新刊『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』インタビュー

冨田ラボが語る、録音芸術の価値「スタジオでの録音は途轍もなくおもしろい」

「可能な限りの正確さは必要だけど、優れた印象批評というものはある」

セルフプロジェクト「冨田ラボ」としても活躍する冨田恵一氏。

――この本を読んで驚かされたことの一つは、冨田さんの書く文章の読みやすさ、つまりは、その文章の巧さで。文章も編曲もある意味でロジックの積み重ねだと思うんですけど、そういう意味で「非常に優れた編曲家の方が書かれた文章」だと思いました。

冨田:本当ですか? そこを褒められるのは嬉しいですね。これだけの長さの文章を書く上では、やはり文体のようなものが必要でした。そう考えた時に、自分にとって一番親しみのある文体は翻訳文体だったんです。アーティストの自伝だとか、海外の雑誌のミュージシャンの記事だとか。

――なるほど。それと、とても感心させられたのは、冨田さんの音楽についてものを書くスタンスでした。自分は90年代半ばからロッキング・オン社に10年間勤めていて、そこで音楽についてのものを書き始めた人間なんですけど、いわゆるロッキング・オン的な印象批評に対する風当たりというものを近年特に強く感じてきたんですね。その真逆にあるものは、楽典主義というか、楽理分析的なものだと思うんですけど、そっち側の方が最近はわりとチヤホヤされている。冨田さんは音楽家ですから、『ナイトフライ』について一冊書かれるという話を聞いた時に、当然そっち側を突き詰めたような本になるんじゃないかと楽しみにしつつも身構えていたわけです。でも、実際にこうして上梓された本は、音楽理論に寄ったものではなく、印象批評にしか馴染みのないような読者にとっても非常に読みやすい本になってますよね。

冨田:そのバランスは一番心がけていたことです。まず、本に譜面を載せないということを、最初に決めました。僕は譜面を読めますけど、特に外国の音楽に関する本を読んでいて、文章の中に譜面が入ってくる本って、とても読みにくいんですよ。読者としては、読み物としておもしろければおもしろいほど、譜面なんて載せないでいいから、もっと文章が読みたいと思うんです。それと、ロッキング・オン的な印象批評というのは、批判があるのもわかりますが(笑)、僕は読んで楽しいものが一番だと思うんですよ。インタビューであってもエンターテインメント、読み物としての側面を重要に感じるんですね。結局のところ読み手が知りたいのは、音楽家がどういう気持ちでその音楽を作ったのかということで、そこに共感したいわけですから。

 もちろんそこには可能な限りの正確さは必要ですけど、僕は優れた印象批評というものはあると思ってますし、それを信用しています。ただ、音楽の作り手として言いたいのは、音楽家はそうした心情だけで作っているわけでもないし、音楽的な整合性だけで作っているわけでもないということ。音楽家というのは、音楽のスキルや知識を総動員して、感情を音に変換していくわけです。その『変換』するという過程が一番おもしろいし、いわゆる名盤というのはその『変換』に成功したものだと思うんです。そういった『変換』のプロセスにおける興奮やスリルについて、音楽家の立場から書けること、そして読者の方に読んで楽しんでもらえることがあると思ったんです。

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