レジーのJ−POP鳥瞰図 第5回
清竜人25とAwesome City Club、初期コンセプトをめぐるそれぞれのやり方
「理想郷」と「東京」 Awesome City Clubが探求する最良のバランス
「(メジャーデビューして)いろんな人と関わる中で風通しがよくなったというか、より自由な気持ちになれたというのはあると思います。そういう中で、アウトプットするものが必ずしもコンセプチュアルなものじゃなくてもいいんじゃないかと考えるようになってきた」(2015/7/28 レジーのブログ 自然体のAwesome City Club、「アウトサイダー」に込めた思いを語る)
前作『Awesome City Tracks』とは異なるメッセージ色の強い楽曲「アウトサイダー」の発表時、Awesome City Club(以下、ACC)のフロントマン、atagiはこう語っている。
ACCのプロフィールには<「架空の街 Awesome City のサウンドトラック」をテーマに、テン年代のシティ・ポップを RISOKYO から TOKYO に向けて発信する男女混成5人組。>とある。そんな「設定」を積極的に押し出しながらのメジャーデビューからわずか半年弱、ハイペースで届けられた『Awesome City Tracks 2』はこの短期間で成し遂げたバンドとしての飛躍が記録された作品である。
ストレートな8ビートでアルバムの幕開けを飾る「GOLD」が象徴するように、これまでもバラエティに富んでいた楽曲の幅がますます広がった今作。既発曲中心に組み立てられたデビュー作に比べると、アルバムトータルでのまとまりもアップした。また、atagiの発言が示す通り、歌詞の面では従来のコンセプトにとらわれない表現が随所に見られる。<いつか死ぬならば掴むのは 自分の足で勝ち取ったGOLD><僕らはここでお別れさ 愛をこめて前を向け>こんな熱い言葉を歌うACCを誰が想像しただろうか。
そしてこのアルバムの白眉は、7曲目の「Lullaby for TOKYO CITY」。ギターのアルペジオと鍵盤の優しい音色に導かれて歌われるのは、自分たちが活動している東京という街への想い。慌ただしい暮らしの中で人生の目的を見失いながらも、それでもこの街で日々を淡々と生きていく人々への慈愛に満ちたまなざしが向けられている。
『Awesome City Tracks 2』で描かれているのは「架空」でも「理想郷」でもない、現実の光景である。では、彼らは当初の看板を下ろしたのか? おそらくそうではない。今作のリアルな色合いは、デビュー当初のスタンスをベースにして表現の射程を広げたからこそ生まれたものである。個人の感情に有機的な音が絡むこのアルバムの読後感が決して暑苦しくならないのは、ACCがこれまで培ってきた「街を俯瞰する視点」が差し込まれているからだろう(「Lullaby for TOKYO CITY」における、街と空を同時に捉える描写から「Everybody」→「I」とフォーカスが定まっていく流れは特に秀逸である)。「RISOKYO から TOKYO に向けて発信」することを目指していたACCは、様々な人との出会いや経験を通じて「RISOKYO」と「TOKYO」の結節点を見出し始めた。彼らがさらにこの路線を突き詰めるのか、全く新しい何かを見出すのか、今から楽しみでならない。
活動当初に掲げたグループの根幹を成す「設定」といかに付き合うか、という問いに対して定型の回答は存在しない。うまくいかなければ変えるべきだが、一方でころころ変更するのも微妙である。とは言え、そこに固執しては表現の幅が狭まる。清竜人25とAwesome City Clubという全く異なる立ち位置の2組が同じタイミングでそれぞれの緻密なコンセプト(それは強みにもなり、時には足かせにもなる)をチューニングしながら魅力的な新譜をリリースしたのは、何の因果関係はないにせよ、とても興味深い事象だった。
■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。