市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第16回
LUNA SEAが演出する「V系シーンの総決算」 市川哲史が『LUNATIC FEST.』の意義を説く
私は、かつての人気バンドが再結成してライヴを演る分には大賛成だ。
けれどもライヴ以外に、再結成には何も期待したことがない。理由は簡単、生産的じゃないからだ。再結成バンドの<新作>に名盤なし――この一言につきる。
観客のほぼ全員がかつての楽曲を聴きたいだけの再結成ライヴで、「新曲を聴かせたい」「再結成したからには進化した俺たちを観てほしい」とは、自意識過剰にも程がある。進化しとけよ解散前に。
なので私は、バンドとファンOBという当事者が誰一人傷つかず平和なひとときを味わうためにも、ライヴ限定こそが<正しい再結成>と捉えている。ナツメロ上等だ。
というのが、以前このコラムでも書いた私のバンド再結成観である。
すると2013年12月に13年5ヶ月振りの新作『A WILL』をリリースしちゃったLUNA SEAは、要注意案件だったりする。
彼らの<新作>はどこを聴いてもLUNA SEAとしか思えない「これでもか」のロックンロール・アルバムで、「40代をなめんな若造こら」とばかりの音楽的威圧感が全編で疾走していた。
各々の手癖が懐かしい演奏スキルはさすがのバージョンアップを誇り、RYUICHIのコークスクリュー・ヴォーカルに至ってはコブシ倍増か。作曲クレジットはバンド名義でも、誰がメインで書いたのか一目瞭然な感じも、らしい。そして相変わらず<抱きしめ>たり<壊れそう>だったり<場所>に向かう歌詞もまた、とても懐かしかったのである。
と同時に、あのLUNA SEAの再始動アルバムがこんなにシンプルな作品になったことが、かなり意外だったのだ。
かつてLUNA SEAは自分たちのロックが世界一恰好いいことを証明するために、世間に闘いを挑んだ。そしてメンバー全員、各自が考えるLUNA SEAが唯一絶対のものであると確信していたがゆえに、まずバンド内で5つの<LUNA SEA made in 俺>同士が毎回毎回シノギを削った。そんな彼らを当時、《音楽戦隊エゴレンジャー》とか《独立国家共同体バンド》と命名したのは私です。
誰か一人の発言が全員の共通認識に最もなりづらいバンド――つくづく面倒な連中だが、その熾烈な音楽的内部闘争が生む緊張感や大胆な実験性が、バンドの音楽性をよりスリリングに躍動させたといえる。