柴 那典「フェス文化論」(『SATANIC CARNIVAL ’15』特別編)
怒髪天・増子 × 10-FEET・TAKUMA × G-FREAK FACTORY・茂木、これからのフェス文化を語る
茂木「群馬県民の持っているコンプレックスを、全部意地に変えたいと思った」
――G-FREAK FACTORYは、京都大作戦に出たこと、GUNMA ROCK FESTIVALを開催したことで、バンドの知名度が広がりましたよね。メジャーデビューしたゼロ年代初頭の当時よりも、フェスという場所で繋がりができて、そこでいいライブを見せたことが、バンドの活性化に繋がってきたんじゃないかと。
茂木:僕らはバンドとしてずっと負けっぱなしなんで、それがよかったと思うんです。サクセスも全く無かったし。何より自分達が群馬に住んでいて、その群馬に何も残せていなかった。それがチャレンジをする一番のきっかけになったんです。群馬県民の持っているコンプレックスを、全部意地に変えたいと思った。あのフェスって、お客さんの約6割、6000人くらいが群馬県民なんですよ。イビツでも不恰好でもいいから地元の人たちとちゃんと育っていこうというチャレンジなんです。県を離れて東京に行ってしまう人たちも多いし、街を離れる理由もわかる。でも、この1日だけでもそれを食い止めたい。地元にはストリートのカルチャーも確立してないから、もしかしたらライブを初めて見る人もいるかもしれない。だから、県外から来る人には、どうやって遊んだら楽しいかを見せにきてほしいし。これからどうやるかがすごく大事なんです。仕上がったとは全く思っていない。今年はワケあって開催できないですけど、来年以降また新しいチャレンジができたらなと思ってます。
――GUNMA ROCK FESTIVALは、今年はあくまで続けていくために休むということですね。
茂木:そうです。
――怒髪天もいろんな浮き沈みを経てきましたが、フェスへの出演も追い風の一つになりましたよね。
増子:浮き沈みというけど、浮いたことはほぼ無かったからね(笑)。みんな40歳過ぎるまでバイトしてたから。今年で49歳だから、全員バイトをやめられたのが8年前くらい。俺らが何を見せてこられたかというと、後輩のバンドに「まだ可能性あるぞ」ということ。それは見せられたと思うんだよね。
――増子さんは、フェスとバンドの関係性はどんな風に捉えていますか?
増子:バンドの地金の強さはひとつのハンコになると思うんだよ。G-FREAK FACTORYとか10-FEETは要は地元のお祭りの顔役なわけでさ。そのバンドから一個ハンコをもらうということは心強いことだし、それは呼ばれるバンドにとって大きいことだと思うんだよね。金を出せばインタビューと広告1ページくらいは雑誌に載せてくれるよ。それで宣伝にはなるかもしれないけど、それは何枚か載っている広告のうちの1枚にしか過ぎない。でも、そういうフェスに呼ばれてやるということは、地金の強いバンドに認められているぞ、ということ。それは若いバンドとか新人のバンドだけじゃなく、いわゆるどメジャーのバンドが呼ばれるのを見ても思うんだよ。ガーンと売れて人気が出ているバンドって、逆にコアなロックファンからは軽く見られがちじゃない? でも、そういうフェスにそいつが呼ばれているのを見ると、「実はこのバンド、いいんじゃねぇか?」って思ったりする。
TAKUMA:それはあるなぁ。
――売れているバンドであっても、同じバンドから認められることのメリットは大きい。
増子:そう。メジャーなバンドにも、実際はかなりメリットあると思うんだよね。動員に繋がるとかじゃなくて、バンドの格が上がるというか。そういうのは本当に健全だし、そういうものであってほしいよね。
茂木:結局のところライブハウスもそうですよね。規模が小さいとか大きいとか関係ない。
増子:ちゃんと意思があって素晴らしいブッキングを常にみんながやってくれれば、自分らでやる必要なんかないかもしれない。だけど、そうじゃないからね。商業的になるのが悪いことだとは思わないよ。毎回赤字を出す必要もないと思うしさ。だけど、そこに意志が見えてこないと。俺はフェスとかイベントって、やっぱりお祭りだと思うんだよね。ちゃんと意図が分かるお祭り。そういうもんであってほしいんだよね。
――怒髪天は昨年に北海道でも野外フェスをやりましたよね。やっぱり地元でやるということの意義は大きかったでしょうか。
増子:もちろん! 同級生にはみんな子供がいてなかなかライブハウスには来れないから、野外の公園でフリーでやれば、みんな来る言い訳にはなるだろう、と。そうしたらみんなきてくれたし、特に興味のない爺ちゃん婆ちゃんも見に来てくれて喜んでくれた。そういうお祭り感はあっていいと思うし、地元で何か残したいというのはある。北海道出身の人間からしたら、群馬なんて全然関東だし東京だからね(笑)。今は技術が進んでネットがあるから、遠くにいても音源を出せるし活動できる時代にはなっているけど、やっぱりそういうことだけじゃないんだよ。そこでしかできないものがある。だからやるべきだと思うし、地方に行ったときの楽しみになるんじゃない? やっぱり、フェスというのはお祭りなんだよね。
――以前、大友良英さんにフェスについて話を聞いたことがあって。そこで印象的なことを言っていたんです。大友さんも福島の出身で、プロジェクトFUKUSHIMA!というフェスをやっている。「フェスというものをどう考えていますか?」と聞いたら、やはり増子さんと同じく「フェスはお祭りだ」と言うんですね。で、その上で「だんじり祭りとサマーソニック、そのどっちでもないオルタナティブなものを作りたい」と言っていたんです。つまりは、地元に根付いた伝統的なお祭りの象徴としてのだんじり祭りがあり、一方で商業的なフェスの象徴としてのサマーソニックがある。どっちもあっていいけれど、どっちでもないものを自分は作りたい、と。地元の人が誇りを持てるようなお祭りで、しかも作り手と受け手とがハッキリ分かれていないのがポイントだと言うんです。みなさんのおっしゃっているフェスって、そういうイメージにも近い気がするんですが、いかがでしょうか。
TAKUMA:それはあると思います。普段から、これ楽しいよ、ここにしかない楽しみ方だよという付加価値を感じてもらって、一つの遊びとしてライブハウスに来てもらうということをしているので。それをフェスというサイズでやるというのは、つまり不特定多数の人にもっと知ってもらいたいという意味でもありますし、お祭りをしたいということでもあります。
茂木:僕の場合は、やっぱり群馬というのが大きいんですね。不格好な田舎者であることをちゃんと受け止めようと思ってます。40歳になって、若いやつに言い訳させたくないなと。地方のバンドで、ロックをやるには決して若くはない年代だけど、しぶとく粘っていればここまではやれるぞというのを見せられれば、勇気を与えられるかなと。
TAKUMA:特別な形の勇気だよ、それは。
増子:群馬とか京都という自分達の地元で何かをやるというのはさ、「背中を見せる」ってことなんだよね。やっていることを見せるということ。特別な人間なわけじゃないんだ、同じ中学だぞ、と。それを地元の子らは感じてくれると思うんだよね。テレビや雑誌で見ると、やっぱり「最初から違うんだろうな」とか思っちゃうんだよ。音楽で食べる才能があったんだろうなとか、続ける根性があったんだろうなとか、コネがあったんだろうなとか。それは違うんだよ。同じ1時間300円くらいのスタジオでやってたんだよ、と。そこは大きいと思うよ。