弁護士・小杉俊介が「判決の影響力」を解説

ロビン・シックとファレルの盗作裁判を弁護士が再検証 なぜ「曲の感じ」に著作権が認められたか?

 著作権の及ぶ範囲についてのシック/ファレル側の主張は通り、裁判の場で実際に2曲を流して聴き比べるべきだ、という遺族側の主張は認められなかったのに、なぜ陪審員は遺族を勝たせたのだろうか。

 ある曲が別の曲と似ている、と感じることは誰でもある。でも、ある曲が別の曲の著作権を侵害している、盗作であると具体的な証拠に基づいて判断することは、それとまったく異なる、正解のない作業だ。音楽は形のない芸術で、感性に訴えかける部分が大きい。「この曲はパクリだ!」と感性で判断することは簡単でも、それを理屈に落とし込むのはとても難しい。「どこまでも行こう事件」の音符数え上げ方式は、形のない音楽を形にして捕まえるための一つのやり方、しかも相当苦しいやり方に過ぎず、正しい公式など存在しない。この裁判の陪審員だって、何を手がかりに判断していいか、きっと困ったはずだ。

 でも実は、この事件には1つ、決定的な、形のある、音符を数え上げなくても分かる手がかりがあった。

 それが、冒頭に挙げたロビン・シックのインタビューでの発言だ。2013年にこの曲がヒットした直後、まさか裁判が待ち受けているなど夢にも思わない頃、ロビン・シックはマーヴィン・ゲイからの影響をこんなに無邪気にしゃべっていた。

 その曲がどんなミュージシャンの音楽に影響を受け、どんな風に作られたか。ミュージシャンのインタビューとしてはごくありふれた内容だ。でも、この発言が命取りになってしまった。陪審員がどんな思考回路をたどって結論にたどりついたのかはもちろん分からないが、事の経緯を追うと、そうとしか思えない。

 そもそも、なぜこの裁判で「2つの曲の『感じ』が似ているか」が争点になったかといえば、裁判以前にこの発言が存在していたことで、「『感じ』や『グルーヴ』が似ていたとしても、盗作にはあたらないはずだ」とシック/ファレル側が主張せざるを得なかったから、ということのようだ。

 シック/ファレルの弁護士はあの手この手でこの発言の影響を打ち消そうとしていた。まず、ロビン・シックはレコーディング当時、アルコールとバイコディン(中毒性のある処方薬)でハイになっており、正常な精神状態ではなかったと主張。さらに、「Blurred Lines」は2人(とラッパーのT.I.)の共作クレジットになっているが、実はロビン・シックは作曲に関わっていない、ほぼ全部ファレルが作った、ロビン・シックがレコーディングスタジオに入った時にはもうファレルは曲を完成させていた、とまで主張した。先の発言の主であるロビン・シックが作曲に関わっていないとすれば、少なくとも発言と実際の曲との関係は断ち切れる、というわけだ。真相は分からないが、少なくともロビン・シックが、自らクレジットが虚偽であることを告白するところまで追い詰められていたことは確かだ。

 そして、ゲイ側の弁護士の声明によれば、追い詰められたシック/ファレル側の言うことが変わっていくごとに、じゃあ最初のインタビューの発言はなんだったんだ、こんなコロコロと言うことが変わる人間は信用できない、という風に、陪審員の雰囲気が変わっていったという。その結果が、ゲイ側の勝利だった。

 実は、日本の「どこまでも行こう事件」の判決でも何気ない発言が大きな役割を果たしているようにも見える箇所がある。

 裁判になる以前、この盗作問題がワイドショーで騒がれていた時期があり、その頃、「記念樹」の作曲者はワイドショーの記者に対し、「ああそうか、この曲ねって感じ」と答えたことがあった。この発言が、「記念樹」の作曲者が「どこまでも行こう」の存在を知っていた、つまり盗作の機会があったことの証拠の1つとなったのだ。

 「Blurred Lines」裁判の判決に対する意見は様々だ。負けた2人のように、ジャンルやグルーヴ、フィーリングは誰の所有物でもない、そんなことが認められたら音楽を創作することなんかできない、という人もいる。音楽を殺す気か、と発言した日本のミュージシャンもいる。一方で、アフリカ系アメリカ人の財産を白人が堂々と盗んできたポピュラーミュージックの歴史の中で、ついにグルーヴの著作権が認められたことは歴史的進歩だ、という人もいる。いやいや、それ以前に「Blurred Lines」は楽譜だけ並べても立派にマーヴィン・ゲイの著作権を侵害しているじゃないか、この判決が別に何も新しくない、という人だっている。

 職業裁判官が判断する日本の裁判と異なり、一般市民が裁く陪審員裁判による判決だから、また別の事件でも同様に判断されるかは不透明という面もある。ただ、サウンド・レコーディングが著作権の保護対象と認められる1978年施行の著作権法改正以前の曲について、このような判断がされたことの意味は大きいだろう。少なくとも、1978年以降発表の曲については、「感じ」が似ていたら著作権侵害にあたるとされる可能性は高い、と判断した方が安全かもしれない。ちなみに、先に挙げた、「Uptown Funk!」の元ネタと主張されたギャップ・バンドの「Oops,Up Side Your Head」は1979年発表だ。

 いずれにせよ、音楽は形のない芸術だから、この判決が今後の音楽にどんな影響が出るのか、確かなことを言うのは現時点では難しい。

 でも、1つだけ、この事件から確かに導くことができて、しかも分かりやすい教訓がある。それは、「インタビューでの発言に気をつけろ」ということだ。影響を受けた音楽について話す際には、特に気をつけろ。アメリカの弁護士がどこで見てるか分からないぞ。

 夢のない話になってしまった。この判決が「音楽とクリエイティヴィティの未来にとって恐ろしい前例」になるかは分からない。でも、「ミュージシャンのインタビューの未来にとって恐ろしい前例」になる可能性は、それなりに高そうだ。

 ここまで周辺事情ばかり語ってきた。でも、本来大事なのは、音楽それ自体のはずだということで、改めて2曲を聞き比べてみたい。

Robin Thicke - Blurred Lines ft. T.I., Pharrell
GOT TO GIVE IT UP - MARVIN GAYE

 うーん、著作権侵害にあたるかどうかは判断が分かれるだろうが、「Blurred Lines」が「Got to Give It Up」の「感じ」を目指して作られているのは、かなり確かだろうという気がする。メロディーは似てないが、「感じ」はそっくりだ。

 ……でも、この感想自体、ロビン・シックの発言が頭にあったから、そう思ってしまったのかもしれない。ちょうどこの裁判の陪審員がそうだったかもしれないように。

■小杉俊介
弁護士、ライター。音楽雑誌の編集、出版営業を経て弁護士に。

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