トレモロイド小林郁太の楽曲分析

ゲスの極み乙女。の音楽は、なぜ尖っているのに気持ちいい? 現役ミュージシャンが曲の構成を分析

サンプリングミュージックを生バンドで演奏

 展開の激しさ、という意味でもうひとつ挙げたい特徴は、サビの後の展開です。3回サビがありますが、サビの後でサビの雰囲気を引き継ぐ展開は一度もありません。それまでのセクションチェンジと同様に、唐突にまったくつながりのない展開が始まります。多くの歌ものでは、コード進行が同じかどうかはともかくサビの後はその雰囲気を引き継いだものになるか、Aメロに戻ります。この曲でも最初のサビの後のセクションはコード進行としてはイントロやAメロと同じですが、そもそも雰囲気がすごく違うので唐突な印象を受けますし、その後に始まる歌はAメロとはまた別のものです。さらに2度め、3度めのサビの後に至っては、それまでまったく出てこなかった展開が続きます。その意味で、この曲は「起承転結」ではなく「転転結転」といったような楽曲構成になっています。ここまで過激にではありませんが、これは他の楽曲にも共通する特徴で、比較的歌もの寄りな「デジタルモグラ」「猟奇的なキスを私にして」などでも、サビの後は、サビとは雰囲気の違うイントロに何の未練もなく戻ります。

 このゲスの極み乙女。の楽曲の特徴は、ふたつの点から捉えることができます。ひとつはサンプリングミュージック的である、ということです。先ほどのコード進行表を見ていただければわかりますが、セクション間の関係は突拍子もない程変化していますが、ひとつのセクション自体は基本的に2-4小節のループでできています。冒頭に書いた「セクション内での動きが少ない」というのはこのことで、これも多くの曲に共通する特徴です。このような構造は、物語性や叙情性のつながりを重視する日本の歌謡曲とは違い、ループ性を重視するダンスミュージックの特徴と似通っています。さらに細かく言えば、「クールなものはとりあえず何でもサンプリングして詰め込む」といった姿勢の、サンプリングネタのループを中心に楽曲が構成されているようなヒップホップの構造です。編成はごく普通の4人バンドで、そのサウンド的なアプローチも、広い意味でロックバンド的なものですが、楽曲構造の点において彼らはいわゆるロックバンド、ポップ・グループといったものとは違う音楽性を表現しています。

 それが結果的にどのような表現になっているか、ということがふたつめの点です。徹底してサビの進行を繰り返さない、というとこに特に表れていますが、曲全体が単一の感情にのめり込んで進むことなく、ときに感情的であったり覚めた感覚を持っていたりする僕達の日常と同じように、ひとつのテーマに対して多角的な表現がなされています。音楽的には、サビを強調し、どれだけキャッチーなセクションにしても、他のセクションでそれを引きずらないので、ありふれた陳腐なものにはなりませんから、かえって王道的なものを持ってくることができます。

 短い言葉でまとめると「大きな変化による大きな相対化」ということになりますが、『パラレルスペック』のように、曲として成立するギリギリまで極端にすることは、単に「脈絡がない」ということになってしまう危険もあり、理論的に考えてどうこう、というレベルとは一段違う、非常に難しいことです。サンプリングミュージックの特徴でもありますが、曲としてのメロディ的な全体像やつながりによって快楽を演出するのでない場合には、ストーリー性ではなく、ひとつひとつの瞬間、ひとつひとつのネタが単純に気持よくなければなりません。

ピアノの不思議な立ち位置

 ストーリー性よりも「単純に今流れている音がかっこいいか」を重視しているという点において、シンプルな編成ながら彼らのアンサンブルの有り様は独特です。まず、一際耳を引くちゃんMARIさんのピアノに焦点を当てます。特にミニアルバム『みんなノーマル』は、彼女のピアノを前面に出しつつ、しかし「ピアノバンド」とは全く感じない不思議なサウンドデザインでした。

 ピアノは、広い音域をカバーし、複雑な和音もきれいに表現しやすい万能楽器ですが、万能であるがゆえに、バンドの中での扱いがなかなか難しい楽器でもあります。目一杯弾くと必ず他のパートと干渉し、かといって、限定的に弾くと本来のピアノの良さを活かしきれず、「ピアノのピアノらしいダイナミズムを活かしながらバンドとも共存している」というトラックにはあまりお目にかかれません。その意味で、ちゃんMARIさんがあくまで「ガンガン弾きまくっている」ように聞こえるのに、バンドとしても一貫性がある彼らのトラックは希少です。

 彼女のピアノを独特なものにしているのはプレイそのものと、ベーシックトラックから離れたソリスト的、飛び道具的な場所にいる立ち位置です。まず彼女自身のプレイの特徴としてはまず、聴く人の「ピアノってこういう感じでしょ」という予想を常に少し上回る、耳を釘付けにするフレーズを弾ける単純な技術力と発想力があります。『みんなノーマル』の多くの曲で見せているとおりですし、『魅力がすごいよ』の『ラスカ』のAメロのように、歌の邪魔をせずに、しかし自分も裏方に回ることなく弾き切れます。次に、クラシックなどの有名なフレーズを巧みに織り交ぜる、あるいはごっそり持ってくるというサンプリング的な手法(例:『列車クラシックさん』のラヴェルの『水の戯れ』、『サリーマリー』のショパンの『子犬のワルツ』を短調にアレンジなど)を多用するので、意外と耳に馴染みが良いことです。このあたりは、少し先ほどの楽曲の構成とも関係します。ギターは、何を弾いても「ギターの味」というものを持っている楽器ですが、ピアノは和音の構成がシンプルなものを弾くと耳に残らないほどさっぱりと鳴ってしまいます。だからこそ、サビ以外のセクションで複雑なコードやフレーズを駆使しているのには、ピアノが単に「耳馴染みの良い便利な道具」に収まらずに主張する上で非常に効果的です。クラシックの名フレーズを混ぜ込むことは、ポップスとは違う意味で聞きやすさを持っているものを提示することになるので、複雑なことをした分、聴き手から遠いものになってしまうことを防ぎ、絶妙な距離感を保っています。

 そして、バンドのアンサンブルの中でちゃんMARIさんのピアノが飛び道具的な位置にいることができるのには、ベースの休日課長さんの存在が大きいでしょう。彼はベーシストとして万能型で、どちらかというと自分のプレイを前に出すタイプですが、フレーズが変わってもグルーブ感がブレないこと、自分のプレイをすると同時に、隙間の開け方やコード感の強調具合で周りを活かすこともできるので、楽曲全体の鍵を握っています。特にちゃんMARIさんが印象的なフレーズを弾くときに、休日課長さんがコードを強く出せばちゃんMARIさんのフレーズは曲に馴染み、『パラレルスペック』のイントロのように彼が高音で動けば、コード感が希薄になり相対的にちゃんMARIさんのフレーズは曲から離れた位置に浮かび上がります。また、先程説明したように楽曲全体としてもセクションごとのオンオフがはっきりしておりループ構造なので、ピアノにせよベースにせよ、いつでも飛び出していつでも止められることも大きいです。

 また、これだけ激しく展開が移り変わる楽曲の中で、リズムに一貫性がなければ気持ちよく聴くことはできません。音源だけでドラムプレイを判断するのは難しいですが、ほな・いこかさんのプレイは比較的ストレートな、伸び伸びしたタイプに聞こえます。ちゃんMARIさんのピアノや川谷さんのラップなど、いわゆるウワモノのリズム的な出入りが激しいアンサンブルの中にあって彼女のドラムが埋もれずに、伸びやかにビートをリードしているように聞こえるのも、やはり休日課長さんが彼女のリズム的なキモを逃さずに、ドラムを活かす位置に音を入れているからです。その点で、リズム隊の2人が一貫性のあるグルーヴを出し続けていることが、彼らの楽曲をひとつの曲として成立させている大前提であると言えます。

 楽曲の構造にせよ、サウンドとアンサンブルにせよ、おそらく彼らはかなりの部分で感覚的にやっているはずです。何故ならば、ここまでで指摘した彼らの特徴は、ひとつひとつを「こうだからこう」と因果関係で結びつけていくには多面的過ぎるし、相互作用の関係が複雑過ぎるからです。それぞれが目的論的に生み出されたわけではなく、各パート、各セクション、各アレンジが、単純に、「これカッコいい!」というものを集めてできている、つまりそれぞれに生きているからこそ、尖った要素をはらんだまま楽曲が成立しているのでしょう。

 以前、織田哲郎さんがインタビュー(参考:「ポップの本質は一発芸だ」J-POPを創った男=織田哲郎が明かす“ヒットの秘密”)で「聞き心地を良くすることがポップだと勘違いされがちだけれど、一発で人を振り向かせる瞬間芸こそがポップなんだ」と言っていました。ゲスの極み乙女。の音楽を聴くとその言葉を思い出します。

参考1:モーニング娘。楽曲の進化史ーーメロディとリズムを自在に操る、つんく♂の作曲法を分析
参考2:ユーミンのメロディはなぜ美しく響くのか 現役ミュージシャンが“和音進行”を分析
参考3:小室哲哉はJPOPのリズムをどう変えたか 現役ミュージシャンが「TKサウンド」を分析
参考4:スピッツのメロディはなぜ美しい? 現役ミュージシャンが名曲の構造を分析
参考5:BUMP OF CHICKENの曲はなぜ感情を揺さぶる? ボーカルの特性と楽曲の構造から分析

■小林郁太
東京で活動するバンド、トレモロイドでictarzとしてシンセサイザーを担当。
Twitter

関連記事