Eテレ『サブカルチャー史』で80年代のYMO特集 細野晴臣と高橋幸宏が当時のコンセプト明かす
番組中盤では、YMOのようなテクノ・ポップが、世界で同時多発的に発生したと語り、YMOに影響を与えたアーティストとしてクラフトワークの存在を挙げた。細野は「ドイツのクラフトワークは本当に素晴らしくて、影響を受けるほどに真似できないとわかってくるし、日本人として太刀打ちできない何かを感じる。僕たちはそれを『鋼鉄のコンセプト』と呼んでいました」と語ったうえで、クラフトワークとの差別化を見出したプロセスを次のように語った。「じゃあ僕らは何ができるかと考えたときに、メンバーの間で『障子と紙と木で出来てる国だろうから、鋼鉄じゃないよ。東京ってのはそういうものだろう』となって。なぜそう思ったかと言うと、ロンドンでライブが終わった後に、イギリスの女の子が追いかけてきて『キュート』だって言ってくれたんですよ。その軽薄さがキュートなんだと。その時に初めてこれが東京の売りなのだと思いました」。
また、番組ではYMOの二度にわたるワールドツアーが好評だったこと、アメリカのメディアが彼らを「日本のビートルズ」と呼んでいたことを紹介。高橋は海外戦略について「『東京は病気だ』っていうプロモーションを世界的にやろうと思ってて。工業用のマスクとかをして『東京はこれが無いと病気になる』って嘘ばっかり言ってましたからね。これは『東京を外から見た時にそう見えるでしょ?』っていう皮肉だったんですけど」と、諸外国からみた“急成長する日本経済”をアイロニカルに表現したとした。続けて、初期YMOでお馴染みの赤い衣装について、高橋は「インパクトのあるもので、おんなじ格好しようと。皆は人民服だというんですけど、これはスキー服なんですよね。(中略)クールな日本人だと思って貰いたいと思ってこの格好にした」と語った。
そして、2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が『病気から生き残った者』という隠れた意味があることについて、高橋は「テクノロジーが進んでいるという象徴にしたかった。でも発展途上だから弊害が起こっていて、生まれる音楽もこういう風に突然変異しちゃったんですよねって言い方をしていた」と語った。
コーナーの最後には、宮沢が「YMOは資本主義と戯れた」と、浅田彰のベストセラー『構造と力』の一節である「シラケつつノり、ノりつつシラケる」という言葉を紹介し、「物事を批評しつつ盛り上がる」風潮が80年代の若者文化にあったことを語った。その後、宮沢は1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』の代表曲であり、初めて海外で発売したシングルの曲「Firecracker」がマーティン・デニーのカバーであることを紹介し、「アメリカ人が見たアジアの音楽を面白く思って、それを新しいテクノロジーでパロディとして聴かせた。資本主義の何かを弄んだ方が面白いというコンセプトがあったように思う」と持論を展開した。
そのほか、番組では「ファッションの変革と『記号論』」、「埴谷雄高と吉本隆明の『コムデギャルゾン論争』」や「『つくば万博』での『TV WAR』事件」、「『AKIRA』や『ブレードランナー』が描いた『ディストピア』」と80年代文化の代表的トピックスを取り上げた。次回9月12日には、『「おいしい生活」? 広告文化と原宿・渋谷物語』を放送する予定だ。