifyでアデルの「Hello」を抜いて史上最高の「1日のストリーミング数」となり、『÷(ディバイド)』はといえば配信初日の再生回数が6800万回という大記録を打ち立てることに(これまではThe Weekend『Starboy』の2900万回がトップだった)。まさに全世界で聴かれまくっている状態で、この先どこまで売り上げを伸ばすのか、ちょっと想像がつかない。
そんなエドの『÷(ディバイド)』は2014年にイギリスで最も売れたアルバム『×(マルティプライ)』から約3年ぶりとなる作品だが、そこまで久しぶりな気がしないのは、その間にも彼が関与した曲がいくつもヒットしていたから。例えばジャスティン・ビーバーに提供した「Love Yourself」は先頃のグラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされていたし、そのジャスティンをフィーチャーしたMajor Lazerの「Cold Water」もエドが作曲に関与。またThe Weekendの「Dark Times feat. Ed Sheeran」、トリー・ケリーの「I Was Made For Loving You feat. Ed Sheeran」、さらにヒラリー・ダフ、RUDIMENTAL、Macklemore & Ryan Lewisらの曲でもエドはフィーチャーされ、最近もジェイムス・ブラントのニューアルバムで彼と共作していた。自身の「Thinking Out Loud」が2016年のグラミー賞で2部門を受賞し、ラジオでかかり続けていたことも、3年もあいた気がしない理由のひとつだろう。
エドは先頃新作プロモーションのため来日し、『行列のできる法律相談所』や『バズリズム』(ともに日本テレビ系)といったバラエティーや音楽番組などに出演。彼のことをさほど知らない人にも、“今ものすごく売れている人”であることと“気取りのない、いいやつ”であることは伝わったと思うが、では、なんでそんなに売れているのかという、その理由に関してはどうだろう。例えばエドは華やかにダンスで魅せるアーティストではない。歌はうまいし、それは聴く者の心を揺さぶりもするけど、アデルのように有無も言わせぬ超絶的な歌唱力で圧倒するタイプでもない。では彼の秀でた才能とは何かと言えば、それは「いい曲」を書くということ。って、それじゃ分析にもなんにもなってないし、「いい曲を書く人ならほかにもいるでしょ?!」と言われそうだが、その「いい曲」の深度と確率がほかとは桁違いなのだ。端的に書くなら、エドは「いい曲」しか作らないし世に出さない。そりゃあ「いい曲」の基準や概念は人それぞれだけれど、『÷(ディバイド)』の16曲を通して聴けば、そのことは実感としてわかるはずだ。
何しろ楽曲クオリティがどれも恐ろしく高く、「捨て曲がない」どころの話じゃない。しかも『÷(ディバイド)』には似通ったタイプの曲がなく、驚くほど多様。聴く人によって好みは違えど、これだけ多様なら誰でも必ず刺さる曲がいくつかあるはずだ。曲調だけとっても様々だが、サウンドに関しての試みも今回は非常に意欲的。昨年、エドはほぼ1年間の休暇を取って、ガールフレンドと共にアイスランド、日本(北海道から沖縄まで1ヶ月かけて回ったそうな。その間にはひょっこりエリック・クラプトンの武道館公演に登場したりもしていた)、フィジー、ニュージーランド、オーストラリア、ガーナを旅したそうだが、その旅の影響をわかりやすくサウンドに反映させ、ソングライトの幅を広げているのだ。
特に際立っているのが所謂ワールドミュージック的なサウンドで、例えば13曲目の「Barcelona」ではラテンのリズムを、14曲目の「Bibia Be Ye Ye」ではアフリカのリズムを取り込み、2曲続けて陽気なムードを生み出している。とりわけガーナで録音したという「Bibia Be Ye Ye」はポール・サイモンの傑作『Graceland』を想起せずにはいられない打楽器多用曲で、そのアルバムに対する憧憬に似た思いも感じ取れる。一方、アイリッシュを濃く取り入れた曲もあり、15曲目の「Nancy Mulligan」は旋律そのものがそういうものだし、ティンホイッスル、フィドル、アコーディオンなどが生み出す祝祭的なムードもアイルランド特有のもの。歌詞にはエドの祖父と祖母の物語が描かれており、ウェックスフォード、ベルファストなど、出てくる場所もアイルランドの地名だ。
また6曲目の「Galway Girl」(ゴールウェイはアイルランド西部の都市名)では、北アイルランドのトラッド・バンドであるビオーガ(Beoga)のメンバーと共作・共演して独特の哀愁成分を投入。アイルランドの血も引くエドとしては、3作目となるこのアルバムでしっかりと自身のルーツ表現もしておきたかったのだろう。因みにその「Galway Girl」にも4曲目の「Shape Of You」にも、ジュークボックスで“ヴァン”の曲をかける場面が描かれているが、ヴァンとはエドが昔から最も敬愛している北アイルランドのシンガー・ソングライター、ヴァン・モリソンのこと。それもまた自身のルーツ表明のひとつというわけだ。
このように様々な国に根付いたリズムなどを取り込む一方、「Shape Of You」ではイントロからトロピカル・ハウスっぽいムードも取り入れ、そこでの歌はといえばトーキング調。つまりワールドミュージック方向にアプローチした曲であっても、落とし込みは現代的で、若いリスナーに響きやすい工夫がされているわけだ。その「Shape Of You」を共作してプロデュースしているのはスティーヴ・マック(One Direction、レオナ・ルイスほか)だが、アルバム全体を今回監修しているのはベニー・ブランコ(=ベンジャミン・レヴィン)で、彼はMaroon 5、ケイティ・ペリー、リアーナらのヒット曲を手掛けてきた若きプロデューサー/ソングライター/ラッパー。この男の大々的な起用によって、ともすればクラシカル方向に行きがちなエドの楽曲がどれも現代的な輝きを放つようになっている。またSnow Patrolのジョニー・マクダイドが多数の曲を共作しているほか、ライアン・テダー(ビヨンセ、アデルほか)、ジュリア・マイケルズ(ジャスティン・ビーバー、セレーナ・ゴメスほか)らも曲制作に関与。従来の考え方では、シンガー・ソングライターとはゼロから10までひとりで曲制作を行なうものとされてきたわけだが、そこはもう完全に現代的な共同制作体制が敷かれ、全てが隙のない洗練されたトラックへと磨き上げられている。強くて美しいメロディと、古すぎることなく新しすぎることもないサウンド・プロダクション。現代のポップの必須条件とも言えるそれを完璧なまでに満たしている『÷(ディバイド)』は、だから簡単に消費されることなく、長く太く売れ続けるに違いない。
述べてきたように現代的かつ折衷的なサウンド・プロダクションが非常に効果を発揮している作品だが、しかし肝心なのは、それでもやはりこれはエドのギターと歌がど真ん中にあるアルバム、それが基本のアルバムだということだ。単に多様性を欲しているだけなら、ピアノなどほかの楽器で作る曲を増やしてもいいわけだし、コンピューターを使用してビートから組み立てれば話はもっと早い。が、彼はギターを弾いてメロディを生み出す昔からのやり方を変えたりしない。そのやり方じゃないと自身の曲に宿らないものがあることを知っているからだ。言葉にするなら、それは「温もり」かもしれないし、「深み」かもしれないし、もっと言うなら「生命力」とか「魂」と呼べるようなものかもしれない。例えば2015年7月のウェンブリー・スタジアム公演(3夜連続ソールドアウトとなり、計24万人を動員。エドはもちろんバンドを率いることなく、今まで通りひとりでステージに立った)の映像を見ると、観客の多くが1曲1曲一緒に歌い、しかも泣いていたりもするのだが、一概には言えないまでもコンピューターで組み立てられた曲でそのような状態にはなかなかならないだろう。
ギターを弾いて曲を作り、エドは時間をかけてそれを熟成させる。今作『÷(ディバイド)』は2015年の段階ですでに6割は曲を書き上げていたそうだが、前述したように1年間の旅を経て完成までもっていった。デビュー・アルバムが出たときに筆者は彼に話を聞いたのだが、そういえばそのときにもすでに2ndアルバムの曲は6割方できていると言っていたし、「でも2年くらいは出さないよ。時間をおくことも曲にとって大事なんだ」とも話していた。時間を置いてそれが古くなることをエドは恐れない。時間の経過に耐えうる曲しか世に出さない。そういうことだ。
『rockin’on』誌4月号のインタビューによれば、『÷(ディバイド)』は例えば1曲目をラップ曲と決めたら5~6曲ほどラップ曲を書き、そのなかで一番いい出来のものをもってくるという作り方をしたのだそうだ。そうしてそれぞれのスロットにジャンルを設定し、そのなかで一番よく書けたものをもってくるやり方。それをそのまま解釈するなら、全16曲のためにざっと80から100曲くらいを書いたことになる。『バズリズム』ではマギーの「今回のアルバム制作にあたって何曲くらい作ったんですか?」という質問に対し、「アイデアだけだと200曲、いや250曲以上あって、それを30曲にし、6カ月かけてこの収録曲に絞った」と話していたので、いずれにしても膨大な量から時間をかけて絞り込んだことは間違いない。先に「いい曲」の深度と確率がほかとは桁違いだと書いたが、その深度を求め、彼はここまでのことをやっているのだ。「いいメロディは70年代に出尽くした」なんていう言葉があるが、エドは真摯に、どちらかといえばオールドスクールなやり方で、それに対する自分なりの答えを示そうとし続けているのである。