LUNA SEAが歩んできた孤高の道 ロックバンドとしての美学とビジョンに迫る

LUNA SEAの美学

 「個性ある5人が、」といった言葉も用いられるが、そう単純なものではない。いうなれば、各々がせめぎ合い、お互いを探るかのように張り巡らせた緊迫感が作り出したもの、それがLUNA SEAであるとでもいうべきだろう。1997年、バンドの充電休止期間に展開された各ソロ活動を見れば、音楽趣向がバラバラであったことは明白であり、これほどまでに自己顕示欲の強いメンバーが同じバンドに在籍していたことが不思議に思える。だが、単に個性のぶつかり合いでLUNA SEAが生まれているのではない。闇雲に自我を投影するのではなく、各々が自分の役割を理解しているところにこそ、彼らの強みがある。5人が見る、恐ろしいまでに客観視した明確なビジョンがあるのだ。LUNA SEAらしさ、いわば、バンドに求める価値観である。

 メンバーの中で最も典型的な完璧主義者であるSUGIZOですら、イニシアチブを掌握することはない。どんなことがあっても「リーダー不在」「決定は全会一致、1人でも異を唱えれば棄却」「作詞作曲はバンド名義」という徹底したバンドの信条である。そこから生み出されるものは、「バラエティに富んだ」「アルバム毎にコンセプトの違う」といった目新しい音楽の拡張性ではないのだ。逆に言えば、一貫としたバンドのビジョンはデビュー時にすでに確立していたとも言えるだろう。昨年リリースされた13年半ぶりとなるニューアルバム『A WILL』もそうだった。音楽探究という部分から見れば、見方によっては物足りなさを感じたかもしれない。だが、誰もが思い描く変わらずの「LUNA SEAの美学」に納得させられたはずである。

 それはサウンドだけにとどまらない。メジャーデビューから終幕までの作品を並べてみれば解る、一貫した統一感のあるアートワークにもある。「ジャケット含めてアーティストの作品」とよく言われるが、サウンド同様に作品ごとのデザインコンセプトが取られることの多い中で、長年に渡りここまで徹底したこだわりを見せたアーティストはそうそう居ない。ユーザーにとって収納保管に頭を悩ませた8cmシングルの短冊型紙製パッケージを、ロゴ入りプラスティックケースに収めるという、採算度外視な手の込んだ試みも前代未聞であった。アルバム、シングル、ビデオ/DVDに至るまで、そのほとんどのデザインを担当したのはサカグチケン。アナーキー、BUCK-TICK、THE MAD CAPSULE MARKET'Sから、三上博史や中山美穂まで、日本の音楽シーンにおいて最も目にすることの多かった、アーティストのアートワーク専門のデザイナーである。

 デビュー当時からセルフプロデュースを貫き、バンドブームからタイアップ市場に変わって行く中で、ノン・タイアップでオリコン1位を獲得した(「TRUE BLUE」1994年)。そんな音楽ビジネスに浸ることなく、確固たる信念を貫いている5人ではあるのだが、時折、その言動に矛盾が生じている。かつて「売れても東京ドームでライブはやらない」とは公言していたが、1995年に東京ドーム公演『LUNATIC TOKYO』を行い、充電期間から再開した98年にはドラマ主題歌などのタイアップも見受けられた。熱狂的なファンによる反対運動という波紋をも呼んだ。しかし、それでも人気の衰えを見せなかったのは、それ以上のものを見せてくれたことに他ならない。キメるところをキメてくれさえすれば、「宇宙的」に問題ないのである。

 真矢の巧妙でド派手なドラミング、パンキッシュで“WAKE UP! MOTHER FUCKER”な男臭いJのベース、誰が見ても弾きにくそうな低いギターの構えに寡黙ながらもプライドを感じるINORAN。右中指、薬指、小指が真っ直ぐに伸びたハードピッキングによってうねりをあげるSUGIZOのギター、後ろに反り返りながら咽ぶロングトーンは、時にグルーヴを統制する司令塔の役割をする。そして喉から音源以上のクオリティで放たれるRYUICHIの歌声に酔いしれるしかない。五人から放たれる研ぎ澄まされたオーラと音の洪水が織りなすサウンドスケープ。目の前に広がるのは非現実的な世界だ。LUNA SEAのライブ一回一回が、一夜限りのドラマチックな物語なのだ。

 RYUICHIが「かかってこい!!」と叫ぶ限り、かかっていくしかない。だって、我々は彼らのSLAVE(奴隷)なのだから。

■冬将軍
音楽専門学校での新人開発、音楽事務所で制作ディレクター、A&R、マネジメント、レーベル運営などを経る。ブログtwitter

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