市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第12回

ポール1年半ぶり日本ツアーへの期待と不安 市川哲史が歴代来日公演を振り返る

 そうなのだ。90年3月のポール初来日公演は間が悪かったのだ。なんたってその1ヶ月前の2月は、ローリング・スト-ンズ待望の初来日@東京ドーム×10だったし。

 とにかくあのときのストーンズ人気は、尋常じゃなかった。10公演もあるのにチケットが枯渇する中、かつての『スターウォーズ』のように「何回観るか」を競う馬鹿者も多数出没した。来日前にリリースされた『スティール・ホイールズ』が<皆が大好きなストーンズに徹しました>アルバムだったこともあるが、要は我々日本人ならではの付和雷同魂に火がついたのだ。そう、列島中ににわかが溢れたのである。

 FMでも日テレでもライヴがオンエアされた。超火気厳禁の東京ドームのステージ上で、キース・リチャーズが無事に喫煙させてもらえるのか、真剣に討論する輩たちもいた。ほぼ全公演で空席が目立ったアリーナ前方のいい席群を冠スポンサー枠と決めつけ、「大塚製薬殺す」とポカリスエットからアクエリアスに鞍替えする者も続出した。

 ちなみにストーンズに全く興味がない上に前夜の深酒がたたり、アリーナ中央4列目で爆睡してステージ上のミック・ジャガーから「××××!」と罵られたのは、BUCK-TICKの今井寿である。

 というわけで翌月ポールが初来日する前に、日本人はストーンズで精根尽き果てていたのであった。

 ちなみに私は私で、当時在籍していた『ロッキング・オン』誌がストーンズ初来日決定からずっと独占取材しており、苔むす暇もない転石生活だった。

 来日直前のインタヴューでキースの口から、ロン・ウッドが未だストーンズの正式メンバーではないという衝撃の事実が判明。招聘元で確認したロンの契約書上の身分はあくまでも<アディショナル・メンバー>で、キースに拠れば「ミックは守銭奴だからロンをメンバーにしたがらねえ」ときたもんだ。それではとミックに「あなたは鬼か」と詰め寄ると、「たった15年仕事したくらいでメンバーになれるほど、ストーンズは甘くねえんだよ」。うひょー。

 それから2年が経ち――92年の晩秋、ソロアルバムのプロモーションかなんかで来日したロンから、遂にストーンズの正式メンバーになったと聞かされた。日本で我々が騒いだことが功を奏したと感謝してくれたが、いま思えば既に脱退(←公式発表は93年1月)していたビル・ワイマンの分が浮いたからに違いない。ひえー。

 話は逸れたが、とまあ私もストーンズの燃え尽き症候群だったようだ。
 すまんポール。

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